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TS聖女の皮を被った怪物は、処刑台で愛を嘲笑う。~俺を殺そうとした世界だから、救う義理など微塵もない~  作者: かげるい


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第30話:偽りの処方箋と、壊れた天秤

翌日の深夜。  地下闘技場での試合を終えたエルフィは、裏路地をふらつく足取りで歩いていた。  今日の相手は凶暴なワイバーンだった。勝利はしたものの、脇腹には爪による裂傷を負い、ポタポタと血が滴っている。


「……急がないと」


 痛みよりも、焦りが彼女を突き動かしていた。  今日の報酬として受け取った小瓶――妹のための「薬」を握りしめ、彼女はスラムの自宅へと急ぐ。


「お疲れ様。随分と酷い顔をしてるな」


 不意に、路地の暗がりから声がかかった。  エルフィは瞬時に身構え、懐の短剣に手を伸ばす。  そこに立っていたのは、フードを目深に被った小柄な人物と、その背後に控える巨漢の男だった。


「……誰ですか」  エルフィは警戒心を露わにする。  見たことのない顔だ。だが、二人とも只者ではない気配を纏っている。特に後ろの男は、闘技場に出てくる怪物たちよりも危険な匂いがする。


「借金の取り立てなら、オーナーを通してください。私は今、急いでいるんです」


「借金? ああ、あの命の値段のことか」  イリスが一歩前に出る。  街灯の明かりがフードの下の美貌を照らし出すが、その瞳は氷のように冷たかった。


「昨日の闘技場での立ち回り、見事だったぞ。……だが、妹のためにあんな茶番を演じるのは、姉として心が痛まないか?」


「ッ……!?」  エルフィの目が驚愕に見開かれた。 「なぜ……妹のことを……」 「調べたからだ。お前がマフィアに飼われている理由も、その小瓶の中身もな」


 イリスはエルフィの手にある小瓶を指差した。 「単刀直入に言おう。……その薬、捨てた方がいいぞ」


「……は?」  エルフィの顔が強張る。 「何を……これは妹の命を繋ぐ薬です。部外者が適当なことを言わないでください」


「命を繋ぐ? 笑わせるな」  イリスは冷笑し、さらに一歩近づいた。 「それは『麻痺毒』と『幻覚剤』を混ぜただけの、ただの汚い水だ。……病気を治すどころか、妹の身体を蝕んで、緩慢な死へと導いている」


「痛みが消えて、眠るだけだろう?」  イリスは容赦なく畳み掛ける。 「それは治癒じゃない。神経を麻痺させているだけだ。……お前も気づいているはずだ。妹の石化が、薬を飲む前より進行していることに」


 図星だった。  エルフィの手から力が抜けそうになる。  認めたくなかった事実。  最近、リナの眠る時間が長くなっていること。石化範囲が胸元まで広がっていること。  それでも、この薬しか頼るものがなかった。


「……だとしても!」  エルフィは叫び、短剣を抜いた。 「私にはこれしかないんだ! これがないと、リナは痛がって苦しむんだ! ……邪魔をするなら、あんたたちでも殺す!」


 殺気と共に、エルフィが踏み込む。  風のような速さ。  だが、その刃がイリスに届くより早く、黒い影が割り込んだ。


 ガキンッ!


 グレンの大剣が、短剣を軽々と受け止める。 「おいおい、早まるなよ嬢ちゃん。……俺の大将の話は、まだ終わってねぇぞ」


「退いてッ! 私には時間がないのッ!」  エルフィが叫び、次撃を放とうとするが、イリスの言葉がそれを止めた。


「――私が治せる」


 エルフィの動きがピタリと止まる。 「……え?」


「『魔石病』の治療法なら知っている。……私が調合した薬なら、石化を溶かし、完治させることができる」  イリスは淡々と告げた。  聖女としての浄化能力と、魔力構造を読み解く解析デバッグ能力。この二つがあれば、帝国の公害病など恐るるに足りない。


「……本当、に?」  エルフィの瞳が揺れる。短剣が手から滑り落ち、カランと乾いた音を立てた。 「本当に、リナを助けられるの……?」


「ああ。……ただし、タダじゃない」  イリスはエルフィの前に立ち、ニヤリと笑った。  それは慈愛の天使ではなく、魂の取引を持ちかける悪魔の笑みだった。


「条件は二つだ」  イリスが指を立てる。 「一つ。……その偽物の薬を売りつけた組織マフィアへの忠誠を捨てろ」 「二つ。……お前のその剣と速さを、これからは私のために使え」


 エルフィは唇を噛み締めた。  それは、新たな飼い主への乗り換えだ。  だが、今の飼い主は、妹を人質に取り、偽の薬で飼い殺しにしていた仇敵だったと知ってしまった。


「……勝てますか」  エルフィが絞り出すように問う。 「あの組織……『黒鉄くろがね興業』は、帝都の裏社会を牛耳る巨大組織です。私一人の力じゃ、どうにもならなかった。……あなたたちに、勝てるんですか?」


「愚問だな」  イリスは鼻で笑い、背後のグレンを親指で指した。 「ここにいるのは、国一つ敵に回して生き延びている大罪人だぞ? ……たかが街のマフィア風情、準備運動にもならない」


 そして、イリスはエルフィに手を差し出した。


「選べ、エルフ。……このまま騙されて妹と一緒に腐っていくか。それとも、私と手を組んで、奴ら全員地獄へ送るか」


 エルフィは、手の中の小瓶を見た。  紫色の液体。妹を苦しめていた毒。  パリンッ。  彼女はそれを地面に叩きつけ、粉々に割った。


 顔を上げた時、その瞳から迷いは消えていた。あるのは、自分たちを弄んだ者たちへの、冷たい憤怒だけ。


「……契約します」  エルフィはイリスの手を強く握り返した。 「リナを治してくれるなら……私の命も、魂も、すべてあなたに捧げます。」


 イリスは満足げに頷いた。 「交渉成立だ。……まずは、その首輪を外してやらないとな」


 帝都の闇夜に、新たな共犯者が生まれた。  次は反撃の時間だ。  偽りの薬で姉妹を縛り付けていた悪徳マフィア『黒鉄興業』への、徹底的な粛清が始まる。

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