第20話~知りたいこと、知りたくないこと~
胸に置いた手が跳ね返るのが良くわかるほど、いつもより大きな音を立てて心臓がドクンドクンと波打っている。そのことが今のこのドキドキは尋常では無いことを表していて、口から心臓が飛び出るとはまさにこの事だと思った。
高鳴る胸の想いに反して帰ってきたのは呼出音ではなく、聞き覚えのある例の機械的なメッセージ。
「……はぁ」
予想はしていたものの、特大のため息が出てしまった。さっきまでうるさかった胸の音は次第に収まっていき、普段通りのリズムを刻みだした。
仕方なく諦めると再び暖簾をくぐり、新しい情報を得るために再度画面に食い入った。
◇◆◇
次の日も、また次の日も、ジャックと連絡が取れない日々が続いた。今まで全く芸能関係のニュースを気に掛けた事が無かった叶子だったが、今回ばかりは今後の二人の関係を左右するかも知れないと思うといても立ってもおられず、こまめに情報収集をしていた。
「えー? JASONですかぁー?」
とある日のランチ。芸能関係が得意そうなユイなら何か情報を持っているのではないかと、叶子の方から食事に誘った。相変わらず目の周りに張り付いた睫毛がバサバサと上下する。香水の香りがきついユイと食事を共にするなんて正直食べる気が失せるのだが、そうも言っていられない。こうしている内にジャックは遠くへ旅立ってしまうのではないかと、気が気でなかった。
食事と言ってもダイエット中らしいユイの前には、イチゴのタルトとキャラメルマキアートが堂々と鎮座している。ダイエット中の人が頼む物じゃないし、そもそもユイはガリガリでもっと太った方がいい位だと諭してみるも、ユイは全く聞き入れる素振りすらなかった。一口食べては「おいしぃーー!」と頬に手をあて、フォークを口にくわえたまま小さなケーキをゆっくりと堪能していた。
「うん。今やたらとテレビでやってるでしょ? 何だか倒れたとかどうだとか。あれって結局どうなったのかなぁー? って」
「マネージャーって、あー言うのが好きなんですかぁ?」
パクッとまた口に運んでは蕩けているユイに呆れつつ、テーブルの上にあるカクテルナフキンを一枚手渡した。キョトンしている表情のユイに向かって、叶子が自分の唇の端をトントンと指でつつくと、やっとナフキンを渡された意味がわかったのか、あっ、と肩をすくめながら口の端を拭いた。
「いや、特別好きなわけじゃないんだけどね。あ、でも歌声は結構好きかな」
彼の声に似てるから。なんて口が裂けても言えないが、柔らかく包み込まれる様なあの声を思い出した叶子は、緩めた口元をユイに見られないようにと顔を下に向けた。
「へー、意外ですぅー」
「そお?」
「ジョニーズとかの年下のかわいい男の子みたいなのがタイプと思ってましたぁ」
そう言うと、ユイは大きな口を開けて残されていたイチゴタルトを一気に口の中に放り込んだ。
「え、そう? まぁ確かにジョニーズも嫌いじゃないけど」
(って、じゃなくて! 私が聞きたいのは!!)
そう声に出そうと思った時、意外な人物の名前がユイの口から飛び出して、思わず口に運んだペスカトーレを噴出しそうになった。
「だって、健人先輩と仲良さそうだし」
「……っ!? ゴホッ、ゴホッ――、……は、はぁ?」
パスタが気管に入ったせいで咳き込んでしまい、苦しさで目を潤ませながらユイを見た。そんな叶子を心配してか、今度はユイがお水の入ったグラスを差し出してくれた。
水を受け取りゴクンと流し込む。喉につっかえたものが流し込まれたのがわかると、改めて声を発した。
「な、なんでジョニーズの話してたのが、急に健人が出て来るのかなっ!?」
「だって、朝だって良く一緒に出勤してくるじゃないですかぁ?」
「あ、あれは、たまたま電車が一緒になっただけで」
たかがそんな事で健人の仲を疑っていただけなのだと、内心ホッとした。
「違いますよ! 私、何度も見たことあるんです! 健人先輩、先に来てホームでマネージャーが降りてくるのを待ってるんですよ!」
「いや、そんなことないでしょ」
「本当ですってば! 私、何度か張った事あるんですからっ!」
「張ったって……。探偵じゃないんだから」
むんっ! っと自慢気に胸を張るユイに苦笑しつつも、心は酷く動揺していた。
(まさか、あの健人がそんなマメな事するわけがないでしょ)
一年前、確かに健人は叶子の事が好きだと言った。だが、それは全てを持っているジャックに対しての対抗意識から、そんな事を口走ってしまったのだと叶子は思っている。現に、彼が日本を離れてからというもの、以前の様な強烈なアプローチは全く無くなり、後輩ながらも色んな事を相談出来る良き同僚位に叶子は感じていた。
(せっかく修復しかけてる関係を壊すようなこと言わないで欲しいわ)
「いいなぁー、健人先輩。クールで格好いいしー」
「はぁ!? クール? 格好いい? 何処が?」
「えー? 知らないんですかぁー? “社内のイケテル男子”のアンケート投票で堂々の第一位ですよぉ!」
腰に手を置き、もう一方の手は指を一本立てて、叶子の顔の前に突き出した。
「何それ? そんなのやってんだ」
「そうですよぉぅ! でね、でね! 普段はニコリともしない無表情な健人先輩が、ふとした時に笑顔を見せるんですよね。もう、それがっ! それがっ! くぅー!!」
萌えポイントなのぉー!!!
と、大声で言い出しそうな程身を捩っているユイと、はいはい、わかったわかったとでも言いた気な表情の叶子とは実に対照的だった。
「私、健人先輩のファンだから、わかるんです! 健人先輩のマネージャーを見つめる視線、ただ事じゃないくらい優しい目をしてるんですよぉー? でね、でね! ―― ―― ――!」
「あはは、はぁ……。――」
マシンガンの様に、健人の話で盛り上がっているユイの声が徐々にフェイドアウトする。叶子が聞きたかった話では無かったし、どちらかと言うと聞きたくない内容であった。こんな話を聞かされてしまっては、これからどんな顔をして健人に会えばいいのかわからない。
手元にあるペスカトーレと同じくらいに叶子の頬が赤く染まる。そして、それをフォークでぐるぐるさせている様が、まるで今の叶子の気持ちを表しているかのようだった。




