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とある剣士の恋物語

掲載日:2026/10/15

サクッと読める、可愛い恋物語です(´艸`*)

よろしければお読み下さい^^

 東京が江戸と呼ばれていた頃。城下町の片隅にある道場の庭では、一人の人物が竹刀を持って素振りをしていた。


 無造作に束ねた黒髪が揺れ、飛び散る汗が陽の光を反射させる。無我夢中で素振りをするその人物に、声を掛ける者がいた。


「佳那《かな》さん。そろそろ休憩にしませんか」


 声を掛けられた人物――佳那は、笑顔で声の主に答える。


「そうだな。お茶にしようか、進太郎《しんたろう》」




 縁側に並んで正座した二人は、揃って煎茶を口にすると、しばらく青空を見上げる。

 沈黙を破ったのは、進太郎だった。


「……佳那さん。私、今朝、師匠に呼ばれたんです」

「ああ、知ってる」

「それで……言われたんです。そろそろ、添い遂げる相手を見つけなさいと」


 佳那の湯吞み茶碗を持つ手が止まった。

 ……ああ、とうとうこの時が来たか。



 師匠というのは、この剣術道場「棲龍館《せいりゅうかん》」の主、柳葉周一郎《やなぎばしゅういちろう》の事だ。そして、佳那は周一郎の娘。


 本来なら一人娘の佳那が婿を取って、相手に道場の後を継いでもらうのだが、周一郎は新しい考えの持ち主だった。


 佳那には、無理せず好いた男と夫婦《めおと》になって貰いたい。そんな周一郎の意向もあり、道場の後を継ぐのは門下生の中でも実力のある進太郎という事になっている。

 そして、跡取りとなる進太郎には、添い遂げる相手を見つける必要があるというわけだ。



「……そうか。進太郎も私と同じで十八だからな。……お前、好いている娘さんはいるのか?」


 聞かれた進太郎は、目を伏せて答える。


「……はい。一人、私の妻にしたい方がおります。しかし、その方が私の事を男として見て下さっているかどうか……」


 佳那は胸が締め付けられるような心地がしたが、平静を装って言った。


「そうか……その娘さんと上手くいけば良いな」

「ありがとうございます。……では、私は稽古を続けますので」


 そう言って、進太郎はその場を後にした。その後ろ姿は、どことなく寂しそうに見えた。


 縁側で一人になった佳那は、膝に置いた手をギュッと握り締めた。進太郎が自分以外の娘と夫婦になると思うと、目に涙が溜まっていく。


 佳那は、進太郎の事を一人の男として好いていた。




 佳那は八歳の頃から剣術に興味を持ち、毎日のように素振りをしたり父親に稽古をつけて貰ったりしていた。


 と言っても、周りも佳那自身も、女が道場を継げるとは思っていない。佳那はただ単純に、剣の稽古が好きだから剣を振るっていただけだった。


 それでも、女が剣を振るう事を良く思わない門下生に、陰で色々言われてきた。


 ある日、佳那が廊下を歩いていると、稽古場から門下生達の声が聞こえてきた。


「佳那さんは、いつまで剣士の真似事をするつもりなのだろうか」

「あの方、もう十六だろう。もうすぐ添い遂げる相手を見つけるんじゃないか? そしたら剣を持つのをやめるだろうよ」

「でも、あの方を妻にする男なんて現れるか? 剣を振り回すようなじゃじゃ馬、俺だったら御免だね」


 廊下に佳那がいる事に気付かないまま、門下生達は笑い合う。佳那は、ギュッと手を握り締めた。

 自分に可愛げが無い事は分かっている。でも、どうして笑いものにされなければいけないのか。


 その時、他の門下生と一緒に素振りをしていた進太郎が口を開いた。


「私は、生き生きと剣の稽古をする佳那さんは素敵だと思いますけどね」


 佳那は、目を見開いた。そっと稽古場を覗くと、進太郎は冗談を言っている様子も無く、ただ真剣に素振りをしている。


 きっと、本気で佳那の事を素敵だと思っているわけでは無いのだろう。師匠の娘だから、庇《かば》ってくれたに違いない。

 それでも、佳那の心は軽くなった。救われた。


 その日から、佳那は気が付けば進太郎を目で追うようになっていた。




 そして今。縁側で涙を拭いながら、佳那は思った。


 進太郎が他の娘と結ばれるなんて胸が張り裂けそうなくらい悲しいけれど、進太郎には幸せになってほしい。もし進太郎に祝言を挙げると言われたら、笑顔で祝福しようと。



       ◆ ◆ ◆



 その二日後の朝。佳那が稽古場に姿を現すと、門下生達が何やら騒がしい。


「おい、何をしているんだ。もう稽古を始める時間だろう」


 佳那が眉根を寄せながら言うと、門下生の一人が慌てた様子を答えた。


「す、すみません、佳那さん!……実は今、若い娘さんが進太郎さんに会いに来ておりまして……。その、もしかしたら、進太郎さんの許嫁なのではないかと話しておりまして……」

「何?……そうか。まあ、兄弟子の許嫁が来たのならお前達の浮つく気持ちも分かる。しかし、今は稽古に集中しなさい」

「は、はい! すみません、佳那さん!!」


 その後、佳那は他の門下生に交じって稽古を始めた。しかし、あんな事を言っておきながら、一番稽古に集中出来なかったのは他ならぬ佳那自身だった。

 素振りをしている最中に竹刀を落としてしまうなんて、今まで無い事だった。




 昼になり、稽古は一旦休みとなる。佳那は、気分を変えようと庭に出てみた。

 幹の曲がった小さい松の木。少し赤みがかった茶色い土。それらを見ていると、ここ数年の事を思い出す。


 進太郎が十四でこの道場に弟子入りしてから、佳那は度々この庭で進太郎と二人で剣の稽古をしてきた。


 もし進太郎が所帯を持つようになったら、さすがに二人きりで稽古をする事は出来ないだろう。

 そう思うと、佳那は心が空っぽになっていくような感覚がした。




 佳那が小さく溜息を吐いた時、道場の門の方から声が聞こえた。


「それにしても、こんなに早く祝言《しゅうげん》の話をする事になるとは思わなかったぞ」


 進太郎の声だ。佳那は、そっと門の方に近付いて行く。すると、門の側には進太郎と、もう一人佳那と同じくらいの歳の娘がいた。

 娘は、フフと笑って進太郎に答える。


「色々と忙しくなりそうだけど、私は今、幸せよ」


 佳那が側にいる事に気付かない二人は、見つめ合って笑う。その姿を見て、佳那は愕然とした。


 あんなに優しくて穏やかな顔の進太郎を、初めて見た。……祝言とか言っていたし、やはりあの娘が進太郎の許嫁なのか。

 よく見れば、萌黄《もえぎ》色の着物を身に着けたその娘は、大層別嬪(べっぴん)だった。


 ……諦めなければ。進太郎の事を。だって、進太郎には幸せになって貰わないと……。


 気が付くと、佳那は萌黄色の着物の娘に声を掛けていた。


「あの、そこの娘さん!」


 進太郎と娘が、目を見開いてこちらを振り向く。


「佳那さん、いらしたんですか……!?」


 進太郎の声を無視して、佳那は娘に言う。


「進太郎は、真面目過ぎて融通が利かない時がありますが、優しくて頼りになる男です! 私も、沢山、沢山、進太郎に助けられてきました! だから……進太郎を、支えてやって下さい! 幸せにしてやって下さい! お願いします!!」


 佳那は、深々と頭を下げた。目からボロボロと涙が零れる。


 しばらく沈黙が流れた後、進太郎が口を開いた。


「……佳那さん。もしかして、何か勘違いしてませんか?」

「へ?」


 佳那が顔を上げると、進太郎は苦笑しながら言った。


「佳那さん、この娘が私の許嫁か何かだと思ったでしょう?……この娘は、私の妹のさくらですよ」

「え……ええええええ!!」


 佳那は、思わず叫んだ。……そう言えば、進太郎に妹がいると聞いた事がある。会った事は無かったが、この娘がそうなのか。


「お初にお目にかかります、佳那様。私、進太郎の妹のさくらと申します」


 ニッコリと萌黄色の着物の娘――さくらが挨拶をする。佳那は慌てて「柳葉佳那と申します……」と言って、再び頭を下げた。


 佳那の顔は真っ赤になっている。勘違いをした挙句、娘さんの名前も聞かず勝手なお願いをしてしまった。恥ずかしい。


 そして、佳那はふと顔を上げて聞く。


「あれ?……では、祝言がどうのこうのと言っていたのは?」

「ああ、それは、さくらの祝言について話していたんですよ。さくらは、近い内に武家の男と夫婦になる予定なんです」

「そ、そうだったのか……。えっと、その……さくらさん、ご成婚、おめでとうございます」


 佳那が戸惑いながら祝いの言葉を述べると、さくらはフワリと笑って「ありがとうございます」と答えた。


 未だ恥ずかしそうにしている佳那をジッと見てから、進太郎は言った。


「……佳那さん。私は、期待しても良いのでしょうか?」

「え?」

「涙を流す程私の幸せを願ってくれたんですよね?……佳那さんは、私の事を大切に思ってくれていると考えて良いのでしょうか。私の事を男として好いてくれていると思って良いのでしょうか」


 佳那は、一瞬言葉が出なかった。心臓が、これ以上ない程早鐘を打つ。……それでも、伝えなければいけない。今伝えないと、絶対に後悔するから。


 佳那は、深呼吸をすると、真っ直ぐと進太郎の目を見て告げた。


「……ああ。私は、お前に惚れている」


 進太郎は、一瞬目を瞠《みは》った。そして次の瞬間、ギュッと佳那を抱き締める。


「し、進太郎!?」


 佳那が戸惑いながら声を掛けると、進太郎は震える声で言った。


「……佳那さんは、私の事を父親の弟子の一人としてしか見ていないと思っていました。師匠に添い遂げる相手を見つけるよう言われたと告げた時も、あなたは平気そうな顔をしていましたし……」

「そ、それは、お前の幸せの邪魔をしたくなかったから平静を装っていただけで……」


 そう。佳那は、必死で自分の気持ちに蓋をしていた。男勝りな自分が進太郎に好いてもらえるなど思ってもみなかったから。


 進太郎は、佳那を抱き締めたまま言葉を続ける。


「……佳那さん。私は、あなたの事を好いています。どうか私の妻になって下さい」


 佳那は、目に涙を浮かべたまま進太郎の着物をギュッと掴んで答えた。


「……はい。これからも宜しくお願い致します」


 そんな二人を見て、さくらが笑いながら呟いた。


「あらあら、妹が見ているというのにお熱い事」




 その後、佳那と進太郎が夫婦になっても、子が生まれても、事ある毎にさくらに今日の事を揶揄《からか》われる事になる。


 そんな未来が訪れる事を、二人はまだ知らない。

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― 新着の感想 ―
ほっこり、にっこりするお話でした。 ありがとうございました。
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