第14話~癒されぬ傷痕~
「あ、良かった。まだあった。こんなのしか無いけど、いいかな?」
ジャックはクローゼットの奥からVネックのセーターを探し当てると、背を向けた格好でベッドの端に腰掛けシーツにくるまり小さくなっている叶子へと近づいた。ベッドの上を横切り背後からそれを差し出す。叶子は黙ってそれを受け取るとシーツを肩から外し、惜しげもなくその肌をさらした。きっと色んな事が有りすぎたからであろう。つい先ほどまで、あれほど恥ずかしがっていたのが嘘のように一切の躊躇も感じられなかった。
「……。――?」
肩甲骨のすぐ下にある赤い痕。キスマークにも見て取れるそれが一体何なのかが気になり、ジャックはそっと指を触れさせた。セーターに両腕を通した時に触れられた叶子は、思わず身体がピクンッと波打つ。
「これ、何の痕?」
「さっき……、驚いて後ろに下がってシャワーを引っ掛けるフックに打った時のだと思う」
叫び声に続き悲鳴が聞こえたのはこれだったのかと、彼の頭の中で繋がった。
背中に触れられているせいでまだ服を着る事が出来ない。両袖を通したまま、胸の前でセーターを抱きしめるようにしていると、チュッっという音と共に背中の痕に温かいものが触れ、手のひらに少し力が入った。
「ごめんね……僕のせいだ。僕がもっと早くあの扉の存在に気付いていたら」
「……」
背後から腕が伸びてきて、お腹の前でやさしく組まれた。肩に彼の頭が埋められ、背中に彼の体温を直に感じる。本当ならとても嬉しい瞬間のはずなのに、そう思いたいのに。でも、どうしてもそうは思えなくて頭が混乱した。
「カナ」
耳の側で囁かれ、そのすぐ下にキスが落とされる。
「カナ――カナ……」
何度も名前を呼んでは、首筋にそっとキスを落としていく。ジャックの手のひらが腰で溜まったシーツの下に潜り、太ももに優しく触れながら上下する。背中に伝わる鼓動が早まったのを感じると、彼の息遣いも僅かではあるが乱れだしたのがわかった。
「や、やめて」
途端、叶子の表情に緊張が走る。丸めていた背筋をピンと伸ばし、背中に感じるぬくもりから離れた。顔は見えないけれど、悲しそうにしているジャックの顔が頭に浮かぶ。
「カ、ナ……?」
「や、やめて。そんな声で名前を呼ばないで」
「ごめん、怒ってるよね。全部僕が悪いんだ」
誰が悪いとか責めるつもりは毛頭ない。なのに、今の気持ちを誰かにぶちまけないと自分を保てそうにないと、叶子は声を荒げた。
「……貴方を責めるつもりじゃないけどっ! ――でも、さっきの事も、貴方の会社での事も、全部未然に防げた事じゃないの? なのに、何で……」
両手で鼻と口を隠すように塞いで目を閉じると、ブランドンが自分の身体をじっくりと堪能している様子が脳裏に浮かんでくる。髪を切って露出された襟足から背中の窪みを通り、お尻のカーブを伝って足のつま先までその視線は熱く注がれたのだろうか。オレンジ色の照明と湯気で視界は完全では無かっただろうが、一糸纏わぬ姿を目撃されているのは紛れも無い事実。現に、ブランドン本人も「愉しませてもらった」と言った類のことを言っていた。
帰国してからはここのバスルームを彼は毎日使っていた筈なのに、日々の仕事で疲れていたとはいえ、今の今まで奥の扉に気付かずにいたなんて。社長室での一件にしても、ジュディスの静止も聞かずに部屋の中に押し込まれた。彼が急かさなければジュディスにブランドンが中にいると言う事実を告げられて、事なきを得ていただろう。
そもそも、急にアメリカに行ってしまったり仕事の都合で転々と色んな国へ行っている間も、もともとメールはしないタイプな上にろくに電話もくれないものだから、待ってる方は気が気でならない。今までは、仕事で大変そうだから彼の重荷になる事は言わないでおこう、と思っていたけれど、流石の叶子もとうとうぶちまけないことにはいられなくなってしまった。
「貴方は勝手すぎる」
(……私、何言ってるの?)
「毎日仕事ばっかりしてるから、こんな事になるのよ。仕事が一番、私なんかいつも二の次なんだからっ!」
(だっ、ダメ! そんなこと言ったら彼の負担になる!)
「……今日だって、私が何度も電話しなければ貴方はどうするつもりだったの? ど、どーせ何もなかったかの様に明日帰国してたんじゃないの? いっ、一年だよ? 一年振りに逢えたんだよ? 『逢いたい』とか『愛してる』って……。言ってる事とやってる事が全然違うじゃない!」
(違う! そんなこと言いたいわけじゃない)
「……」
ジャックの顔を見ながらだと涙が零れてしまいそうだったから、顔を背けたままで思っていることをぶちまけてしまった。本当はこんな事を言いたかった訳じゃ無い。おそらく今彼が一番聞きたくない言葉を、躊躇いながらもつらつらと吐き出してしまった。
彼の大きなセーターを頭からスポッと被って立ち上がる。すぐ後ろにいた彼の顔も見る事が出来ず、ぐるりと反対側へ回りこむと背中を向けて布団の中へ潜り込んだ。
(やだ、何か言ってよ。なんで何も言ってくれないの? こんな事言うつもりじゃ無かったのに……今更引っ込みつかないよ。何でもいいから、何か言って!)
先ほどまであった背中のぬくもりが恋しい。早く側に来て抱きしめて欲しい。嘘でもいいから「仕事よりカナを取る」って言って欲しい。そしたら素直に謝ることが出来るのに。
「……」
けれども、その願いは叶えられることなく、ジャックはベッドルームのフロアライトを消すと何も言わずに立ち去ってしまった。




