第14話:暴走する奇跡と、不機嫌なデバッガー
広場の中央で、井戸水はもはや「水」としての形を留めていなかった。 アリアの過剰な魔力を吸って変異したそれは、半透明の蛇のような形状をとり、手当たり次第に屋台を破壊し、逃げ遅れた村人を飲み込もうと鎌首をもたげている。
「ひぃぃっ! 助けてくれぇ!」 瓦礫の下敷きになった男に、水の顎が迫る。
「チッ、行儀の悪い水だ」 グレンが石畳を蹴った。 黒い疾風となって男の前に割り込み、大剣を横薙ぎに一閃する。
「――お座りしてなッ!!」
ドォォン!! 剣の側面で叩きつけられた衝撃波が、水の蛇を弾け飛ばした。 物理攻撃無効の流体? 関係ない。グレンの剛腕が生み出す風圧は、大気そのものをハンマーに変え、水を霧散させたのだ。
「す、すげぇ……」 腰を抜かした男が呟く。 だが、水は死なない。霧散したしずくが再び集まり、さらに巨大な質量となって再生を始める。
「おいイリス! キリがねぇぞ! 物理で叩いても分裂するだけだ!」 「分かってる。……今、解析が終わった」
少し離れた場所で、イリスは冷めた目で水塊を見つめていた。 その魔眼には、アリアが組んだ魔法術式が、まるで空間に浮かぶプログラムコードのように映し出されている。
(……酷いな、こりゃ)
イリスは呆れを通り越して頭痛を覚えた。 アリアの魔法は、例えるなら「出力全開」というコマンドだけを無限ループで書き込んだ、素人のスパゲッティ・コードだ。 『水を出す』という命令だけがあり、『止める』『水量を調整する』という制御文が一行も書かれていない。これでは枯渇するまで暴走し続ける。
「天才的だよ、悪い意味でな。……メモリリークで世界をパンクさせる気か」
イリスは右手をかざした。 本来なら、他人の魔法に干渉するのは至難の業だ。しかし、あまりに構造が単純(お粗末)であるがゆえに、裏口は開けっ放し同然だった。
「グレン! もう一発、デカいのを頼む! 核を露出させろ!」 「注文の多い嫁だぜ!」
グレンが咆哮し、大剣を垂直に振り下ろした。 ズガンッ!! 井戸の縁が砕け、噴き上がる水柱が真っ二つに割れる。 その中心に、過剰魔力の渦――青白く光る球体が見えた。
「――『強制終了』」
イリスが指を鳴らす。 放たれたのは、浄化の光ではない。 術式を食い荒らし、強制的に魔力を散らす「崩壊の呪い(ウイルス)」だ。 黒いノイズのような魔力が、アリアの光る球体に侵入する。
『水を出す』命令を削除。 『地下水脈へのリンク』を切断。 『残留魔力』を中和・廃棄。
数秒のキーボード入力にも似た高速詠唱。 イリスの指先が指揮者のように動くたび、荒れ狂っていた水が、急速に力を失っていく。
バシャァァァ……。
鎌首をもたげていた水の蛇は、ただの大量の水となって地面に崩れ落ちた。 あとに残ったのは、水浸しになった広場と、静かに水を湛えるようになった古井戸だけ。
静寂。 村人たちは、何が起きたのか理解できずに呆然としていた。 聖女様の奇跡が暴走し、それを通りすがりの旅人が一瞬で鎮めたのだ。
「……あ、あの」 村長らしき老人が、震える声でイリスに歩み寄ってきた。 「あ、あなた様は一体……? あの聖女様ですら制御できなかった水を、こうも簡単に……」
イリスは一瞬、「通りすがりの天才ハッカーだ」と言いそうになったが、すぐに「マリア」の仮面を被った。 か弱く、控えめな妻の演技。
「い、いえ……私はただ、主人が水を開いてくれたので、少し魔術でお手伝いをしただけで……」 イリスはグレンの背中に隠れるようにして、恥ずかしそうに俯いた。 「主人が、凄腕の傭兵なんです。……ねっ、あなた?」
「お、おう!」 話を振られたグレンは、豪快に胸を叩いた。 「俺の嫁は、魔術の扱いだけは上手くてな! ま、大事にならなくてよかったぜ!」
村人たちがどっと沸いた。 「すげぇ! 兄ちゃん、あんた英雄だ!」 「奥さんもすごいぞ! 聖女様の魔法より、よっぽど安定してたじゃないか!」
そこかしこで、ヒソヒソという会話が聞こえ始める。
「……なぁ、もしかしてアリア様って、魔法の制御が苦手なんじゃ?」 「枯れた井戸を戻してくれたのは感謝してるけど、あんな危険な状態で放置していくなんて……」 「やっぱり、前の聖女イリス様の方が、技術は確かだったんじゃねぇか?」
疑念の種は撒かれた。 アリアの華々しい奇跡の裏にある「雑さ」が、民衆の目に焼き付いたのだ。
「旅のお方! お礼をさせてください!」 村長が金貨の入った袋と、保存食の詰め合わせを持ってきた。 イリスは内心でほくそ笑んだ。 (やった。これで路銀と食料の心配がなくなった)
「そんな、困ったときはお互い様ですわ」 と言いつつ、イリスは素早く金貨を受け取った。聖女のプライドより、明日の飯だ。
***
その日の午後。 イリスとグレンは、英雄として歓待されるのを断り、早々に村を出発した。 長居すれば、アリア本人が戻ってくる可能性があるからだ。
村の出口。 馬車――村長が譲ってくれた中古の荷馬車――に揺られながら、イリスは懐の金貨袋を放り上げた。
「チョロいもんだ」 フードを脱ぎ、ふてぶてしい男の顔に戻ったイリスが笑う。 「アリアの尻拭いをしてやったんだ。これくらいの手間賃は貰ってもバチは当たらん」
「性格悪ぃなぁ、お前」 御者台で手綱を握るグレンが、肩越しに振り返る。 「でもまあ、あのアホ聖女の評判、ガタ落ちだったな。『奇跡の押し売り』なんて言われてたぞ」
「当然だ。技術のない善意ほど、タチの悪いものはない」 イリスは馬車の荷台で寝転がり、空を見上げた。
アリア。 あの夢見る少女は、まだ気づいていないだろう。 自分がばら撒いている「奇跡」が、実は欠陥だらけの不良品であることに。 そして、その後始末をしている「影」がいることに。
「次は国境の関所だ。……この馬車があれば、『行商人夫婦』として怪しまれずに抜けられる」 イリスは目を細めた。 ここまでは順調。 だが、この先に待ち受けるのは、ただの関所番ではない予感がしていた。
風に乗って、微かに鉄と血の匂いが漂ってくる。 北の国境。 そこは、この国で最も「闇」が深い場所だった。
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