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TS聖女の皮を被った怪物は、処刑台で愛を嘲笑う。~俺を殺そうとした世界だから、救う義理など微塵もない~  作者: かげるい


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第32話:鉄腕の暴君と、砕かれた支配権

魔導昇降機エレベーターの重い鉄扉が、蒸気の音と共に左右に開かれた。  三人が足を踏み入れたのは、下層の血生臭い空気とは隔絶された、異様な空間だった。


 最上階フロアを丸ごと使った、広大な執務室。  床には足首まで埋まるような深紅の絨毯が敷き詰められ、壁には大陸中から集められた魔獣の剥製が、虚ろな瞳で侵入者を見下ろしている。  その部屋の最奥。玉座のような巨大な革張りの椅子の背後に、一人の男が立っていた。


 帝都の裏社会を牛耳る組織『黒鉄興業』の頭目ドン、ヴォルグ。


 熊のような巨躯を高級なスーツで包んでいるが、その内側から滲み出る暴力の気配は隠しようもない。  だが、何よりも異様なのは、彼の左腕だった。  肩から先が、人間の肉体ではない。鈍く黒光りする鋼鉄の装甲と、その隙間から赤く脈打つ魔導チューブ。蒸気機関と魔力回路を無理やり融合させた、帝国の違法魔導義手だ。


「……騒がしいと思えば、どこのドブネズミが迷い込んだ?」


 ヴォルグは葉巻をくゆらせながら、ゆっくりと振り返った。  その瞳は濁っているが、獲物を屠る愉悦を知り尽くした捕食者の色をしていた。


「お久しぶりですね、ヴォルグ」  エルフィが一歩前に出る。その手には短剣が握られているが、指先が微かに白く変色するほど強く柄を握りしめていた。長年刻み込まれた恐怖は、そう簡単には消えない。


「エルフィか。……脱走した駄犬が、新しい飼い主を連れて戻ってきたか」  ヴォルグは鼻で笑い、机の上に置かれた「黒い水晶」に手を伸ばした。  それは、エルフィの首輪を制御するマスターキーだ。


「薬が切れて禁断症状でも出たか? それとも、石になりかけた妹の顔を見て絶望したか?」


「……リナは渡しません。彼女はもう、あなたの道具じゃない!」  エルフィが叫ぶ。その声の震えは、恐怖ではなく怒りによるものだった。


「ハッ! 道具に意思などない!」  ヴォルグが水晶を鷲掴みにし、魔力を込めた。 「忘れたか? 貴様の首輪は、この水晶とリンクしている。俺が念じれば、貴様の魔力回路を焼き切って廃人にすることなど造作もないんだぞ! 跪けェ!!」


 ヴォルグの咆哮と共に、水晶が赤く発光する。  本来ならば、この瞬間、エルフィの首輪が締まり、全身に電流のような激痛が走るはずだった。彼女は悲鳴を上げてのた打ち回り、抵抗の意思をへし折られるはずだった。


 ――しかし。


「……?」  エルフィは立っていた。  痛みなどない。ただ、憐れむような目でヴォルグを見つめている。


「な、なぜだ……!? 作動しない……故障か!?」  ヴォルグは焦って水晶に魔力を叩き込む。光は明滅するが、エルフィには何の影響もない。


「無駄だぞ、鉄屑野郎」


 静寂を切り裂く、冷ややかな声。  イリスだ。  彼女は部屋の入り口で腕を組み、ヴォルグの滑稽な姿を冷徹に観察していた。


「そのオモチャへの通信パスなら、このビルに入った時点で俺が切断カットしておいた」


「な、何だと……?」 「セキュリティがお粗末すぎるんだよ。魔力波長が暗号化もされずに垂れ流しだ。……あくびが出るほど簡単なハッキングだったぞ」


 イリスが指を鳴らす。  パリンッ。  ヴォルグの手の中で、黒水晶が粉々に砕け散った。  絶対的な支配の象徴が、ただのゴミ屑へと変わった瞬間だった。


「き、貴様ぁぁぁッ!!」  ヴォルグの顔が屈辱で赤黒く染まる。 「よくも……俺の支配権コレクションを壊しやがったな!」


 ヴォルグが左腕を掲げた。  ブォンッ!  魔導義手の排気口から、圧縮された蒸気が白煙となって噴き出す。  内蔵された魔石が臨界まで輝き、鋼鉄の拳が赤熱し始めた。


「後悔させてやる! その生意気な口ごと、ミンチにしてやるわ!」


 ドムッ!  床を蹴り、巨体が砲弾のように突っ込んでくる。  見た目に似合わぬ速度。背中のブースターが加速させているのだ。


「――させません!」  エルフィが反応する。  風魔法による加速。残像を残してヴォルグの側面へと回り込み、短剣を突き出す。狙うは首筋。


 ガギィンッ!


 硬質な音が響いた。  刃は届かなかった。ヴォルグの左腕が、あり得ない角度で稼働し、背後からの斬撃を鋼鉄の装甲で弾いたのだ。


「ハエが止まったわ!」  ヴォルグが腕を振るう。  単なる裏拳ではない。肘に内蔵された杭打機パイルバンカーが作動し、拳速を爆発的に加速させる。


「くっ……!」  エルフィは空中で身を捻り、紙一重で回避する。  だが、拳が空を切った風圧だけで、彼女の身体は吹き飛ばされ、壁の剥製を巻き込んで激突した。


「速いだけじゃ俺の装甲は抜けねぇよ!」  ヴォルグが追撃の構えを取る。左腕の先端が変形し、回転するドリル状の突起が現れた。殺傷力に特化した、殺戮兵器。


「死ね、エルフ!」  ドリルが唸りを上げてエルフィに迫る。


 ドガァァァンッ!!


 轟音が響き、床が抜けるほどの衝撃が走った。  だが、エルフィは死んでいない。  ドリルの切っ先を受け止めたのは、巨大な黒い刃――大剣だった。


「……随分とデカい声で吠えるじゃねぇか、おっさん」


 グレンだ。  彼は大剣を盾のように構え、ヴォルグの突進を正面から受け止めていた。  鋼鉄の義手と、無骨な大剣が火花を散らす。ミシミシと、グレンの足元の床板が悲鳴を上げて砕けていく。


「ぬぅ……ッ! 貴様、俺の最大出力を生身で止めるだと!?」  ヴォルグが驚愕に目を見開く。この義手は、岩盤すら粉砕するパワーがあるはずだ。


「ハッ、機械頼みのパワーなんざ、知れてるな」  グレンは不敵に笑い、首の骨をポキリと鳴らした。 「本物の暴力ってのはな、こうやるんだよ!」


「オラァッ!」  グレンが咆哮し、力任せに大剣を押し返した。  圧倒的な膂力。ヴォルグの巨体が、後方へとたたらを踏む。


「ば、馬鹿な……!」  体勢を崩したヴォルグ。  その隙に、後方で戦況を見守っていたイリスの瞳が、青白く発光した。


 魔眼による高速解析スキャン。  ヴォルグの義手から漏れる魔力光、回路のパターン、そして動力源の排熱。すべてが情報として脳内に流れる。


(……なるほど。出力任せの雑な回路だ。純度の高い魔石を無理やり燃焼させて、冷却もせずに動かしている)


 イリスは冷徹に分析した。  あの義手は強力だが、デリケートだ。不純物のない綺麗な燃料でしか動かない。  ならば、汚してやればいい。


 イリスは懐から、**一個の「灰色の石」を取り出した。  それは先ほど、スラムの小屋でリナを治療した際に摘出し、封印しておいた「魔石病の結晶(病巣)」**だ。  高濃度の魔力毒素が凝縮された、致死性の廃棄データ。


(綺麗なエンジンに、汚れた廃油を混ぜたらどうなるか。……試してみるか)


「エルフィ! これを使え!」  イリスが叫び、灰色の石を放り投げた。


「はい、イリス様!」  壁際から復帰したエルフィが、空中でそれをキャッチする。  彼女には説明など不要だった。手の中にある石から漂う気配……それが妹を苦しめていた「痛み」の塊だと、直感で理解したからだ。


「お返しします!」  エルフィは風となって駆け抜け、ヴォルグの義手の接合部――赤熱して魔力を吸い込んでいる吸気口へ、その石を全力で叩き込んだ。


 ガリッ!  石が砕け、粉末となって機関部へ吸い込まれる。


「なっ、何を入れたァ!?」  ヴォルグが叫ぶ。  直後、義手の回転音が、キィィィィン……という異常な高音へと変わった。


「――『強制同期インストール』」


 イリスが冷徹に告げる。  異物が混入したことで、義手の魔力循環が乱れる。そこへ、イリスが外部から干渉魔力を流し込み、暴走を加速させたのだ。


 ドクンッ!  義手が生き物のように膨張した。


「が、あ……!? 魔力が、逆流して……!」  ヴォルグが絶叫する。  妹を石化させていた呪いの魔力が、今度は義手の制御回路を浸食し、配線を焼き切っていく。  バチバチと火花が散り、鋼鉄の装甲が内側からの熱で溶解を始めた。


「う、嘘だ……俺の最強の腕が……!」  ブスブスと黒煙を上げる鉄屑を抱え、ヴォルグが膝をつく。  因果応報。  他者に強いた痛みが、己の牙を腐らせたのだ。


「終わりです、ヴォルグ」


 エルフィが、静かに歩み寄った。  手には短剣。その瞳には、かつての怯えはない。


「ヒィッ……ま、待て! 金か? 金ならやる! 全部やるから!」  ヴォルグは這いずりながら命乞いをする。


「お金はいりません。……これは、リナと私の『痛み』の分です」


 エルフィは短剣を振り上げた。  ザシュッ!  鮮やかな斬撃が閃く。


 ヴォルグが悲鳴を上げて首を押さえる――が、首は繋がっていた。  斬り飛ばされたのは、彼の胸元にあった「金庫の鍵」と、指にはまっていた「組織の印章指輪」。  そして、それをつけていた指が二本。


「ぎゃあああああ!!」


「殺しはしません。……イリス様が『生かして絶望させろ』と仰いましたので」  エルフィは冷たく見下ろした。 「あなたは全てを失いました。……これからはスラムの泥水を啜って、這いつくばって生きてください」


 ヴォルグは痛みと恐怖で失禁し、言葉もなく震えていた。


「さて、と」  イリスは転がってきた血まみれの印章指輪を拾い上げ、汚いものでも見るようにハンカチで拭った。


「引き継ぎは完了だ。ご苦労だったな、前・頭目」  イリスは玉座のような椅子にドカッと腰を下ろし、ヴォルグを見下ろした。  その姿は、本物の暴君よりも恐ろしく、そして堂に入っていた。


「さあ、失せろ。ここはもう、私の城だ」


 ヴォルグは這々の体で部屋から逃げ出した。  帝都の夜に、かつての支配者の情けない悲鳴だけが残された。


「……ふぅ。やりましたね」  エルフィが肩の力を抜き、深く息を吐く。  憑き物が落ちたような、清々しい表情だった。


「ああ。完璧な仕事だ」  イリスは窓の外、帝都の輝く夜景に目をやった。


 たった一晩。  わずか三人と一人の子供で、裏社会の巨塔を陥落させた。  『黒鉄興業』の莫大な資産、拠点、そして裏ルート。そのすべてが今、イリスの手中にある。


「これが第一歩だ。……ここを拠点アジトに、さらにデカいことをやるぞ」


 イリスの瞳が、野心に輝く。  次なる「拡大」のステージへと物語は進む。

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