第24話:雪原の処刑人と、砕かれた車輪
石板に残された「血文字の遺言」を読んだ数時間後。 一行は、重苦しい沈黙を乗せて、さらに北へと馬車を進めていた。
空は低く、雪混じりの風が吹き荒れている。 だが、イリスの神経を逆撫でするのは、この寒さだけではなかった。
「……チッ。どうも落ち着かないな」 荷台の中で、イリスは懐の石板を押さえた。 布で幾重にも包み、即席の魔力遮断結界まで張っているのに、石板は時折、ドクン、ドクンと心臓のように脈動し、異質な波長を撒き散らしている。
「まるで『ここにいるぞ』って、世界中に叫んでるみたいだ」 イリスが独り言ちると、隣で膝を抱えていた少年アルが顔を上げた。 「ねぇ、姉ちゃん。……さっきから、後ろの方で変な音がしない?」 「音?」 「風の音じゃない……もっと高い、金属みたいな音」
イリスはハッとして、幌の隙間から後方を確認した。 視界にあるのは白銀の雪原と、岩肌だけ。 だが、イリスの感知能力が、急速に接近する複数の魔力反応を捉えた。
「グレン!」 イリスが鋭く叫ぶ。 「方向転換だ! 街道を外れて、あの岩場の陰に入れ!」 「あ? 魔獣か?」 「違う。……もっとタチの悪い『狩人』だ」
グレンが手綱を強く引く。 馬がいななき、馬車が大きく揺れて街道から逸れた、その瞬間だった。
――ヒュンッ!!
風を切り裂く音と共に、何かが馬車の車輪を直撃した。 バギィッ! 乾いた破砕音。錬金術で強化していたはずの車軸がへし折れ、馬車が大きく傾く。
「うわぁぁっ!」 アルが悲鳴を上げ、イリスは咄嗟に防御結界を展開して衝撃を防いだ。 馬車は雪煙を上げて横転し、岩場に激突してようやく止まった。
「……ッ、生きてるか!」 グレンが瓦礫を押しのけて立ち上がる。額から血を流しているが、その手には既に大剣が握られていた。
「全員無事だ。……来るぞ」 イリスはアルを岩の隙間に押し込み、雪原を見据えた。
白い地平線の彼方から、五騎の影が疾走してくる。 普通の馬ではない。魔獣の如く巨大化した軍馬に跨り、全身を白い甲冑と純白のローブで包んだ集団。 その胸には、血のように赤い十字の紋章と、それを食い破る狼の意匠。
「……『聖教騎士団・異端審問局』の処刑隊か」 イリスが忌々しげに吐き捨てる。 国境の関所にいたような兵士とは格が違う。教会の闇を処理するためだけに訓練された、対人戦闘のスペシャリストたちだ。
「数が合わねぇな。たった五人で俺たちを狩る気か?」 グレンがニヤリと笑うが、その目は笑っていない。 「気をつけろ、グレン。……あいつらは『聖女狩り』の専門家だ。俺たちの手の内を知り尽くしている」
先頭を駆ける騎士が、馬上から手を掲げた。 その手には長大な弓が握られている。 つがえられているのは、物理的な矢ではなく、高密度の魔力を圧縮した「光の矢」だ。
「――標的確認。……異端者イリス、および協力者グレン」 距離があるにも関わらず、魔術拡声された声が耳元で冷徹に響いた。 「『神の鍵』の奪還、および対象の即時処分を開始する」
放たれた矢は、物理法則を無視して曲がり、岩陰に隠れた二人を正確に狙って飛来した。 追尾式の魔導矢だ。
「邪魔だッ!」 グレンが前に出る。 大剣を一閃。 風圧で光の矢を空中で叩き落とす。爆発が起き、グレンの髪が焦げるが、彼は一歩も引かない。
「イリス! お前は後ろでアルと石板を守ってろ!」 グレンが叫ぶ。 「あいつらの狙いは石板だ! 奪われたら終わりだぞ!」
「指図するな! ……援護はする!」 イリスは指を走らせ、攻撃魔術を構築しようとした。 だが。
「――『魔力封殺』展開」
敵の後衛にいた魔術師たちが、杖を地面に突き刺した。 瞬間、周囲の空間が紫色に歪む。 イリスの指先から、魔力が霧散した。
「なっ……!?」 イリスが目を見開く。 広範囲の魔力妨害結界。こちらの魔法発動を阻害し、一方的に攻撃するための陣形だ。
「クソッ、魔法使い封じかよ!」 グレンが舌打ちをする。 イリスの火力が封じられれば、頼れるのはグレンの物理攻撃のみ。 敵はその隙を見逃さない。 前衛の騎士三人が、馬から飛び降り、抜刀して突っ込んできた。
――ガキィィンッ!
重い金属音が響く。 グレンは大剣で三人の攻撃を同時に受け止めたが、その足が雪に深く沈んだ。 「ぐぅッ……!」 重い。 個々の騎士の膂力が、魔獣並みに強化されている。
(ドーピングか……! 命を削って力を底上げする禁術を使っているな) イリスは歯噛みした。 魔法が使えないなら、錬金術だ。懐から爆裂薬の瓶を取り出し、投げつけようとする。 だが、リーダー格の弓使いが、それを正確に狙撃した。 パァン! 瓶が手元を離れた瞬間に空中で砕け散る。
「チェックメイトだ、魔女」 弓使いが、次なる矢をイリスの心臓に向ける。 グレンは三人の騎士に抑え込まれ、動けない。 回避不能。
「――死ね」
殺意の矢が放たれた。 イリスの視界がスローモーションになる。 死ぬ。ここで終わる。 そう思った刹那。
「――させるかよッ!!」
ドスッ。
嫌な音がした。 イリスの目の前に、巨大な背中があった。 グレンだ。 騎士たちの剣を強引に弾き飛ばし、自らの身体を盾にして割り込んだのだ。 左肩から、深々と光の矢が突き刺さっている。
「……ぐ、レン……?」 「……痛ぇじゃねぇか、三下」
グレンは矢を突き刺したまま、獣のような瞳で弓使いを睨みつけた。 血が滴り落ち、雪を赤く染める。 だが、その闘気は衰えるどころか、負傷によって凶悪さを増していた。
「俺のツレに……何してくれてんだ、あぁ?」
グレンの腕が膨張した。 リミッター解除。 彼は大剣を片手で軽々と振り回すと、迫りくる騎士の一人を、鎧ごと両断した。
「ひっ……!」 残りの騎士がたじろぐ。 魔法封じも、数の有利も関係ない。 ただの暴力の化身が、そこに立っていた。
「全員、挽き肉にしてやる」
グレンが咆哮し、雪原を駆ける。 それは一方的な蹂躙劇の始まりだったが、イリスには分かっていた。 グレンの左腕が、だらりと動かなくなっていることを。 そして、この程度の追っ手でこれだけ苦戦するなら、この先にはもっと深い絶望が待っていることを。
(……このままじゃ、北には行けない)
イリスは砕けた馬車の車輪を見つめ、唇を噛み締めた。 ただ走るだけではダメだ。 個の力だけでは、組織の暴力には勝てない。
雪原に血飛沫が舞う中、イリスの中で新たな決意――「軍団を作る」という構想が、冷たく固まり始めていた。
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