第10話~どれが真実?~
彼の兄であるブランドンの悪趣味な悪戯によって、火照ってしまった身体はジャックが現れたことであっけなく熱が下がっていった。だがすぐに、体中から噴き出る変な汗を感じながらも何とか誤解を解こうとしていたところ、さっきまで怒り狂っていたはずのジャックに今度は何故か抱きしめられてしまう。
「……」
(――何コレ?)
ぎゅっと抱きしめられたまま、しばらく無言の時を過ごす。半泣きになっていた目の水分が乾き始め、パチパチと瞬きを繰り返した。誰がどう見てもこのおかしな展開は、いくら鈍感な叶子でも流石に流されることは無かった。
「え? あ、あの……?」
ジャックの腕を掴んで互いの距離をとる。目の前に現れたジャックは穏やかないつもの表情で、「どうしたの?」と言わんばかりに人懐っこい子犬のように首を傾げている。たまらなく愛しいその仕草を見て、思わず叶子までつられて首を傾げてしまった。
「っ、――じゃなくて! ……お、怒ってたんじゃないの? なのに、何で急にそうなるわけ??」
眉間に皺を寄せて問いただす叶子を見て、ジャックは何かを思い出した様な顔つきになった。
「あ! そうだよ! あいつ調子に乗ってカナにベタベタ引っ付きやがって! 戻ったらちゃんと釘を刺しとかなきゃだな」
「へ?」
「いやぁー、でもカナも迫真の演技だったよね。『帰らない!』って言って壁にしがみついて離れようとしなかったのには、僕もブランドンも想定外で少し焦ったけど。ま、でもそのお陰でまたこうやってカナを抱きしめることが出来るわけだし」
どうやらジャックの中では一件落着といった気分にでもなっているのだろうか。改めて抱擁しようとするも、当然ながら叶子はまだ納得いかない様子だった。
「演技とか想定外とか、一体どういう意味?」
彼の腕を掴んでもう一度距離を取ると、今度は彼の方がきょとんとした顔をしていた。
「え? あれって、僕の合図に気づいて、咄嗟に僕に合わせてくれたんじゃないの?」
「合図?」
「そう。僕ウィンクしたでしょ? 君に」
そう言うと、見本を見せるように目を瞑って見せた。……両目を。……しっかりと。
「ちょっと、それウィンク出来てないから!」
「え? ウソ? ああ、僕ウィンクするの苦手なんだよね」
「えええ……! 前は良くやってたじゃない?」
「あの頃みたいにさ、しょっちゅうやってるとちゃんと出来るんだけど、しばらくしてなかったからまた下手になったのかも」
そう言ってブツブツ言いながら、ウィンクの練習らしきことを始めだした。そもそもウィンクが出来てるとか出来ていないとかはこの際関係ない。事の真相が未だわからず、叶子は地団駄を踏んだ。
「で、で、で、で、で! 何がどうなってるの!? 貴方が怒ってたのは演技って事??」
「そうだよー。僕が君に怒るはずないじゃん」
「ブ、ブランドンさんのアレも??」
「うん。あいつが全部考えたんだから……――あ、出来た! ほら!」
叶子の様子の変化にも気付かず、片目をパチパチして何処か誇らしげにしている。ジャックは本気で怒っていたのでは無いとわかってホッとする間もなく、見事にこの兄弟にしてやられた感が強く沸き、今度は叶子の方に怒りが込み上げてきた。だが、その怒りも喉元を通り過ぎる頃には悲しみに変化し、気付けば勝手に目からポロポロと涙が零れ落ちていた。
彼と間違えてしまったとは言え、ブランドンとあんな行為をしてしまった事を激しく後悔し、キリキリとする胃の痛みに耐えながらどうすれば許しを得ることが出来るのだろうかと、必死になっていた自分が滑稽で馬鹿みたいだ。動揺している自分を見て彼らはほくそえんでいたのかと思うと、また違う痛みが彼女の胃を襲いだす。
「カナ?」
「……っ、ぃやっ! こっちへ来ないでよ!」
差し伸べられたジャックの手をはね除けて、顔を見せまいと背を向けた。ジャックはそれでも構わず自分の方に向けようと、暴れる叶子の肩に手を回す。
「は、離してよっ! 触らないで!」
彼は自分の胸を突き飛ばす華奢な手首を難なく捕まえるとすぐに抱き寄せ、まるで小さな子供をなだめるように彼女の髪と背中を何度もそっと撫で付けた。ただそれだけなのに、不思議と抵抗が徐々に弱まっていった。
(騙されて悔しいのに、怒ってるはずなのに。……何で抱き締められるだけでこんなに安心してしまうんだろう)
ふわふわ漂う甘い香りと暖かい体温。トクントクンと静かに音を立てる彼の鼓動がシャツ越しに伝わってきて、更なる安心感を与えられる。突き放そうともがいていた手は次第に落ち着きを取り戻し、彼のシャツをキュッと掴んだ。
「落ち着いた?」
胸元から声が響いて、叶子は小さくコクンと頷いた。しかし、一度流れ出た涙は簡単におさまらせる事が出来ず、彼のシャツを濡らし続けた。
「な、んで、言ってくれなかったの?」
「――ん。ごめんね、僕が悪かったよ」
優しさが胸に染み渡る。先に謝られてしまうと、強く問い詰める事が出来なくなって、こういうときでもジャックは賢いんだなと思う。それでも、何故ブランドンと一緒になってあんな事をしなければならなかったのか理由を知りたくて、声を詰まらせた。
「なん、で……?」
「僕の会社と、――君を守るには、こうするのがベストだったんだ」
「……わた……し?」
「そう。……僕が今一緒に仕事しているJASONが倒れたのは知ってるよね?」
コクンッと叶子が頷いた。
「日本だけでなく、海外でも一気にその報道が流れてね。ある事ない事まで色々書かれちゃってさ、今必死でそれを抑えようと僕は走り回ってるんだよ」
それを聞いて、ブランドンが言っていた話を思い出した。
「ある事ない事って、その……私に逢いたいが為に、貴方が無理なスケジュールを組んだんじゃないか? ――ってこと?」
すっかり落ち着きを取り戻した叶子は、抱き締められながら見上げた彼は少し驚いている様子だった。はぁーっ、とため息を吐き、やれやれと頭を振りながら長い両手を広げた。
「なぁーんだ、もう知ってたの?」
「あ、うん。さっきブランドンさんに聞いたの。……ひどい言い掛かりよね、貴方がそんな事の為にスケジュールを無理に詰めただなんて」
「事実だけどね」
「そうよ! マスコミはちゃんと事実だけを伝えるべきっ、……よ? ――え? い、今なんて?」
「ん? 事実だってとこ?」
「……」
「君に早く逢いたくて、スケジュールを詰めたんだ」
そうはっきり断言すると、ジャックは自分の言った事に対してなんだか照れくさそうに下唇を軽く噛んだ。そんなジャックを見た叶子は、ポカーンと口を開けて立ち呆けていた。
(……あの、貴方確か“仕事の鬼”とか部下に言われてませんでしたっけ? 一年前もあっさり私を置いて、さっさとアメリカに行っちゃいませんでしたっけ?)
そんな言葉がいくつも頭の中を駆け巡るが、中々声に出して言えない自分がもどかしくもあった。
怒り狂ったと思ったら照れてみたりと、一体どれが本当の彼なのだろう。混乱している頭の中に更に混乱するような事を言われて、それらがどんどん上塗りされていく。もう、何が真実で何が嘘なのかも、さっぱりわからなくなってしまった。
こんにちは、まる。と申します。この度はご訪問有難う御座います。
今日昼間に更新したのですが、思いのほか短かった&話が進まなかったので夜にも更新してみました。
進むのが遅いお話ですが、宜しければ又お越し下さいませ^^
今後とも、『運命の人』をよろしくお願いしますm(__)m




