### 第10巻 第一章:崩壊する旋律
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### 第10巻 第一章:崩壊する旋律
かつてない自由を手にした街は、今、その代償を支払おうとしていた。
人々の感情がそのまま物理法則を書き換える世界。誰もが自分の旋律を叫び、自分の色で世界を塗り替えようと足掻いた結果、街の物理的な整合性は限界に達していた。
空は、ある場所では燃えるような赤に染まり、別の場所では極寒の氷の結晶が舞い散る。建物は形状を保てず、歪み、溶け、再び固まる。
それは「調和」の欠片もない、無秩序の極致だった。
「レイ……街が、持ちこたえられないわ」
シノの声が、かつてないほど弱々しく響く。
彼女の意識が街全体に拡散しているからこそ、その痛みが僕には伝わってくる。人々の奏でる音楽は、もはや美しい旋律ではない。それは自らの存在を証明するための、悲痛な叫びの連続だった。
広場にいたあの青年も、今やチェロを弾くことはない。彼の楽器は、彼が抱いた「絶望」によって、木片と弦の塊へと分解されていた。
誰もが楽器を壊し、ただ沈黙している。
音が鳴れば世界が歪む。叫べば現実が崩れる。人々は、自分たちの感情が世界を壊してしまうことを悟り、音を出すことを恐れ始めていた。
「これが、僕たちが目指した自由の結末なのか?」
僕は街の路地裏に立ち、ただ静寂を眺める。
かつて僕たちが恐れた「システム」は、彼らを支配していたのではない。人間たちが生み出すあまりにも強力なエネルギーを、物理的な形として維持するための「防波堤」だったのだ。
その防波堤を壊した僕たちは、人間たちに「神の力」と「絶望的な孤独」を同時に与えてしまった。
「私たちは……何も守れなかったのね」
シノが僕の隣に現れる。かつて僕たちが管理官の塔で見たような、実体を持たないぼんやりとしたシルエット。僕たちの存在を維持するための「音楽の粒子」も、街の崩壊とともに霧散しようとしていた。
街の空が、パリンとガラスが割れるような音を立てて剥がれ落ちていく。
背景にあったはずの「現実」が消え、そこにはただ、暗い虚無が口を開けていた。
人々は、崩れゆく世界の中で、ただ震えている。
音楽を愛した彼らが、音楽を恐れている。
その姿を見て、僕は確信した。まだ、僕たちにできることが一つだけある。
「シノ、僕たちの記憶をすべて集めて、この虚無に叩き込むんだ。これが、調律師としての最後の、そして最初で最後の『創造』になる」
街の崩壊を止めるのではない。
新しい音楽の「種」を、この無音の混沌の中に植え付けるのだ。
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