第9話~サディスト~
「……」
「…………」
「………………、るい」
「……うーん――」
「……ず、……るい。――っ!」
(ずるい! ずるい! ずるい! ずるい! ずるいよ!!!)
叶子の首元にジャックの顔が埋まっただけでなく、体に巻きつくように腕も足も羽交い絞めにされていては身動きが取れない。完全に抱き枕と勘違いしているのか、ジャックは叶子を抱き締めたまま心地よさそうに寝息を立てていた。
不自然にピンと真っ直ぐ伸ばさざるを得ない両手と両足。二人で寝るには手狭なソファー。だんだんとあちらこちらに痛みが出始めるも、起こすのは可哀想だとじっと堪え忍んでいた。せめて、寝返りを打ちたいのだが、少しでも動こうとすると何故かジャックの手にぐっと力が入り結局動けないでいる。体が痛くなることが辛いのもあるが、それよりももっと叶子を苦しめていたことがあった。
(……ひ、人をその気にさせといて、『何もしないから』宣言するや否やもう寝ちゃうなんて!!)
一度火照ってしまったこの体を鎮めようとしてるのに、彼の寝息が首筋をくすぐり中々収まりがつかない。疲れているのは良くわかるのだけれど、このままこのソファーの上で夜を明かすのはいかがなものか。一年振りに再会を果たした最初の夜であり、また、しばらく会えなくなる最後の夜にしては何ともお粗末だ。彼だって体の疲れが取れないだろうし、何よりもこのままじゃ彼女の方が精神的に朝まで持たない。気持ち良さそうに寝息を立てているジャックには申し訳ないがお互いの為にと一度彼を起こし、ベッドへ移動してもらおうと腕をポンポンと叩いて声を掛けた。
「ジャック、ジャック起きて」
「――」
けれども瞼は硬く閉じられていて全く起きる気配は無い。幸い、彼の腕が少し緩んだのを見計らって上体を起こすと、顔をのぞきながら今度は大きく体を揺らしてみた。
「ねぇ、ジャック! おきてってば! こんなとこで寝ちゃうと風邪引くよ?」
「……うーん……――」
「ん、もう! ……――」
横向きになっていたジャックは、天井を見上げるように寝返りを打った。片足を立て、頭上に上げた右手はソファーの肘掛からぶらんと垂れ下がっている。叶子はというとそのままの姿勢で彼の側に腰掛けながら、不意に現れた中性的で綺麗な顔立ちについ見とれてしまっていた。
目を瞑っていると睫毛の長さが良くわかる。指をそっと伸ばしその睫毛に触れると、瞼がピクッと僅かに動き慌てて指を離した。
起きる様子が無いのがわかると、その指は一層好奇心を増し更なる冒険を始める。綺麗な直線的なラインの眉毛を辿り、スッと筋の通った鼻の上を指でそっとなぞった。
「……」
次は彼の唇に白くて細い指が伸びていく。
「――襲っちゃうから」
ほんのり赤みがかかった薄い唇。笑うと以外に大きな彼の口。真っ白で綺麗な歯がこの奥に行儀良く並んでいる。さっきもこの唇が欲しかったのに、結局首にしか貰えなかった。
口先を尖らせながらそっとなぞり終えると、次は彼の頬に手の甲を滑らせた。
「焦らし上手も場合によりけりだよ。私の身にもなってよね、もう」
少し拗ねた様な声で呟くと、ゆっくり顔を近づけていった。距離が狭まるにつれて叶子の瞼も伏せられていく。
「?」
ふと、彼の口角が少し上がった様な気がしたと思った時、それは的中した。
頬に添えていた手が、横にだらんと伸びていたはずの彼の手に突然さえぎられる。「え?」と思ったのもつかの間、彼の口角は完全にきゅっと上がっていた。
「ジ、……ひゃっ!」
次の瞬間、あっという間にジャックの下に組み伏せられてしまった。彼が完全に目を覚ましているのだと言うことを知り、みるみる頬が紅潮していく。
「い、いつから起きてたの!?」
「うーん、『私の身にもなってよ』って言ったあたりかな?」
「ね、寝たふり!? ひどい!」
「いや、待てよ。『襲っちゃうぞ』とかも言ってたなぁ」
「いっ!?」
まるで面白い玩具を見つけた子供の様な顔で、にまにまと叶子を見下ろしている。そんなジャックの表情を見ると全身の毛がぶわっと逆立つと同時に、スーッと冷たい水が背中を滑り落ちる感覚に陥った。
「……だっ、ダメよ? ダメダメ! 無理だからね!!」
両手と顔をぶんぶん振って、今彼が考えているであろうことに対して先に答えをだすも、ジャックは聞く耳持たないと言わんばかりに叶子の背中にスッと腕を入れ彼女を抱き起こした。ニッと笑って立ち上がると叶子の手首を捕まえる。そのまま叶子を引きずるかのようにベッドに向かってスタスタと歩き出すと手首を解放し、ジャックは仰向けになりベッドの上に寝転がった。ベッドサイドで両手を胸の前で組んでたじろぐ叶子に、大の字で寝転がったジャックが視線を向けた。
「はい、どうぞ?」
「!!!」
てっきり、寝ているものと思って呟いた言葉をしっかり聞かれ、動揺を隠し切れないでいる所に更に追い討ちをかけてくる。今の彼のその態度がまるで、“欲求不満なんでしょ? お好きなようにどうぞ?”と言っているみたいだから、恥ずかしくてたまらななかった。
ベッドからじっと様子を見ている彼と、顔面蒼白で立ち尽くす彼女。短い夜だと思っていたのが、意外と長い夜になりそうだなと、叶子はようやく気付き始めたのだった。




