第11話~取引~
「ち、ちょっと待ってください!!」
叶子はブランドンの考えた“策”がイマイチ理解出来ず、大声を出して今にも去ろうとしている彼を呼び止めた。呼び止められた彼はピタッと足を止めて方向転換し、足早に叶子の元へスタスタと戻ってくる。愛しい彼女にハグでもするのかと思いきや、
「……お前な、今、一体何時だと思ってんだ?」
「え?」
「俺も一応良識ある立派な大人なんだ。こんな夜中に女ともめてるって思われたくない」
呆れ顔な彼のその発言が、今は夜中の二時でここは自分のマンションの扉の前だった事を思い出し、思わず両手で口を塞いだ。叶子が呼び止めたのは恋人のジャック――ではなく、彼の双子の兄のブランドン。まさに今回の騒動の首謀者と呼べる人物そのものであった。
◇◆◇
「ね、ねぇジャック? もうちょっとわかりやすく説明してくれない? もう私、頭が混乱しちゃって何が何だか……」
「ああ、そうだね。ごめん、ごめん、えーっと」
ジャックが気を取り直して一から経緯を話し出そうとしたその時、ココンッと急かすようなノックがしたと同時に扉がガバッと開け放たれた。そこには少し機嫌の悪そうなブランドンが立っていた。
「おーい、そろそろいいか? 俺、明日早いんだよ」
「ああ、そっか、悪いな。――じゃあ後は宜しく」
扉にもたれ、腕を組んでいるブランドンに向かってジャックが手を向けると同時に、叶子の背中を軽く押した。
「え? あの?」
「カナ、行って?」
「いや、だって」
「詳しい話はまた今度。おやすみ」
大きな両手で頬を包まれると、彼が距離を縮めて来る。チュッと音を立てて触れた彼の唇が額に降ってきて、行き場を無くしている叶子の両手は、自身の胸の前で居場所を探していた。
それはまるで、叶子自身をあらわしているかの様だった
◇◆◇
「だ、で、でも! まだちゃんと納得してません!」
塞いでいた両手を口から外すと、なるべく小さな声でブランドンに詰め寄る。ブランドンはと言うと、少しイラついた様子で、
「お前は別に納得しなくてもいい。これは俺たちの問題なんだ」
「っ!」
「わかったな?」と念押しする様に叶子の顔の前に指を突きつけると、踵を返して再びその場を去ろうとした。
(な……、んですってぇー!?)
一方的に言われて到底納得いくわけも無い。ブランドン的には叶子は道具としか考えておらず、道具は黙って従っていればいいのだと思っての発言なのだろう。しかし、叶子にも人としてのプライドがあるのだから、このまま黙ってはい、そうですかというわけにはいかない。確かにもう夜も遅いし、ジャックの口から聞いた方が、叶子に与えられる精神的なダメージも軽く済むかもしれないけれど、仕事をしだすと中々連絡が取れなくなる彼に『また今度話す』と言われたところでいつになるのかの保証もない。
ブランドンのご機嫌が斜めなのは容易に見て取れるが、ここは怒鳴られるのを覚悟で策士ご本人に問いただすのが一番だと思った叶子は、帰ろうとしているブランドンの腕を逃がすまいと掴んだ。
「ちゃんと教えてくれないのなら、もう協力しませんから!」
「……」
脅しにもならないセリフを吐いて、ブランドンを遂に黙らせてしまった。
見る見ると眉間に皺が集まり始め、大きな目を細めるブランドンの表情に思わず、しまったと後悔したのも束の間。掴まれた腕を振り払うと、ダンっと大きな音を立てて叶子の顔の横に手をついた。
その動作に「ひゃっ」と言って思わず肩を竦める。恐る恐る顔を上げてみれば至近距離にブランドンの顔があることに心底驚き、壁と背中が一体になりそうな程、背中を壁に押し付けた。
「な、な、なん――」
「お前な、人間には三大欲求ってのがあるの知ってるか?」
「へ? さんだい?」
「食欲、睡眠欲、性欲だ。今の俺は無性に腹が減って、今すぐにでも寝たいんだ。だが、お前をわざわざ家まで送ってやってる事で、この二つは今すぐに満たされない。と言うことは、俺は今かなりイラついているって事だ」
「そんなの! 私はタクシーで帰るって散々言ったじゃないですか!」
「お前はアホか」
「なっ、アホっ?」
「あんだけマスコミに張られてんだぞ? そんな中、のこのこと一人で帰ったらタクシー降りた途端、あっという間に囲まれるぞ? それでもいいのか?」
「あ、いや、……その」
相変わらず口は悪いが一応自分の心配をしてくれてのことだと思うと、中々次の言葉が出てこない。さっきの話だと、やはりジャックと付き合っているというのが外に漏れるのは良くないらしいからジャックが送る事も出来ないし、ビルに送迎を頼むのは無理なほど時間も遅い。疲れている中、わざわざ送り届けてくれたブランドンにはやはり感謝をしなければ。
「何か聞かれても声も出さず、顔にも出さずになんなくあいつらをやり過ごせる自信があるのか? 俺にはカナコがそんな器用な事出来るとは到底思えんが」
優しさを素直に表現出来ないだけなんだと思い直した途端、人を小馬鹿にするような言葉を吐く。単純に、“俺たち”の心配をしているだけだと言わんばかりのブランドンに、叶子は言い返すことが出来なかった。
「……。で、でも、彼の! ……や、あの、私に出来る事があるなら少しでも力になりたいんです! だから、理由を教えて下さい!」
「――」
それでも食い下がろうとしない叶子に対し、心なしかブランドンの表情がまた変わった気がする。まるで悪ガキがいい事ヒラメイた時の顔と言うか、悪魔の様にニヤリという効果音が聞こえそうな表情と言うか。何となく嫌な予感をそこはかとなく感じつつも、目の前にあるジャックと同じ顔をしているブランドンを凝視していた。
「――ああ、あるぞ。カナコにも出来ること」
「な、何ですか?」
「さっきも言ったが、俺は今、非常に眠いし腹が減っている。これは今はもうどうにも出来ない」
「は、い……?」
「しかし、幸運にもお前は“女”だと言うことにいま気がついた。そして中々悪くない」
(えぇ? 今頃?? 私の裸とかも見られてるはずなのに)
なんて失礼な人だろうって思っていたが、次の瞬間、自分の思考こそが根本的な間違いを犯していたのだと知り、少し膨らませていた頬をあっという間に恐怖でしぼませた。
「幸いにも、三大欲求の“性欲”ならいま空きがある。場所もここがあるし丁度いいな」
顎で叶子の部屋の扉を指し示し、次第にブランドンの言っていることを理解し始める。
「さぁ、どうする? 力になりたいんだろ?」
ニヤリと口の端を上げながら、ブランドンが距離を縮めて来た。




