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運命の人  作者: まる。
第5章 触手
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第8話~彼のスタイル~

 バンッ! と勢い良く開け放たれた扉と共に、流れ込んできた甘い香り。細身のブラックスーツとシャツを品良く着こなし、ネクタイは帰り際にでも外したのか、胸元のポケットに無造作に押し込まれている。ストレートの黒髪が歩くたびにふわふわとなびいていて、目の下まで伸びた前髪の隙間から見える長い睫毛と大きな瞳が一際彼をセクシーに魅せていた。

 当の本人は全く狙ってるつもりではないと言うからまたやっかいだ。自覚がない人ほど周りを引き付けている事に気付かないもので、変に意識していない自然な立ち居振舞いが周囲の女性達を虜にするのだろう。


(はぁー……、本当に素敵な人)


 自分の恋人ながら惚れ惚れする。声を掛けるのを忘れてついうっとりと見惚れていると、先にジャックの方が叶子を見つけた。


「ああ、もう、ほんっとごめん! 遅くなっちゃって」

「お……、お帰りなさい!!!」


 叶子の顔がぱっと一瞬で明るくなった。やっと彼と会うことが出来、先ほどまで感じていた眠気も、明日の朝早い会議すらも一瞬にして何処かに飛んでいく。このまま寝ずにいても全然構わないと思う程、嬉しい瞬間だった。

 ジャックはすぐさま叶子が座っているソファーへと向かう。後ろに倒れこむようにしてボスッと腰を落とすと、両手で自分の顔を覆った。


「ああー、もう疲れたよー。クタクタ……もう無理」


 彼にしては珍しく弱音を吐いている。ジャックは今にもそこで眠りに落ちそうなほどにソファーと体が一体化していた。


(きっと物凄く疲れてるんだろうなぁ……。疲れてる時って一人でゆっくりしたいもんだよね。――なのに、私ったら自分の事ばっかり……)


 せっかく晴れた顔もみるみる曇り始めてしまった。ダメだ、このままではジャックに気付かれてしまう。せっかく時間を作ってくれたというのに余計な気を使わせたくはないと、叶子はキュッと口角を上げ、声のトーンも少し高くした。


「あ、あの、ごめんね? 疲れてるのに子供みたいに、会いたいなんて我侭言っちゃって」

「――」


 上目遣いで顔を覗き込む様にしてそう言うと、ジャックは覆っていた両手でそのまま長い前髪を後ろにかき上げた。先ほどまでは前髪で隠されていたはっきりとした目鼻立ちの綺麗な顔が現れる。そこで今日初めてハッキリと目が合い、ドキッと胸が一際大きな音を立てた。

 ジャックは鼻で深く息を吸い込むと、今にも寝てしまいそうなトロンとした目で叶子をじっと見つめている。そんな、いつになく艶っぽい彼を直視するのが困難になり、叶子は思わず目を逸らしてしまった。

 何か発してくれればいいのに、何も言わないのがまた緊張に拍車をかけた。


「……? ――っ、」


 髪をかき上げた手を両膝に落とす。上体を起こし、叶子の目と鼻の先までぐっと近づいた。彼の香りをすぐそばで感じ、吐息が口元を掠める。叶子は大きな目をぱちっと見開いたまま視線を泳がせ、近づきすぎて息を吐くことも出来なくなってしまった。


「な、何?」

「何か、今日のカナ。いつもと違う」

「え?」


 叶子の顔全体を舐めまわす様にじっと見つめられる。かと思うと、その視線は首元に移り、何かに気付いたジャックは叶子の首もとにそのまま顔を近づけた。


「や、……も……っ」


 思わず上げた肩が邪魔だと言わんばかりにぐっと押さえつけられ、クンクンと匂いを嗅ぎだした。右側をそうしたように左側にも頭を移動させ、またクンクンと匂いを嗅いでいる。何を思ってそんな事をしているのかはわからなかったが、されている方はたまらない。いっそこのまま顔を埋めてくれればいいのに――と、やるせなさで一杯になった。

 やがて、その行為に満足したように首元から離れると、自分の顎に手を置く。今度は少し体をはなして彼女を全体的に調べ始めた。


「ふむ。髪型は変わったよね? 後は……メイクがいつもと全然違う。コスメを変えたのかな? いつものカナの匂いじゃないな」


 ウン。と一つ納得したように彼が頷いた。


「あ、うん。カットしてきたの。で、カットと一緒だとメイクの料金が割引になるって聞いたから、そこでメイクもしてもらって――」


 短くなった襟足を両手で隠しながら伏目がちに言う。別に割引云々はいらぬ説明だったのだけど、彼と会うから張り切りました感が前面に押し出されるのが恥ずかしくて、ついそんな風に言ってしまった。

 ジャックが何も感想を言わないことで、ああ、やっぱり失敗だったのかと少し不安になる。けれども、そんな不安はすぐに解消されて、


「うん、凄く似合うよ。見違えちゃったね」

「ほ、本当?」

「うん」


 眠そうにしながらも口元を緩め、やさしく微笑んでくれた。疲れているからか、健人ほど目に見えて驚いた様子を見せる訳では無かったが、そんなのどうでもいい位嬉しさで一杯になる。疲労困憊な彼を見たときには自分の行動を後悔したが、思い切ってよかったとホッと胸を撫で下ろした。


「あとさ、『会いたい』って正直に言ってくれるのは凄く嬉しいことだよ? 君はあまりそんな事言ってくれないから、余計に嬉しかった」


 もしかしたら自分に気を使って言ってくれてるのかもしれないけれど、自分の我侭をこのまま聞き入れてくれた彼に心から感謝した。


「――、……?」


 彼の影が移動し、また近づいて来るのがわかる。襟足を押さえていた叶子の両手首を捕まえるとゆっくりと首から引き離され、温もりと隠す術を失った首元が惜しげもなく彼の目前にさらされた。


「髪がここまで短いのもいいね」

「そ、う?」


 手首を捕まえたまま彼女の首元へまた近づいた。一瞬ビクッと体が反応してしまうが、また、普段と違う叶子の匂いを嗅ぐのだろうかと油断していた。


「……ゃ、」


 あっさりと耳の下辺りにチュッとキスを落とされる。ジャックの髪の香りが鼻孔をくすぐり、頬にさらさらと柔らかい髪が触れる。ついさっき、貰えそうで貰えなかったモノを急に与えられたことで、脳天まで一気に電流が走った様な気分になった。


「キスしやすくて、……いいね」

「やだ、もう! そっ……ち……っ」


 ジャックの唇が耳の下から少しづつ下に降りていったことで、叶子は言葉を続ける事が出来ないでいた。

 ゆっくりと味わうようにして、濡れた音を立てながら這う彼の温かい唇。片側が終わるとそのまま顎の下や喉下、そして、今度は反対側の首筋を優しく労わるかの様に味わい続けた。

 いつの間にか何個か外されていたシャツのボタン。そこから鎖骨に沿って彼の大きな手が彼女の肩を露出させ、その手を追うようにして首筋から肩まで、その唇を這わせていった。

 自然とソファーに押し倒された格好になり、彼女も彼の背に腕を巻きつける。与えられるキスが焦れったくて巻きつけた手に力が入った。弱い所をつかれると勝手に爪が立ち、ジャックも背中にソレを感じたのか叶子の弱い所を執拗に追い求めた。

 一通り味わい終えた彼の唇が更なる獲物を探し、耳元へと辿り着く。また、ビクンッと勝手に体が反応してしまい、恥ずかしさでカーッと頬が熱を帯びた。

 耳のすぐそばで彼の息遣いが聞こえ、感情が高ぶりだす。


「今日、このまま泊まるよね?」


 と、優しく囁かれた声が耳に触れ、それだけで頭がおかしくなりそうだった。

 即答しようとした時に、健人が最後に言い放った言葉が脳裏をかすめ、部屋の時計に視線を移す。見ると、針はとうに夜中の三時を過ぎていた。


「あ、えと」

「……」


 叶子が返事を渋ったことで、ジャックは眉根に深い皺を刻んだ。


「まさか、帰るって言わないよね?」

「……あの、明日の朝一で会議があって。――まぁそれは、時間に間に合えばどってことないんだけど。その、流石に同じ服で会社に行けないから一旦着替えに帰ろうかと」

「カナまで僕を殺す気なの?」

「え? 何で? それってどういう……?」

「もう、僕疲れすぎて君を無事に送り届ける事なんて出来っこないよー」

「え? そんな送るなんて、いいよ! っ……ぅんっ」


 ヘナヘナと叶子の首元に彼の頭が倒れこんだ。彼の吐く息が首筋にさわさわと当たり、思考がぶっ飛んでしまう。真面目な話をしたいのにさせてもらえず、また、首筋にチュッと音を立てながらキスを落とされた。


「お願いだからこのまま泊まって行って。僕、明日――って今日か。朝の六時には家を出る予定だから、そのまま君の家に送るよ。それで間に合うでしょ?」

「……早いのね」

「ん。最後のツメをしっかりしておかないといけないから。どうせ午後からのフライトだしそこでゆっくり眠るつもり」

「そっか」


 あと数時間でまた離れ離れになってしまうのだと思うと、今のこの時間を大切にしたい。


「だから、ね? 泊まっていってよ」

「うん。わかった」

「良かったー、ありがとう」


 少しの時間でも一緒にいたいのは自分も同じだと、叶子は黙って首を振った。


「あとさ、お願いついででアレなんだけど」

「うん?」

「今日、僕、出来そうに無いから。……ごめんね?」

「え??」   


「何の事?」とでも言いたそうな叶子に、ジャックは顔を上げるとそのまま耳元へ唇を寄せ、


「セックス」

「っ!!!」


 と、一段と低い声で囁いた。あわてふためく叶子に気づくはずもなく、まるで抱き枕を抱え込むようにして彼女を横からぎゅっと抱きしめ、ジャックはゆっくりと瞼を閉じた。

 何を考えていたのかがばれていたのかと思い、叶子は真っ赤になった顔を両手で覆った。






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