第10話~赤人~
大きな部屋の隅に、パテーションで仕切られただけのベッドルーム。そこには、柔らかい照明にぼんやりと映し出された、黒を基調にしたキングサイズのベッドが鎮座していた。ジャックはその上で無防備に寝転がり、ベッドの傍らでボーっと成す術も無く立ち尽くしている叶子をただじっと見つめていた。
(ど、どうしたらいいの? ……何か言ってよ)
ジャックは横向きになり、頭を支えるように肘をついた。それでもまだ何も言わず、ただうろたえている叶子を見つめているだけだった。
黒いスーツを着た彼が黒いシーツのベッドに横たわっている。大きな瞳でじっと見つめられると、まるで毛並みの綺麗な黒猫が寝そべっている様にも見えた。
「あ、あのっ」
「――」
この沈黙が耐えられなくなり、思わず目に込みあがってくるものを感じる。いつもであれば、「君はここに座って」と言わんばかりに椅子をひいてくれたり、喉が少し渇いたなと思えば飲み物を用意してくれたりと、欲するものは大抵彼が先に満たしてくれていた。だから、今のように何の指示も無くただジーッと叶子が自分の意思で動くのを見届けられるのが辛い。そう思うと同時に、今まで彼にどっぷりと甘えていた事に気付かされた様で胸が苦しくなった。
どうしよう。何をすれば正解なんだろう。と、叶子は一向に答えを出す事が出来ないでいた。
「――……ふふっ。――カナ、おいで?」
叶子の潤んだ目を見てしまってはいつまでも意地の悪いことをするわけにはいかない。観念したかのように少し噴出すとベッドの上をポンポンと叩いた。
やっとの事でこの羞恥から逃れる事が出来ると、一気に体中の力が抜けていく。ジャックに背を向けるようにして腰を下ろすと、ベッドが沈むのと同時にジャックも叶子の側へと近づき小さな手をぎゅっと握り締めた。
「怖かったの?」
と、優しく問いかけた。
(ああ、もう本当ずるい人)
普段はあんなに優しいのに、ふと、今みたいな意地悪をする。そしてまた、普段の優しい彼に戻るのだから夢中にならない方がおかしい。
「も、もう、私をからかうのは止めて」
「ん、ごめんね」
ぎゅっと握られた手。彼の親指が彼女の手の甲を優しくなぞることで彼女の緊張も徐々にほぐれていく。優しい彼の何気ない仕草に、我慢していた涙がまた込み上げてきそうになるのを必死で堪えた。
「あ、ごめんね。疲れてるんだから早く寝ないとダメだね」
「……そうだね。――っと、忘れないうちに目覚ましをセットしとかなきゃ」
ジャックは仰向けになり、手探りでヘッドボードに置いてあるリモコンを探している。
「ん? 何処だ?」
あっちこっちを手探りで探すが、肝心のリモコンに手を触れる事が出来ずにいた。面倒臭いのか体を起こす気の無い彼に呆れて代わりにぐっと手を伸ばす。が、叶子も届かないようで仕方なく一旦立ち上がった。
片膝をベッドにつき、彼に覆いかぶさるようにしてリモコンへと手を伸ばす。
「んー、……よっと」
指先でリモコンを手元に手繰り寄せていると、下から聞こえてきた声にハッとした。
「凄い……いい眺め」
「え?」
ピューッと小さく口笛が鳴る音が聞こえて思わず下を向くと、ソファーにいた時にシャツのボタンを外されていたということを今更ながら思い出した。叶子の真下では、鳩尾まで開けられたシャツから覗くキャミソールの胸元を、ジャックが指でクイッと下に引っ張りながらその中を覗き込んでいる。完全に気が緩んでいた叶子は自分がどんな態勢になっているかなど全く気にも留めておらず、恥ずかしいとは思ったもののかがんでいたことで重力により二割り増し位大きく見えたであろう事だけが、せめてもの救いになった。
「やっ……だ、もう!」
ジャックの手を払いのけ、片手でシャツをかき集める。払い除けられた彼の手はすぐに彼女の細腰を掴み、叶子が逃げようとするのを阻んだ。
片手を彼の顔の横に付き、もう一方の手はシャツを合わせて胸元が見えないようにと必死で隠している。真下では相変わらず色っぽい目つきで彼女を見つめる彼がいて、胸元に置いた手が一瞬弾むくらいドクンっと大きな音を立てた。
(逃げなきゃ)
何故か咄嗟に彼女はそう思った。
逃げなきゃ、逃げないとと、心の中で何度も呟くも腰を掴まれた彼の手に阻まれて動けなかった。
「あ、の――」
「ねぇ、君を綺麗に変身させた人は男?」
「えっ?」
一瞬ギクリとしたが、すぐに美容室での担当者の事を言ってるんだろうと思い直した。まさか、健人のアドバイスを受けてだなんて口が裂けても言えない。
「う、ううん。女性の美容師さんだよ? それがどうかした?」
世間話をしたいのなら、何もこんな態勢でしなくてもと困り果てていると、すぐに彼が行動を起こした。
「そう。男だったら、嫉妬しまくってたな」
「? や、ちょ――」
言い終わるや否や、ジャックは叶子の腰を自分の体の上まで無理に動かし、そのせいでバランスを失ってしまった叶子は胸元を隠していた手を離し、彼の顔の両脇に手を付いた。
「跨いで?」
「えっ! そんなの無っ……理ぃ!?」
と言った側から彼の男の力によって、なんなく跨がされてしまった。
彼の顔の両脇に両手を付き、彼の腰を囲うように四つん這いになっている。胸元は当然隠すことも出来ず、膝まであったタイトスカートはずり上がり細い太ももが露になった。
(な!? い、嫌、こんな格好!)
頭に一瞬にして血が上り今にも気を失いそうだ。離れたいのに、ジャックの手は叶子の腰を掴んではなさない。
「や、やめてよ! さっき『もうからかわない』って約束した所じゃな――」
「したくなった」
言葉を遮ってそう一言呟いた。ジャックが何を言っているのかわからない位、叶子は動揺していた。
「は? え? な、何言って――」
「からかってない、急にしたくなった。抱きたくなった。愛し合いたい。君が欲しい。セック――」
「ももももっ! もういいから!!!」
放って置いたら留まる事を知らなさそうな恥ずかしい言葉の羅列に、叶子の顔が真っ赤に染まる。目をぎゅっと瞑っていると、顎を指で軽く掴まれ思わず目を開けた。
「さっきからキスしたいんだけど。この唇がセクシー過ぎて出来ないよ」
「?」
「そう思うんだったら、普通はしたくなるもんじゃないの?」と思いつつ、言いながらも目を細めているジャックの目つきの方が目のやり場に困ってしまった。
「いいね、この色。良く似合ってるよ。キスしたら消えちゃうから勿体無いよね」
「ああ、そういう事、ね。これ、サンプルで貰ってるし、品番も書いてるから今度買おうかと思ってるの」
「そか。……それってさ? 『だから安心してキスして』って意味?」
「もっ! またぁー!!」
「ははっ。冗談冗談。でもさ、僕からは勿体無くて出来ないから、君からして?」
「ええっ! むむむむ、無理無理!!」
世界には白人、黒人、黄色人種と様々な人種が存在するが、彼と一緒にいる時に自分の人種を例えるとすればきっと赤人だと思う位、普段の肌色でいることが少ない様な気がする。もう、何でこんなに自分を困らせるんだろうと、口を尖らせて眉尻を下げると優しい声が聞こえてきた。
「大丈夫。ちゃんとリードするから」
ジャックの両手が火照る叶子の頬を包み、彼が優しく微笑む。
「カナ、おいで」
「――」
その大きな瞳に、吸い込まれるように堕ちていった。




