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勝利と別れ

 雪原の最奥。

 そこは、すでに「白の大地」ではなかった。


 黒。

 地も、空も、吐く息さえも黒に塗りつぶされ、ただ残滓だけが支配する領域に変貌していた。

 風は凍りつき、氷が裂け、遠くの山々は影の幕に覆われて形を失っている。


「っく……!」

 俺は剣を振るい、迫る黒の腕を切り裂いた。

 しかし切り口はすぐにじゅうじゅうと音を立てて再生し、別の形に変じる。

 狼の頭、竜の爪、人の口。刻一刻と姿を変えながら、幾重にも迫ってくる。


「全然……効かない!」

 リリアの矢が矢継ぎ早に放たれる。

 風を裂く鋭い音が響き、矢は確かに残滓の体を射抜いた。

 けれどもそれすらも、黒の霧に飲まれて穴を塞がれる。


「どれだけ削いでも、終わらない……!」

 セラフィナが呻く。

 剣を閃かせ、炎のような光をまとって斬り裂く。

 だがその一撃でさえ、影を完全には断ち切れない。


 ミュリエルは震える手で祈りを続けていた。

「……《聖環サークル・オブ・グレイス》!」

 眩い光が仲間を包み、辛うじて立ち続ける力を与える。

 だが彼女の額からは絶え間なく汗が流れ、膝は小鹿のように震えていた。



 圧倒的な再生。

 まるで「勝利」という概念そのものを否定するかのような敵。

 兵たちの中にも、動揺が広がり始めていた。


「な、なんで倒れない……!」

「こんなの、化け物どころじゃ——」


 そのざわめきを切り裂くように、高司祭オルソスの声が響いた。


「——勇者よ! まだ気づかぬか!」


 振り返ると、彼は雪原の中央で残滓の影にすがるように立っていた。

 灰色の瞳は狂気に濡れ、声は笑いと涙で震えている。


「陛下はとうに死んでいる!」


 その言葉は、雪原全体を凍りつかせた。

 矢を番えたリリアの手が止まり、セラフィナの剣先が一瞬揺れる。

 ミュリエルの祈りの声も途切れ、彼女は絶句して杖を抱きしめた。


「なに……を?」

 俺も、言葉を失った。


 オルソスは天を仰ぎ、笑いと泣き声をないまぜにして叫ぶ。

「これは死に際に残した怨念と呪いが器をまとっただけ! 

 血も、肉も、魂すらも残ってはおらぬ! 

 ——だがそれこそ陛下の御業みわざ!」


 残滓が咆哮した。

 それはまるでオルソスの言葉に呼応するかのように、幾千もの声が重なった叫びだった。

 空気が震え、雪が宙に舞い、兵たちが耳を塞いで崩れ落ちる。


「我らが陛下は死してなお世界を縛り、勇者を滅ぼす!」

 オルソスの声が、影の咆哮を突き抜けて響いた。

「死を超えて、呪いとなりて! 勇者を呑み尽くす!」



 仲間たちは愕然としていた。

 絶望の重みが、戦意を圧し潰すかのようにのしかかってくる。


「そんな……じゃあ私たちは……ずっと影と戦ってただけなの……?」

 リリアが矢を取り落とした。


「本体は……とっくに死んでいる……? なら、私たちの剣は何を斬っていた……?」

 セラフィナが唇を噛みしめ、血を滲ませた。


「……こんなの、勝てるはずがない……」

 ミュリエルの杖が、雪の上にがくりと落ちた。


 兵たちのざわめきが広がり、雪原の光景は完全に呑まれようとしていた。


 ——だが。


 俺はそのとき、不思議と胸の奥に“光”を見た。


(……そうか)


 俺は剣を握り直し、一歩前に出た。

 仲間たちが驚いて振り返る。


「魔王はもういない」


 その言葉は、自分でも驚くほど澄んでいた。


「残っているのは呪いだけだ。なら、それを断ち切ればいい」


 リリアがはっと目を見開く。

 セラフィナが驚愕から怒りに変わり、剣を強く握った。

 ミュリエルの瞳に再び光が宿る。


「勇者じゃなくてもいい。俺はただ……仲間と共に、この呪いを打ち払う!」



「皆——力を貸せ!」


「もちろんだよ!」

 リリアが再び弓を構える。


「斬ってみせる!」

 セラフィナの声が烈風に轟いた。


「私、信じて祈ります!」

 ミュリエルが杖を高く掲げ、光を放った。


 祈りの光が雪原を走り、残滓の身体に絡む鎖のような線を浮かび上がらせる。

 黒い霧の中に無数の鎖がうごめき、残滓を縛っているのが見えた。


「これが……呪いの鎖!」

 ミュリエルが叫ぶ。


「なら、断つのみ!」

 セラフィナが剣を振り下ろした。

 轟音と共に、鎖が火花を散らして弾け飛ぶ。


「核は——あそこ!」

 リリアの矢が光を帯び、狙い澄ました一射が黒の中心を貫いた。

 影の身体がよろめき、霧が揺らいだ。


「アレン!」

 三人の声が重なった。


「——ああ!」


 俺は全身の力を剣に込めた。

 胸の勇者の証がまばゆい光を放ち、刃が白銀に輝く。


「終われぇぇぇぇっ!!」


 振り下ろした剣が、黒の核を真っ二つに断ち割った。



 閃光。


 残滓は、抵抗の叫びもなく霧散した。

 雪原に重くのしかかっていた黒が一気に剥がれ落ち、空に朝の光が差し込む。


 風が戻り、氷が音を立て、雪が白へと還っていく。


「……消えた、のか……?」

 リリアが呆然と呟いた。


「終わった……のか……?」

 セラフィナも剣を下ろす。


「うう……ううぅ……」

 ミュリエルは涙を流し、杖にしがみついていた。


 俺は静かに剣を下ろし、深く息を吐いた。

 呪いの重圧が、胸からすべて取り払われていた。


「……魔王は、すでに死んでいた」

 雪原を見渡しながら、俺は呟く。

「だがその影を打ち破るのは……俺たち自身だった」


 仲間たちが、涙の笑みで頷いた。

 兵たちも次々と歓声を上げ、空へ剣を掲げた。


 雪原に、ようやく静けさと光が戻ったのだった。

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