勘違いのはじまり
林道で倒れていた少女――ミュリエルと名乗った彼女は、まだ顔色こそ青白いものの、歩けないほどではないようだった。
リリアが肩を貸し、俺たちはゆっくりと街道を進む。朝靄は晴れつつあり、木漏れ日が差し込む道に彼女の金髪が淡く輝いた。
「助けていただいて、本当にありがとうございました」
小さな声ながら、彼女は幾度も頭を下げてくる。
「気にするな。あそこで見捨てたら、後味が悪いからな」
俺はできるだけ素っ気なく答えた。が、ミュリエルは首を横に振る。
「いいえ……勇敢に戦う方々に救われたこと、その意味はとても大きいんです」
“勇敢に戦う”――その言葉に、リリアがくすっと笑い、セラフィナが鼻を鳴らした。
「大げさだな。あんた、俺たちのことを知ってるのか?」
セラフィナの問いかけに、ミュリエルは一瞬目を伏せ、それからゆっくりと答えた。
「……はい。王都に向かう途中、いくつも噂を耳にしました。魔物を退け、人々を助けている旅の一行がいる、と」
俺の心臓がずくんと跳ねる。
(……やっぱり、そう来たか)
もちろん俺たちが受けた依頼や戦いは、すぐに冒険者ギルドを通じて広まる。だがミュリエルの言い方には、ただの冒険者以上の響きがあった。
「勇者様の仲間だって……噂を」
小さな声。けれど俺には、雷のように響いた。
「ちょ、ちょっと待て」
思わず語気を強める俺に、ミュリエルはきょとんと目を丸くする。
「違うんですか?」
「……」
答えられない。違うと言えば不自然だ。肯定すれば、余計に話がややこしくなる。
リリアが横目で俺を見て、口をへの字に結ぶ。セラフィナは明らかに呆れ顔だ。
「まったく……面倒ごとを引き寄せる体質だな」
小声で吐き捨てるセラフィナに、俺は聞こえないふりをした。
ミュリエルは俺たちの反応など気づかぬまま、きらきらと瞳を輝かせている。
「やっぱり……! 本物の勇者様の仲間に出会えるなんて……夢みたいです!」
俺は内心で頭を抱えた。
(いやいやいや、違うから! 仲間どころか俺自身が勇者なんだよ! でも今の姿じゃ……名乗れるわけねぇだろ……!)
リリアが慌てて話をそらす。
「と、とにかく! ミュリエルちゃんはどうして、あんなところで倒れてたの?」
ミュリエルは少しだけ表情を曇らせ、声を落とした。
「……実は、巡礼の途中だったんです。村から村へ、魔物に苦しむ人々のため祈りを届けて……。でも、途中で狼の群れに襲われて……」
「だから泥だらけだったのか」
リリアが納得するように頷く。
セラフィナは冷ややかに腕を組んだ。
「祈りだけで魔物が退くなら、世話はない。身を守る術も持たず、よく一人で旅をしようと思ったものだな」
厳しい言葉に、ミュリエルは小さく肩をすくめた。
「ごもっともです……。でも、どうしても誰かの役に立ちたくて」
その真っ直ぐな声に、俺の胸がちくりと痛む。
勇者である俺が隠している真実。
彼女の憧れの対象は、紛れもなく俺自身だ。だが、今の俺は“女の身体”の勇者失格。名乗ることもできず、彼女の期待を裏切り続けるしかない。
ミュリエルは続けた。
「ですから……どうか私を、しばらく旅に加えていただけませんか? せめて次の町まででも」
リリアが俺を見た。セラフィナも、ため息交じりに視線をよこす。
俺は唇を噛んだ。
「……わかった。ただし、危険は多い。それでも構わないんだな?」
ミュリエルはぱっと笑顔を咲かせた。
「はいっ! ありがとうございます!」
こうして――“勘違い”は、確信へと形を変えていった。
そして俺の胸の奥には、正体を明かせない苦しさと、不安な予感が重く沈んでいた。