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運命の人  作者: まる。
第5章 触手
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第6話~思いやるということ~

 ショーウィンドウに映る変身した自分の姿を見つめながら、冷たい携帯電話を耳に押し当てている。そこに映っている自分は紛れもなく恋をしている女そのものの顔をしていた。

 ドキドキとやたらうるさい胸の音を抑えるように、もう片方の手をそっと胸に添える。彼の声が聞きたくて、彼に早く会いたくて思い切って押したボタンだったが、電話の向こうから聞こえて来たのは無情にも機械的な音声であった。


「……」


 叶子はすぐに電話を切り、そして途方に暮れた。やはり彼が言ったとおりこのまま会えずに終わるのだろうか。彼自身はその事を既にわかっていて、目の前の仕事に没頭しているのだろうか。


(仕事だもの、仕方ないよね?)


 そう自分に言い聞かせて、無理やり納得させようとしていた。


(……でも、たまたま地下にいたりとかで、電波が届かなかったのかもしれないし)


 ピタッと立ち止まり、再び携帯電話を手にする。だが、何度かけ直してみても一向に変わらぬ状況に、不安な気持ちは風船の様にどんどん膨らんでいった。

 せめて、一度だけでも呼び出し音が鳴ってくれさえすれば、着信履歴に表示がされると言うのに。留守番電話にも切り替えられず、ただ「電源が入っていないか――」と、ぶっきらぼうに繰り返されるだけであった。


(やっぱり――嫌だ、このまま会えないなんて。仕事だから仕方ないなんて簡単に割り切れるほど、私は出来た人間じゃない!)


 覚悟を決めたのか「ヨシ!」と意気込むと、叶子はその場で何度も掛けなおし始めた。

 掛けても掛けても聞こえてくるのは、機械的なメッセージ。それでも、いつか繋がるはずだと信じてひたすら電話をかけ続けた。

 携帯の電池が徐々に減っていき、気づけばあと一メモリしか無い。慌てて近くの携帯ショップに駆け込むが、ガラガラガラと目の前で閉まったシャッターに、思わず時計を見た。


(九時か。仕方ない、コンビニで充電器でも買おう)


 焦りを見せていた表情が次第に曇り始め、と同時に歩く速度も緩やかになって行く。なんだか一人だけ舞い上がって、馬鹿みたいだと自らを卑下した。

 目一杯お洒落をして、フル近くあった充電が無くなるほど反応が無いと言うのに、諦めることなく何度も何度も掛け直している。そもそも、電源が切られている時点で叶子の事など考えていないのでは無いだろうか。そう思いたくは無いがこうも繋がらない今の状況では、日本を経つ前にもう一度会いたいと思って必死になっているのは自分だけなのだと思わざるを得ない。いくら恋人同士とは言え、愛情の重さが必ずしも同じとは限らないのだし相手に見返りを求めてはならないのだけれど、ジャックとの温度差に気付くと高ぶる感情がスッと落ち着きを取り戻したのがわかった。


(それでもっ! 煙たがられたとしても、一目でいいから会いたい)


 そうやって、必死で自分を奮い立たせようとしてみても、明らかにコンビニへと向かう足取りがどっと重くなっている。勝手にこみ上げてくる涙で視界が見えにくくなりながらも、叶子は電話を掛け続けた。


 やっとの事でコンビニを見つける。店のドアに手を掛けたとき、繋がらない電話を一旦切ろうと例の機械的なメッセージを待っていた。


「あれ?」


 聞き慣れてしまっていた音声が聞こえず、無音の状態が続く。扉に手を掛けていた叶子は早く店の中に入りたいのにそれをさせてもらえない。発信ボタンを押すのを忘れたのかもと一度耳から離して見てみるも、ちゃんと通話中の表示が出ていた。


「――。……? あっ、すみません」


 叶子がドアの扉を掴んだまま動かなかったので、背後にいた人が入れなくて立ち往生していた。軽く会釈をして携帯を耳にはり付けたまま少し横にずれると、「プルッ」と僅かに呼び出し音が聞こえた。


(!!)

「えっ!? も、もしもし……??」


 急に繋がったと思えば、素っ頓狂な声を上げたジャックが電話口に現れ、曇っていた顔はぱあっと雲間から光が差すようにみるみる笑顔に変わった。


「っ!! もしもし!!」

「え? ああ、カナ? びっくりした!」

「え?」

「いや、今電源入れた途端着信してさ。びっくりして思わず受話ボタン押しちゃったから、誰からかわかってなかったんだ。良かったージュディスじゃなくて」


 ジャックはそう言うと、電話の向こうから「ふーっ」と小さなため息が零れた。


「ジュディスさんがどうかしたの?」

「もう、ジュディスが僕に仕事をたんまり振ってくるから、電源切って逃げてたんだよ。で、もうこの時間だとジュディスも帰ってるだろうから大丈夫だと思って電源入れたら、待ってましたと言わんばかりに着信があったからさ。ジュディスかと思って焦ったってワケ。もう携帯解約しようかな? でないと僕、ジュディスに過労死させられちゃうよ」


 電話の向こうでも、ジャックが肩をすくめ眉尻を下げている姿が目に浮かぶ。頭の中で彼の姿を思い描くと、逢いたい気持ちは一層膨らんでいった。


「ダメよ、そんなの」

「え? ああ、勿論冗談だよ? 携帯が無いと仕事にならないし」

「違う」

「え?」

「そっちじゃない」

「??? ……そっち? ――って、どっち??」

「……」

「“過労死する”ってコト?」

「――」


 叶子は何も言わず小さく頷いた。電話だからその仕草は見えないのだが、叶子がジャックの仕草を思い浮かべることが出来るように彼にも彼女が見えていたのか、一段と甘い声で囁いた。


「……僕が君を一人ぼっちにするわけないだろ?」

「ん……」


 声だけなのに、頭がふわっと温かくなる。まるで彼の大きな手のひらでヨシヨシと撫でられている様な不思議な感覚に、諦めずに電話を掛け続けて良かったと心から思った。


「で、カナ? 僕にわざわざ『過労死しないでね』って伝える為に電話して来たんじゃないんでしょ? どうかした? 急用?」


 余韻に浸る暇も無く、彼が矢継ぎ早に話をまとめだした。やはり忙しいのは今も変わらない様だった。


「急用って程じゃ無いんだけど。その、明日――帰るんでしょ?」

「そうなんだよー。だから今日中にやらなきゃいけない仕事が山ほどあって。もう大変!」

「……そっか」


 自分のことを大事に想ってくれているのは、何となく伝わるのだけれども、叶子が今、一番欲しい言葉が貰えない。あれ程、絶対に逢うんだ! と意気込んでいたのが嘘の様に、喉まで出掛かった言葉を何度も飲み込んでいた。

 彼の邪魔をしたくはない。それでも――!


「あ、逢いたいの! ほんの少しでも……。何時になってもいいから!」


 意を決して言ったその一言で、ポンポンと続いていた会話がピタリと止まる。一瞬シーンと静まり返ったが、すぐに彼が子供をなだめる様な口調でゆっくりと話し始めた。


「……ん。僕も同じ気持ちだよ? でも、今日は流石に何時に終わるかわかんないんだ。だから――」

「私は何時になってもいいって言ってるでしょ!? こんなのあんまりだよ。ろくに逢えもせず、貴方はまた遠い国へ行っちゃうなんて!」

「カナ……」


 彼の言葉を最後まで聞かずに声を張り上げた。叶子がここまで自分の気持ちをさらけだしたのは、例え電話と言えども初めての事だった。恐らく、叶子に迷惑を掛けたくないと言うジャックの優しさが、彼にそんな事を言わせるのであろう。そんな事は良くわかっているが、それは今の彼女には逆に冷たさを感じてしまっていた。


「カナ、ごめん。本当に何時に終わるかわからないんだ。もしかしたら徹夜になるかも」

「――。……あ、うん、私の方こそ……ごめんなさい」


 思い切って心の叫びを言葉にしてしまったのがあまりにもみじめに思える。これ以上彼を困らせたくはないと、叶子はすんなりと身を引いた。

 本当は逢いたい、彼に触れて体温を感じたい。一年間も我慢した分と、これからまたしばらく逢えなくなる分を補充しておきたかった。

 だけど、これ以上の我侭を言う事が出来ない叶子にとっては、これが限界だった。


「だから、僕ん家に先に行ってて?」

「うん。――、……って? え? ええ??」


 聞き間違いだろうか。あれ程、もう会えないと言っていたジャックが、家に向かってくれと言った様な気がした。力をなくしていた手に再び力が入り、一言一句逃すまいと携帯電話をぎゅうっと耳に押し付けた。


「僕が仕事終わってから迎えに行くとなると、時間がもったいないでしょ? だから、今からビルに君を迎えに行って貰うから。……先に僕の家で待機しておくよーに!」

「……は、はい!!」


「あはは」と、彼の笑い声が電話の向こうから聞こえる。ジャックにしてやられたと思いつつも、こーいうのも案外心地よかったりするものだ。


 ビルに迎えに来てもらう段取りを手短にし、やっと彼に会えることが嬉しくて顔が綻ぶ。


「じゃあ、カナ。後で」

「うん! 何時でも待ってるから!」

「はは、あんまり働かせないで」

「あ、ごめんなさい」


 少し疲れているような声で、「あはは」と静かに笑った。


「ああ、眠たくなったらベッド勝手に使って寝ててくれてもいいからね?」

「寝ないよっ」

「――ただし、襲うけど」

「っ? ね、寝ないって言ってるでしょ!?」


 ドクンと一際大きく波打つ心臓に叶子自身もびっくりしている。しかし、次に発せられた彼の言葉で、すぐに落ち着きを取り戻していった。


「あはは。……カナ?」

「もうっ!! 今度は何?」

「愛してるよ」


 その言葉と共に、チュッと軽い音が電話の向こうで聞こえた。あれ程うるさかった心臓も波がスーッと引くように穏やかなリズムを刻みだす。


「――私も」


 叶子はそう答えるのが精一杯だった。





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