第2話~邪魔者~
お昼時のレストランは何処も忙しく、皆早く食事にありつきたくてせっかちになる。ランチの時間だけなら一緒に過ごせると聞き、移動する時間がもったいなくて地下のレストラン街で食事を済ますことにした。
せっかく会えたと言うのに、当のジャックはつまらなさそうに頬杖し、利き手に持ったスプーンでお皿の料理をぐちゃぐちゃとかき混ぜている。眉間に皺を寄せ、明らかに機嫌が悪そうな彼を前にすると叶子も食事が上手く喉を通らなかった。
「――ところでさ」
「う、うん?」
かき混ぜていたスプーンをガチャッと雑に置いたせいで、思わずビクッと身構えてしまう。何を言われるのかとゴクリと息をのんだ。
「……何でブランドンがいるの?」
そう言って、ジャックは隣に座っているブランドンを睨み付けた。ブランドンはというと至って冷静な面持ちで、変な事を聞くなぁとでも言いた気に目を丸くしている。
「ん? 腹減ったから?」
「っ! そうじゃないだろっ!? はっきり言えよ! 目的は何なんだ!」
テーブルをバンッと叩きつけ、あれほど賑やかだった店内が一瞬にして静まり返る。当然ながら皆の注目を一身に集めた。
「ち、ちょっと、ジャック」
宜しくない今のこの状況に慌ててたしなめると、ジャックも少し冷静になったのか周りをチラリと見回し背筋を正した。だが、その表情は変わらずムッとしていた。
「何だよ? ただ、俺は弟の恋人――いや、もしかしたら義理の妹になるかも知れない人はどんな人かなって思っただけだが? この間は唐突過ぎてちゃんと挨拶も出来なかったしな」
ブランドンはそう言いながら叶子に向かってウィンクをする。この間の失態を思い出してしまった叶子の耳は、一気に赤くなってしまった。
たった数行の言葉の中には、十分彼女をそうさせる程の言葉ばかりが並べ立てられている。挙句の果てにはウィンクまでされたのだ、恥ずかしくならない方がおかしい。
「……」
そんな二人をみて、ジャックはおもしろくなさそうに再びスプーンを手にしたが、やはり皿の上の料理を食べるわけでもなく、またぐちゃぐちゃとかき混ぜ始めた。
「で、彼女、名前は?」
突然話を振られ、思わず両手を膝の上に置き背を正した。
「あ、はい。申し遅れました、野嶋といいます」
「ノジマ……何?」
「野嶋 叶子です」
「カナコ……。俺はブランドン。知ってると思うけど、コイツの兄だ。よろしく」
ブランドンは首を曲げてジャックの方を指すと、叶子に手を差し出した。慌てて彼女もすぐさま両手を出し、握手に応じる。
「兄って。たった数分早く出てきただけじゃないか」
「それでも、“兄”は“兄”なんだよ」
叶子はブランドンの手を握り締めながら、二人の顔を何度も見比べている。
「え? もしかして?」
ブランドンは手を放すと、そのままテーブルに肘をついて頬杖をつきながら、隣でふてくされている弟をチラリと見た。
「そ。俺達は双子なの」
思いがけない事実に叶子は目をパチパチとさせていた。
◇◆◇
ブランドンを交えた三人での昼食。初めは邪魔者扱いしていた叶子もいつしかブランドンの巧みな話術に引きずり込まれ、おもしろく無さそうにしている彼の態度を知ってか知らずか、気付けばブランドンと二人で会話に華を咲かせていた。
「――」
ジャックは右手にした時計に目を向けると、おもむろに席を立つ。
「そろそろ仕事に戻るよ。君は好きなだけここに居ればいいから、じゃ」
「へー、そうなんですねー……? あ……え? ジャック?」
ジャックはニコッと微笑むと、すぐに顔を背けその場から立ち去ろうとする。背けた時にわずかに見えた彼の目は冷たく、それは、どんなに鈍い者でもこのままここに居座る事は出来ないと思える程であった。
「あ、待って! す、すみません、私もこれで失礼します」
ブランドンに何度も頭を下げると、慌てて叶子はジャックの元へと走っていった。
「はーい。またね」
ブランドンは片手で頬杖を付きながら、もう一方の手をヒラヒラとさせている。
「……」
二人が店を出た後、ブランドンの口の端が少し上がった。
◇◆◇
「ねぇ、ちょっと待って! 待ってってば!」
足の長い彼が早足で歩くと、彼女は小走りで追いかけるしかない。やっとの事でジャケットの裾を捕まえ、彼に追いつくことが出来た。
ゆっくりと振り返ったその顔は何か文句を言いた気だ。
「何? どうして怒ってるの?」
素直に疑問をぶつけると、プイと顔を背けてまたスタスタと歩き出す。慌てて彼の腕を捕まえながら、また小走りでついて行った。
「もしかして……、私がお兄さんと話していたのが気に入らない?」
「あーあー、気に入らないね」
「そんな! だってあの場で黙ってるのって失礼じゃない? それに、貴方だってずっとムスッとして何も話さないし」
彼が急に立ち止まり、片手を額に置いて大きく溜息を吐く。今日会ってから一度もまともに目を合わせてくれなかったが、今やっとまともに叶子の目を見た。
「カナ、あのね。今日僕は君に伝えなきゃいけない事が山ほどあったんだよ。なのに、毎日のハードワークだけでなくブランドンにも妨害された僕のこの気持ち、わかるかい!?」
大きな掌で自分の胸元を何度も叩いている。背の高い彼に見下ろされながらそう言われると、何処か威圧的に感じた。
自然と肩がすくみ、掴んでいた彼の腕をパッと離して胸の前で手を組んだ。
そんな彼女の姿を見て、ハッとした表情になる。
「あ、……ごめん。君を責めるつもりは無いんだけど、つい」
先に謝られると何も言い返すことが出来ない。ただ、ふるふると首を横に振ると、恐る恐る顔を上げた。
「また……今度会った時にでも、ゆっくり話は聞くよ?」
「ありがとう。……でも明後日発つんだ」
「え? 明後日? 早いよ、何で??」
「その辺の話もしたかったんだけどね」
彼は長い両手を広げながら、眉尻を下げた。
「正直、日本を発つ前に君にもう一度会えるかどうかもわからないんだ」
「そんっ……な」
あまりのショックにがっくりと肩を落として項垂れる。一年振りに会えたと言うのにろくに話しをする事もままならず、彼はこのまままた遠い国へ旅立っていく。彼がイライラしているわけが、今になってやっとわかったような気がした。
「ねぇ、だからさ」
「?」
顔を上げるとジャックが一歩前にやってくる。条件反射で後ろに仰け反ったが、すぐに体勢を戻すとチュッっと彼の柔らかい唇が触れた。
顔を赤らめている叶子に甘い顔で微笑むと、ジャックは叶子の腰を抱き寄せた。
「せめて、バイバイするまでさっきのしててよ?」
「さっきの?」
叶子から離れた彼は自分の腰に手をあて、その腕を彼女の方に差し出した。
「??」
まだ理解出来ていない叶子に向かって、彼はもう一方の手で自分の腕を「これだよ! これ!」と指差した。
「え? 何? わかんないよ、口で言って」
「もう!」
おもむろに彼女の手を掴むとそれを自分の腕に通した。ジャックは体を折るようにして叶子の顔を覗き込み、わかったかい? とでも言いた気に眉毛をクッとあげた。
「あ……そういう事ね」
「そ」
やっとわかってもらえたことに満足したジャックは、先程までとは違う穏やかな表情を浮かべながら二人でゆっくりと歩き始めた。
「ねぇ、さっきのって妬いてたの?」
ジャックの腕に自身の腕を絡め、悪戯っぽく叶子が問いかける。言い当てられて恥ずかしいとばかりに、ジャックの頬が少し赤らんだ。
「まっ! ばっ、妬いてないよ!」
「ウソ。目が泳いでる。貴方は嘘をつくとすぐ目が泳ぐんだから」
「ちっ違っ……! って、本当? 僕、いま目泳いでる??」
「やばいな」と呟きながら、両手で目を擦っている。それを見た叶子は嬉しそうに口の端を上げた。
「あ、やっぱりそうなんだ」
「! だ、騙した!?」
コツコツとヒールと革靴の音がロビーに響き渡る。さっきまでの険悪なムードは完全になくなり、二人の顔は笑顔で溢れていた。
あと二日、いや正味一日しか彼と過ごせる日は無いのかもしれない。以前であれば、別れるのが悲しすぎてまともに話など出来なかったというのに、余裕が生まれたのか慣れてしまったのか。今では落ち着いて話が出来ることに彼女自身が一番驚いていた。




