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騎士団の影

 王城の大階段は、昼の光を受けて白く輝いていた。玉座の間へ続く赤絨毯の両脇には、槍を立てた近衛がずらりと並ぶ。歓声と楽の音は外へ置いてきたはずなのに、なお胸の奥でざわめいて離れない。


「ケルベロスを退け、辺境を救った功、まこと見事である」


 玉座から響く王の声は穏やかで、広間の石壁に柔らかく反響した。廷臣たちが一斉に手を打つ。視線が、称賛が、雪のように降り積もる。俺は一歩進み、膝を折って頭を垂れた。


「身に余る栄誉にございます」


 口が勝手に礼を述べる。胸の内側では、別の言葉が渦巻いていた――(俺は勇者じゃない)。


 謁見の列の後方、鎧の擦れる小さな音がする。ふと目を上げると、銀の紋章を肩章に刻んだ騎士がこちらをまっすぐ見ていた。年若いのに眼差しは氷のように冷たい。第一騎士団副長、レオナルト――周囲の囁きでそう知る。


(こいつは、信じてない)


 王の称賛は続いた。宰相は薄い笑みを崩さず、貴族たちは頷きとともに評価を積み増していく。歓呼の外套は心地よい重さのはずなのに、俺の肩には鎖のように絡みつく。


 謁見が終わり、広間から賓客が退いていく。退室の流れの中、レオナルトとすれ違った。金属の響きが近くなる。彼は一度だけ足を止め、吐息とともに低く言った。


「……英雄の芝居は、舞台が変われば剥がれる。覚えておけ」


 咎めるほど大きな声でも、励ますほど柔らかくもない。事実を指で弾いて落としただけのような、乾いた音だった。


 セラフィナが眉をひそめる。「不躾な男だな」

 俺は首を横に振った。「いい。気にしない」


 気にしていた。喉の奥に小さな棘が刺さったままだ。



 城下に戻ると、街はまだ祭の熱気が残っていた。露店の親父が焼きたての串肉を押しつけ、花売りの少女が色あせた花冠を被せようと背伸びする。


「お姉ちゃん勇者さま、こっち向いて!」

「だから、その呼び方は……!」


 ミュリエルが嬉々として手を振り、リリアは苦笑いで俺の肩紐を直した。「いいじゃない、似合ってる」

 セラフィナは腕を組み、周囲の視線をさりげなく払って歩く。「浮かれすぎるな。影も伸びる」


 影――。耳を澄ませば、陽の当たらない路地から別の囁きも聞こえる。


「女が勇者? 茶番だ」

「討伐の裏で、魔術師に小細工させたって話だぞ」


 振り返って睨みつけたい衝動を、奥歯で噛み砕く。俺が否定してどうにかなるものでもない。けれど、背中のどこかがずっと冷えていた。



 夕暮れ、宿の二階の一室。窓の外で橙の光が石畳を塗り、遠くで鐘が鳴る。テーブルの上には王家の紋章が入った小袋と、謁見の折に下賜された勲章。どちらも眩しすぎて、今は直視したくなかった。


「……王都は恐ろしい場所だな」


 セラフィナが窓際に立ち、薄闇を見下ろして言う。「讃える声と、貶める舌。どちらも同じくらい簡単に生まれる」

「でも、それはつまり……皆、見てるってことだよね」


 ミュリエルが真っ直ぐこちらを見る。「アレンさんが、戦ってくれたこと。ここに、ちゃんと届いてる」


 リリアが穏やかに笑う。「勇者かどうかなんて、私はどっちでもいいよ。あなたが前を歩くなら、私はその隣を歩くだけ」


 喉の奥の棘が、少しだけ柔らかくなった気がした。

「……ありがとな」


 それでも、胸の重石は消えない。称号は、簡単に人を壊す。王都は、それをよく知っている。



 食堂で簡素な夕食を取ったあと、俺は一人で屋根裏の小さなバルコニーに出た。夜気は冷たく、昼間の熱を洗い流してくれる。城の塔の先端が月に縁どられ、遠くで笑い声と楽の音がまだ続いている。


(偽者、か)


 唇に苦笑いが浮かんだ。偽者であることは、ある意味で真実だ。俺は“勇者アレン”が持っていたはずの強さを持っていない。女の身体で、剣を構えれば腕が震え、息が上がる。あの夜、仲間が一人でも欠けていれば、俺は獣の餌になっていた。


 それでも――。


 あの時、ミュリエルの結界が光り、リリアの矢が闇を裂き、セラフィナの剣が群れを薙いだ。俺はその先頭に立っていた。理由は簡単だ。俺がいちばん、仲間の背中を守りたいからだ。


 バルコニーの扉が軋み、足音が近づく。振り返ると、リリアが毛布を抱えて立っていた。


「夜は冷えるよ。……無理して笑わなくていい」

「笑えてたか?」

「ううん。少しだけ」


 毛布を肩にかけられ、苦笑が深まる。「ありがとう」

「ねえ、アレン。王都の噂なんて、風みたいなものだよ。熱い時は気持ちよくて、冷たい時は刺さる。でも、風が止んでも、私たちは歩けるでしょ?」


 言葉は柔らかく、骨に届いた。俺は小さく頷き、夜景に視線を戻す。

「歩くさ。お前たちと一緒にな」


 リリアが満足げに微笑み、扉のところで振り返る。「……それでも、あなたは私の勇者よ」


 扉が閉じる。胸のどこかで硬いものが、音もなく崩れた。



 その夜更け、階下の廊下を重い靴音が進んだ。宿の主人が慌てた様子で二階に上がってくる。


「アレン殿。王城より使いの者が――」


 背筋に冷たいものが走る。扉が開き、紺の外套の役人が恭しく頭を垂れた。胸には王家の紋章。封蝋の施された書状が、銀盆の上に載っている。


「王命により、明朝、城へ参られたし。――勇者一行に、次の任がある」


 短い文言が、部屋の空気を変えた。セラフィナは剣の柄に触れ、リリアは息をのむ。ミュリエルは拳を胸の前でぎゅっと握りしめ、俺を見上げた。


「……承知した」


 声が自分のものではないように落ちた。役人が一礼し、足音が遠ざかる。封蝋の紋が、月光に赤く光っていた。


(次の任、か)


 また舞台に立たされる。拍手と囁きと、目に見えない鎖の揺れる場所へ。逃げる選択肢は、最初から用意されていない。


「アレン」


 セラフィナが低く言う。「誰が糸を引いていようと、私たちは私たちのやり方でやる」

「うん。だって――」


 ミュリエルが顔を上げる。「お姉ちゃんは、私たちの勇者ですから」


 胸の真ん中が熱くなる。俺は封書を革袋に収め、深く息を吐いた。


「明日、王城だ。……行こう」


 鐘がまた、夜を切り裂いた。王都が眠る気配はない。どこかで笑い、どこかで囁き、どこかで剣が磨かれている。


 闇の向こうに、白い塔が立っていた。そこに待つのが称賛か罠かは、まだわからない。だが一つだけ確かなことがある。


 俺は勇者じゃない。けれど、仲間の先頭を歩く覚悟は、もう揺るがない。


 そして――宰相の名が、封蝋の裏にかすかに透けているのを、俺は見逃さなかった。明朝の王城で、何かが始まる。噂ではなく、現実の影が。


 夜風が、毛布の端をそっと揺らした。

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