第18話~二人目の紳士~
見慣れた場所に車が横付けされ、現実の世界に戻ってきたことを知らされる。車中で繰り広げられた巧みな話術。勝手に抱いていた暴君の様なブランドンのイメージがガラッと変わり、車から降りるのが名残惜しいとさえ思ってしまっていた。
相手を退屈させない様に振舞うことが、自然と身についているのであろう。勿論それはジャックにも言える事で、この二人は全てにおいて人を惹きつけるものがあるのだなと改めて感じさせられる事となった。
「ははっ……。――ん? ここがカナコの家?」
車が停車した事に気付いたブランドンが、窓から外の景色を覗き込んだ。
「あ、はい」
「そっか、意外に早かったな」
「じゃ」と言う様な顔をしてブランドンは叶子を見るが、彼女は一向に降りようとしない。もじもじするばかりの叶子に、どうかしたのかとブランドンは首を傾げた。
「あ、あの降りたいんですけど」
「ん? ……ああ、ちょっと待って」
ブランドンは扉を開けると一旦車外に出た。こういうことは意外に気が回らないのだなと感じた叶子は、やはりジャックの方が素敵だという事を再確認していた。
頭がぶつからないように背中を屈め、ステップに足をかける。先に車外に出ていたブランドンは、「ああ」と呟いた。
「――ちなみに、カナコ側にもドアがあるんだがな」
「え!? あだっ!」
そう言われて、天井に頭をぶつけてしまった。
「あ、やっぱり気付いてなかったのか。これ、三列シートの七人乗りだけど、ワンボックスじゃないからそっちにもドアあるぞ」
ブランドンに指をさされて頭をさすりながら振り返れば、確かに叶子側でもドアがあってちゃんと開けられるようになっているのがわかった。
如何に自分が車の構造に対して無知で尚且つ、乗り慣れていないかがバレてしまい恥ずかしくなる。しかも、ジャックの方が素敵だと鼻を高くしていたのだから尚更情けない。
(きっと、車の中で窓を開けてって言われたとしても、どれを押せば窓が開くのかとかわからなかっただろうな)
と、言ってくれれば私が開けたのにと思っていたことを、急いでかき消した。
「す、すみません!」
「ああ、いいよ、いいよ。俺も最近日本の生活に慣れてしまってたから、レディーファーストを意識するのを忘れてたし丁度良かった」
顔を真っ赤にしながら車から足を降ろした叶子にブランドンは手を差し伸べると、もう一方の手を胸元に置き、わざとらしく頭を深く下げた。
「さて。では参りましょうか、レディ」
「じょ、冗談は止めて下さい!」
そう言ってウインクをすると、嫌がる叶子の手をそのまま自分の腕に巻きつけて、さも英国紳士の様な立ち居振舞いで歩き出した。
「あの、本当にすみませんでした。私が勘違いしたせいで、何だか部屋の前まで送らせてしまう羽目になってしまって」
部屋の扉の前で何度も頭をペコペコと下げた。穴があったら入りたいとはこの事だと心の底から思う。そんな叶子とは対照的に、ブランドンは至っておだやかだった。
「全然。そんな風に思ってないし」
ニコッと笑うその笑顔に、ジャックの姿を思わず重ねてしまう。初めてブランドンと会った時はキツイ印象を持っていたのが、会う回数を増す毎にその印象は徐々に崩されていく。ジャックの考えていることがわからなくなっている今、同じ顔をしたブランドンに優しくされると勘違いしてしまいそうになる。彼はジャックとは違うんだと、叶子は自分に言い聞かせた。
せめてブランドンが背中を向けてから扉の中へ入ろうと思って待っていたが、ブランドンが立ち去る気配は全く感じられない。ジャックが送ってくれる時はいつも彼女が部屋の扉を閉めるのを確認してから帰っていく。彼もそうした様に、ブランドンもそうするつもりなのだろう。それならば早く中へ入らなければと、慌てて扉の鍵を開けた。
「では、本当にすみませんでした。失礼します」
「ああ、また」
最後にもう一度深く頭を下げた。
頭を上げて乱れた髪に手をやると、その手首を軽く掴まれた。そのまま顔から遠ざけられるとブランドンの顔が即座に接近し、チュッと軽い音が聞こえたと同時に頬にブランドンの唇とその周りを囲む無精髭がふっと触れた。
全ての動作が流れるように自然で、あっという間に行われた。叶子がキョトンとしているのに対し、ブランドンはニコッと口元だけで微笑んでいる。すぐに踵を返して歩き始めると、角を曲がる時に軽く手を上げながらブランドンは姿を消していった。




