表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/61

ミュリエルの涙

 「勇者の名を騙った者に、裁きを――」

 宰相ラドクリフの声が冷たく広場を覆った瞬間、槍を構えた兵士たちが前へ一歩進んだ。鋼の先端が灯りを受け、白く閃く。群衆の息が詰まり、ざわめきが波のように押し寄せては消えていった。


 俺は、ただ立ち尽くしていた。

 足元の石畳が鉛のように重く、喉は乾いて声が出ない。胸の奥には「俺は勇者じゃない」という叫びが渦を巻き、答えの出ない問いが何度も反響していた。


(どうする……? このままじゃ、仲間まで――)


 セラフィナが大剣に手をかけた。リリアも矢をつがえようとしている。もし兵士たちが襲いかかれば、血が流れるのは避けられない。

 その瞬間だった。


「待ってください!」


 透き通った声が、張り詰めた空気を切り裂いた。

 兵士たちの足が止まり、群衆の視線が一斉に声の主へと注がれる。


 そこにいたのは――ミュリエルだった。

 小柄な体を震わせながらも、俺たちの前に一歩進み出て、杖を両手で握りしめていた。頬を伝う涙が月明かりに光り、彼女の決意を照らしている。


「お、お姉ちゃんは――」

 声が震えた。だが、その瞳は迷わずまっすぐだった。

「お姉ちゃんは……勇者です!」


 広場に静寂が落ちる。

 あまりに真っ直ぐな言葉だった。装飾も理屈もなく、ただ心の底から溢れた叫び。

 群衆の間から小さなざわめきが広がる。


「お姉ちゃん……?」

「勇者を……そう呼んでいるのか?」


 困惑と嘲笑の混じった声が散らばる。だが、それでもミュリエルは退かなかった。


「私はずっとお姉ちゃんに守られてきました! 森で魔物に襲われたときも、旅の途中で傷ついたときも、いつだってお姉ちゃんが前に立ってくれました!」

 涙で言葉が途切れながらも、必死に叫ぶ。

「勇者かどうかなんて……そんなの関係ありません! 私にとって、お姉ちゃんは勇者なんです! 誰がなんと言おうと……絶対に!」


 杖を胸に抱き、声を振り絞った。

 その姿に、俺は胸を締め付けられる。


(なんで……なんでそこまで……)


 俺は勇者じゃない。偽りの証にすがり、人々の期待に押し潰されそうになっている。ただの落ちこぼれだ。それなのに、ミュリエルは――迷いなく俺を勇者だと信じている。


 足が一歩、前に出そうになる。だが宰相の鋭い声がそれを封じた。


「子供の情緒で国を惑わすか」

 ラドクリフの目が細められる。「可憐な涙に庶民は酔うだろうが、国家の真実は感情では決まらぬ」


 兵士たちが再び構えを取り直し、槍の列が冷たく光る。

 だが群衆の一部はざわめき、ためらうように見合わせた。ミュリエルの叫びが、確かに人々の心を揺さぶったのだ。


 リリアがミュリエルの肩を抱き、彼女を支えるように立った。

「……アレン。聞いたでしょ。誰よりも純粋に、彼女はあなたを勇者だと信じてる」

 その声に俺の心臓が痛む。


 セラフィナも低く呟く。「嘘では救えん。だが……真実は力だけで決まるものじゃない」


 ミュリエルの涙が石畳に落ち、月光の下で煌めいた。

 俺は拳を握り、胸の奥で言葉を探す。まだ答えは出ない。勇者として名乗る覚悟も、自信も持てない。

 けれど――この仲間の想いだけは、裏切れない。


 宰相の目が俺を射抜く。「ならば証明してみせろ。さもなくば、拘束だ」

 冷たい声が響くと同時に、兵士たちがじりじりと近づいてきた。


 俺は一歩、前に出た。

 震えるミュリエルの肩越しに、槍の先を見据える。

(勇者かどうかは、わからない。だが……仲間を守る。そのために俺は――)


 唇が開きかけた瞬間、宰相の合図で兵士たちが一斉に動いた。

 群衆が悲鳴を上げる。リリアが弓に矢を番え、セラフィナが剣を構え、ミュリエルが必死に俺の手を握った。


 緊迫の中、宰相の罠はさらに深まっていく――。



 その夜、俺たちは王城の奥、冷たい石の部屋へと連れ込まれた。

 鉄格子の向こうで兵士が立ち、宰相の影が冷笑を浮かべる。


「勇者の真贋は、閉ざされた場で明らかにしてやろう」


 ミュリエルのすすり泣きが、石壁にこだまする。

 その涙が胸に刺さり、俺は拳を握り締めた。


(絶対に、守る。勇者かどうかじゃなくて……俺自身として)


 その決意だけが、闇の中で微かに灯る光だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ