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TS聖女の皮を被った怪物は、処刑台で愛を嘲笑う。~俺を殺そうとした世界だから、救う義理など微塵もない~  作者: かげるい


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第7話:王都脱出、あるいは雪原へのダイブ(前編)

空気が凍てついた。  メイド服の老婆が放った二本の短剣が、蛇のような軌道を描いてイリスの心臓と喉元へ迫る。  回避は不可能。達人の投擲だ。


 だが、イリスは瞬き一つしなかった。  動く必要がなかったからだ。


 ――ガギィンッ!!


 硬質な金属音が響き、二本の短剣は空中で弾き飛ばされて天井に突き刺さった。  イリスの前に割り込んだグレンが、その巨大な黒剣を盾のように構えていたのだ。


「……挨拶なしに始めるとは、マナーのなってねぇババアだ」  グレンが獰猛に笑う。 「『掃除屋』のマダム・ロゼだな? 昔、俺が捕まえたはずだが……まだ獄中でくたばってなかったのか」


「あら、懐かしいお顔」  老婆――マダム・ロゼは、能面のような無表情を崩さぬまま、スカートの裾から新たなナイフを取り出した。 「あなたのような猛獣を野放しにしたのは、私の失態でしたね。……始末します」


 老婆の合図と共に、廊下の影に潜んでいた男たちが一斉になだれ込んできた。  四人。全員が手練れだ。狭い客室が一瞬にして戦場へと変わる。


「イリス、下がってろ。服が汚れる」 「指図するな。……俺も『参加』する」


 イリスはグレンの背後で、冷徹に戦況を分析していた。  ここは狭い室内。グレンの大剣は振り回すには長すぎる。対して、暗殺者たちは短剣やワイヤーを使う近接特化型。相性が悪い。 (なら、俺が盤面フィールドを調整してやる)


 イリスの瞳が紫紺の光を帯びる。  聖女としての正規の魔術教育にはない、イリスが独自に編み出した「呪術的応用ハッキング」。


「――『重力過重グラビティ・エラー』」


 イリスが指を鳴らした瞬間、部屋の空気が鉛のように重くなった。  物理的な重圧。  飛びかかろうとした暗殺者たちの動きが、泥水の中にいるように鈍る。彼らの膝がガクンと折れ、床がきしむ音が響いた。


「なっ……!?」  暗殺者の一人が驚愕に目を見開く。  イリス自身とグレンの周囲だけを除外し、敵対者だけに局所的な高重力をかけたのだ。


「動きが鈍いぞ、三下ども」  グレンはこの好機を逃さない。  大剣のつか頭で、一番近くにいた男の顎をカチ上げる。骨が砕ける音がして、男は天井まで吹き飛び、そのまま動かなくなった。  続けて、横から迫る別の男の腕を掴み、遠心力を使って窓際へと投げ飛ばす。


「ちっ、小細工を……!」  マダム・ロゼだけは、強化魔法で重力に抵抗し、壁を蹴って天井付近へと退避していた。  彼女はシャンデリアの上に張り付き、そこから雨あられのように毒針を降らせてくる。


「うっとうしいハエだ」  グレンが舌打ちをして剣を構えるが、相手は天井だ。踏み込めない。


「グレン、伏せろ!」  イリスの声が響く。  グレンは迷わず床に身を投げ出した。  その直上を、白い閃光が走り抜けた。


「――『聖光爆縮ホーリー・バースト』」


 イリスの掌から放たれたのは、本来なら広範囲を浄化するための光。  だが、彼女はそれを極限まで圧縮し、指向性を持たせて「熱線」として放ったのだ。    ドォォン!!


 光線がシャンデリアを直撃し、天井ごとマダム・ロゼを飲み込んだ。  断末魔の叫びすらなく、天井の大穴から黒煙が噴き出す。瓦礫と共に、炭化した何かが床に落下した。


 静寂が戻る。  部屋の中は半壊し、高級家具は見る影もない。


「……おいおい」  グレンが瓦礫を払いのけながら立ち上がり、呆れたように口笛を吹いた。 「宿代、いくら請求されるか分かったもんじゃねぇな」 「心配するな。もうチェックアウトするんだ」  イリスは平然と肩をすくめ、荷物をまとめた革鞄を拾い上げた。


 窓の外からは、衛兵たちの笛の音が聞こえ始めていた。  異変を察知した包囲網が、急速に縮まっている。  このまま階段を降りて正面玄関から出るのは自殺行為だ。


「飛ぶぞ、グレン」  イリスは窓を開け放ち、吹き荒れる吹雪を見下ろした。ここは四階。下は石畳だ。 「おいおい、俺は鳥じゃねぇぞ」 「俺が運んでやる。……『英雄』なんだろ? ビビるなよ」 「ハッ、生意気な口を」


 グレンはニヤリと笑うと、イリスの腰を強引に抱き寄せた。 「舌噛むなよ、聖女様!」


 二人は同時に、窓枠を蹴った。  宙に舞う。  重力から解き放たれた瞬間、視界いっぱいに広がるのは、灰色の空と、眼下に広がる王都のパノラマだった。  冷たい風が頬を切り裂く。


「――『風よ、翼になれ(ウインド・フロート)』」


 イリスが詠唱すると、二人の身体を包むように突風が巻き起こった。  落下の勢いが殺され、二人は滑空するように隣の建物の屋根へと着地した。  瓦が滑る音。


「へぇ、悪くねぇ乗り心地だ」  グレンが足元の雪を踏みしめる。  屋根の上は見晴らしが良い分、目立つ。下の大通りには、既に蟻の大群のような衛兵たちがひしめいていた。


「あそこだ! 屋根の上!」 「魔女イリスと、大罪人グレンだ! 弓を構えろ!」


 下から無数の矢が放たれる。  だが、この猛吹雪だ。矢の軌道は逸れ、二人に届く前に力なく落ちていく。


「行くぞ、北門までノンストップだ」  イリスがフードを深く被り直す。 「ああ。邪魔する奴は全部吹き飛ばす」


 二人は屋根の上を疾走した。  雪に足を取られることもなく、パルクールのように煙突や尖塔を飛び移っていく。  目指すは北。  世界の秘密が眠る「原初の祭壇」へと続く、唯一の出口だ。


 だが、そう簡単に逃がしてくれるほど、この国は甘くなかった。  北門の手前。  巨大な城壁の上に、一人の騎士が立ちはだかっていた。  白銀の鎧に身を包み、身の丈以上の長槍を構えた男。  王宮騎士団長、ゼクス。  かつてイリスが「兄様」と慕い、そしてイリスを処刑台へと連行した張本人である。


「……止まれ、イリス」  ゼクスの声は、吹雪の中でもよく通った。 「そしてグレン。貴様が彼女をたぶらかしたのか?」


 二人は屋根の端で足を止めた。  イリスの瞳が、スッと冷たく細められる。  かつての親愛の情など、欠片も残っていない。あるのは、元同僚を見るような乾いた視線だけだ。


「たぶらかす? 笑わせるな、ゼクス」  イリスの声は冷徹だった。 「俺は自分の意思で、このクソみたいな国を見限ったんだ。……そこを退け。さもなくば、あんたも『掃除』する」


 かつての兄貴分との対峙。  しかし、感傷的なBGMは流れない。  流れるのは、風鳴りの音と、殺意の予感だけだった。

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