第27話:鉄と蒸気の都、灰色の空の下で
雪原での死闘から数日後。 イリスたち一行を乗せた(修理した)馬車は、なだらかな丘を越え、ついにその威容を目の当たりにした。
大陸南部に覇を唱える軍事国家、ガルディア帝国。 その心臓部である帝都は、聖教国の「白く美しい都」とは対極にある、武骨で圧倒的な存在感を放っていた。
「……でかいな」 御者台の隣に座るイリスが、呆然と呟く。
巨大な黒い城壁が、地平線を切り取るようにそびえ立っている。 その内側からは、無数の煙突が槍のように空へ突き刺さり、黒い煙と白い蒸気を絶え間なく吐き出していた。 空は煤で灰色に濁り、風には油と鉄の匂いが混じっている。
「『鉄と蒸気の都』か。……噂には聞いていたが、これほどとはな」 グレンもまた、目を細めてその巨都を見上げた。 「聖教国が魔法の国なら、こっちは機械と魔導エンジンの国だ。……空気は汚ぇが、活気だけはある」
「悪くない」 イリスはニヤリと笑った。 聖教国の、あの清廉潔白を装った息苦しい空気より、この欲望と煤煙が渦巻く街の方が、今の自分たちにはお似合いだ。 それに、立ち並ぶ工場やパイプラインの光景は、イリスの前世の魂を少しだけ刺激した。
***
帝都の正門。 ここでも検問が行われていたが、国境ほど厳重ではなかった。帝国の関心は「外からの侵入者」よりも「物流と税金」にあるようだった。
「次は! ……行商人か? 荷物は?」 「北の雪原で仕入れた毛皮と、魔獣の牙です。……へへっ、少しばかりですが」
グレンが卑屈な商人を演じ、賄賂(銀貨数枚)を衛兵のポケットにねじ込む。 この数日の旅で、グレンの演技力も板についてきた。
「……よし、通れ! 帝都での商売は組合への登録を忘れるなよ」 「へい、分かっております!」
あっさりと通過。 門をくぐると、そこは喧騒の坩堝だった。 石炭を積んだ蒸気トラックが黒煙を上げて走り、整備工たちが怒号を飛ばし、武装した傭兵たちが我が物顔で闊歩している。
「うわぁ……! 人がいっぱいだ……!」 荷台の隙間から外を見ていた少年アルが、目を輝かせる。 「建物が高い! あれ、煙が出てるけど火事じゃないの?」
「蒸気機関だ。……魔石を燃やして動力を得ているんだよ」 イリスが淡々と解説する。 「さて、まずは宿探しだ。……高級ホテルは駄目だぞ。身分証の確認が厳しいし、足がつきやすい」
「分かってるよ。……目指すは下層区との境界線、『灰の地区』だ」 グレンが馬車を路地裏へと進める。
帝都は階層構造になっていた。 富裕層や軍人が住む「上層区」。 工場や商店が並ぶ「中層区」。 そして、そこから排出される汚水や煤煙が溜まる、貧民たちの吹き溜まり「下層区」。
一行が向かったのは、中層と下層の狭間にある、治安の悪い倉庫街だった。
***
日が暮れる頃。 イリスたちは、一軒の古びた宿兼酒場『錆びた歯車亭』に部屋を取っていた。 壁は煤けて薄汚れ、窓ガラスにはヒビが入っているが、裏口があり、逃走経路を確保しやすいのが決め手だった。
「……狭いな」 あてがわれた部屋に入り、イリスは眉をひそめた。 ベッドは二つ。カビ臭い匂い。床をネズミが走る音がする。 聖女時代の豪華な私室とは雲泥の差だ。
「贅沢言うな。雨風が凌げるだけマシだろ」 グレンが荷物を床に放り投げ、ベッドの一つにドカッと腰を下ろす。 アルは部屋の隅で、買ってきたパンを嬉しそうに齧っている。彼はもともと孤児だ。屋根があるだけで御の字なのだろう。
イリスは窓際に立ち、外の景色を眺めた。 ガス灯が灯り始めた帝都の夜景。 工場の明かりが赤く空を照らし、どこか不気味で、しかし力強い鼓動を感じさせる。
「……ここで、始めるんだな」 イリスが呟く。 「ああ。まずは金稼ぎ、次に情報収集、そして戦力の拡大だ」 グレンが、包帯を巻いた左腕をさすりながら答える。 傷は塞がったが、まだ完治とは言えない。リハビリが必要だ。
「教会への復讐、そして『穴』への到達。……そのための軍団を作る」 イリスは懐から、あの黒い石板を取り出した。 今は沈黙しているが、その重みだけは変わらない。
「ターゲットはどうする? 真っ当な商売じゃ、軍隊を作る金なんて百年かかっても貯まらねぇぞ」 「分かっている。……狙うのは『裏社会』だ」
イリスはニヤリと笑った。 帝都の光が強ければ強いほど、その足元には濃い影が落ちる。 違法な魔導具の密売、人身売買、麻薬流通。 この巨大都市には、腐るほどの「悪党」と「汚れた金」が眠っているはずだ。
「悪党から奪い、その資金でさらに大きな力を得る。……聖女の皮を被った怪物の本領発揮だ」
その時、階下の酒場から、硝子が割れる音と、男たちの怒号が聞こえてきた。 日常茶飯事の喧嘩だろう。 だが、イリスの耳には、それが「歓迎のファンファーレ」のように聞こえた。
「……騒がしい街だ。退屈しなくて済みそうだ」
イリスはカーテンを閉め、部屋の明かりを灯した。 帝都潜伏、一日目。 最底辺からの成り上がりが、静かに幕を開けた。
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