第13話:同床異夢の攻防戦と、ポンコツ聖女の置き土産
宿屋の客室。 そこは清潔で、暖炉の火も暖かく、雪山での野宿に比べれば天国と言えた。 ただ一つ、部屋の中央に鎮座する「ダブルベッド」という名の戦場を除けば。
「……いいか、グレン。よーく聞け」
イリスは腕組みをして、ベッドの前に仁王立ちした。 風呂上がりで、少し上気した白い肌から湯気が立っている。男物のシャツ(グレンの予備)をパジャマ代わりに着ているため、華奢な鎖骨や太ももが露わになっているが、本人の表情は軍曹のように険しい。
「このベッドには『国境線』が存在する。右半分が俺の領土、左半分があんたの領土だ。……もし寝返りを打ってこのラインを越えたら、即座に『麻痺毒』を打ち込む」
イリスが枕を使って、ベッドの中央にバリケードを築きながら宣言した。 グレンは呆れたようにため息をつき、タオルで濡れた髪を拭いた。
「面倒くせぇ奴だな。襲わねぇよ、そんな骨と皮しかないガキ」 「ガキ言うな。精神年齢なら俺の方が上だ」 「はいはい、お爺ちゃん。……だがな、俺は寝相が悪ぃぞ?」
グレンはニヤリと笑うと、ドカッとベッドの左側に倒れ込んだ。 スプリングが悲鳴を上げ、その反動でイリスの身体が跳ね上がる。
「おい! 静かに寝ろ!」 「早いもん勝ちだ。おやすみ」
グレンは瞬時に目を閉じ、数秒後には規則正しい寝息を立て始めた。元傭兵の特技、どこでも3秒で寝るスキルだ。 イリスはギリリと歯噛みした。 (こいつ……本当にデリカシーがない。……いや、俺を女として見ていないのは助かるが)
イリスはおそるおそる、自分の領土(右側)に潜り込んだ。 柔らかい。布団がふかふかだ。 雪のベッドとは違う、文明の感触。 だが、隣には猛獣が一匹。
(背中は向けない。何かあったらすぐ迎撃できるように……)
イリスは身構えていた。 しかし、疲労は正直だった。温かい布団と、隣から伝わってくるグレンの体温――ストーブのような熱量が、イリスの意識を急速に溶かしていく。 抵抗虚しく、イリスもまた深い眠りへと落ちていった。
***
深夜。 イリスは息苦しさで目を覚ました。 「……ん、ぐ……っ」 金縛りか? いや、違う。何かが重い。そして熱い。
目を開けると、視界いっぱいにグレンの胸板があった。 グレンが寝返りを打ち、バリケードの枕を吹き飛ばして、イリスを抱き枕のようにガッチリと抱き込んでいたのだ。 太い腕がイリスの腰に回り、足が絡みついている。
(コイツッ……! 国境侵犯だぞ!)
イリスは暴れようとしたが、グレンの力は万力のように強く、びくともしない。 「……むにゃ……肉……」 「誰が肉だ、離せゴリラ!」
イリスがペチペチと胸板を叩くが、グレンは気持ちよさそうにイリスの銀髪に顔を埋め、さらに強く抱きしめてくる。 密着する身体。 心臓の鼓動が直に伝わる。 悔しいが、安心感が凄まじい。雪山での恐怖が嘘のように、絶対的な安全圏に守られている感覚。
(……くそ。麻痺毒を打つ気力も起きない)
イリスは抵抗を諦め、不貞腐れたようにグレンの腕の中で脱力した。 まあいい。明日起きたら、慰謝料として朝飯を奢らせよう。 そう決めて、イリスは再び、不本意ながらも温かな微睡みへと身を委ねた。
***
翌朝。 グレンの横腹への強烈な「膝蹴り」で、爽やかな朝は始まった。
「ぐはっ!? ……何しやがる!」 「おはよう、犯罪者。私の安眠を妨害した罪で処刑だ」
不機嫌マックスのイリスと、理不尽な暴力に抗議するグレン。 ひと悶着あった後、二人は宿の食堂で朝食を摂っていた。 話題は、今後のルートについてだ。
「このまま北上すれば、三日で国境を越えられる。……ただ、検問がキツイらしい」 グレンが地図を見ながらパンを齧る。 「強行突破するか?」 「脳筋はやめろ。……商人の馬車に紛れ込むか、裏ルートを探すのが賢明だ」
イリスが紅茶を啜りながら策を練っていた、その時だった。
「た、大変だぁぁぁ!」
宿の外、広場の方から悲鳴が上がった。 ただ事ではない様子に、食堂の客たちがざわめき立つ。
「なんだ? 魔獣か?」 「違う、井戸だ! 広場の井戸が暴走してる!」
井戸が暴走? イリスとグレンは顔を見合わせた。 嫌な予感がする。昨日見たポスター。『アリア様の奇跡で、枯れた井戸から水が!』という文言が脳裏をよぎる。
「……行くぞ、グレン」 「ああ。嫌な予感がプンプンしやがる」
二人が広場へ駆けつけると、そこはパニック状態だった。 村の中央にある古井戸から、水が噴水のように噴き出している――だけではない。 その水が、意思を持ったスライムのように蠢き、周囲の屋台や人々を飲み込もうとしていたのだ。
「な、なんだこれは!」 「聖女様が直してくれたはずじゃなかったのか!?」
逃げ惑う村人たち。 イリスは冷静にその「水」を観察した。 魔眼で視る。水の中に、乱雑に書き殴られた魔術式が見える。
(……やっぱりか。あのアホ聖女、魔力の出力調整をしていない)
枯れた井戸を復活させるには、地下水脈を刺激して呼び込む必要がある。 だが、アリアは「水よ出ろ!」という単純かつ膨大な魔力を叩き込んだだけだ。結果、水脈が活性化しすぎ、さらにアリアの過剰な魔力が残留して、水そのものが「水精霊のなり損ない」のように暴走している。
「……下手くそなプログラミングだ。バグだらけで見てられない」 イリスが吐き捨てるように言った。 このままでは、村が水没するか、変異した水に人々が溺れ死ぬ。
「どうする、イリス。放っておくか?」 グレンが問う。 俺たちは追われる身だ。関われば正体がバレるリスクがある。
だが、イリスは不敵に笑った。 「まさか。……これはチャンスだ」
「チャンス?」 「『聖女アリアの奇跡』が、実は『呪い』だったと知らしめる好機だ。それに……」 イリスは暴れる水を見据えた。 「俺の技術の方が優れていると証明しないと、元技術屋としてのプライドが許さない」
イリスはフードを目深に被り直し、グレンに指示を飛ばした。 「グレン、あの水柱を物理的に叩いて一瞬だけ隙を作れ。その瞬間に俺が術式を書き換える」 「物理で!? 水だぞ!?」 「あんたの馬鹿力なら衝撃波で吹き飛ばせるだろ。……行くぞ!」
二代目聖女が残した「有難迷惑な奇跡」の後始末。 それは、イリスとグレンがこの村で英雄(あるいは新たな伝説)になるきっかけだった。
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