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勝利と代償

 ――炎の渦が静まり、夜の森に沈黙が戻った。


 俺の剣が振り抜かれた瞬間、ケルベロスの最後の咆哮が空を裂いた。三つ首のうち二つを落とし、残る首も深々と裂傷を負っていた。黒き巨体はぐらりと揺れ、足掻くように地を抉ったのち、轟音と共に崩れ落ちる。

 その瞬間、背後に控えていた狼の群れが一斉に吠え、主を失った混乱に駆られて散り散りに森へと退いていった。


「……やった、のか?」


 荒い呼吸の合間に、俺は呟いた。体の奥から熱と痛みが波のように押し寄せてくる。左腕には深い爪痕が走り、焼け焦げた布がまだ煙を上げていた。


「アレン!」

 リリアの声が駆け寄る。弓を手に、土と血にまみれた姿のまま、彼女は俺を支えようとする。だが、俺は膝から崩れ落ちてしまった。

 力が、入らない。


「大丈夫ですか!? アレンさん!」

 ミュリエルが駆け寄り、杖を握り締めて膝をつく。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。


「ま、まだ……立てる。村を……」

「喋らないでください!」

 必死の声と共に、淡い光が俺の身体を包む。癒しの魔法――彼女の持てる力のすべてを注ぎ込んでいるのがわかった。

 光は痛みを和らげ、裂けた肉を縫うように癒していく。だが、深すぎる傷はすぐには塞がらない。熱に浮かされる意識の中で、俺はミュリエルの必死の表情を見つめていた。


「もう……死んじゃうかと思いました……」

「死んでない。まだ、ここにいる」

 かすれ声でそう返すと、ミュリエルは泣き笑いのような顔で首を振った。


 周囲を見れば、セラフィナは血に濡れた剣を突き立て、肩で息をしていた。リリアは矢筒の底を叩きながら、最後の矢を握りしめている。皆、満身創痍だった。

 それでも――誰一人欠けてはいない。俺たちは勝ったのだ。



 戦いの後、村人たちが恐る恐る姿を現した。

 長老を先頭に、震える足取りで近づいてくる。

 やがてケルベロスの死骸を目にした瞬間、彼らの顔に涙と歓声が広がった。


「倒してくださった……本当に、怪物を……!」

「勇者さまが、我らを救ってくださった!」


 押し寄せる人々の声が耳を打つ。だが俺には、その言葉を素直に受け取れなかった。

 俺は勇者じゃない。ただの、成り行きでここに立った冒険者に過ぎない。

 けれど今、村人たちの瞳に映る俺は「勇者」そのものだった。


「……アレン」

 セラフィナが低く呼ぶ。

「これでしばらくは村も安泰だろう。だが、お前の傷は深い。動けるうちに休め」

「そうだよ。強がらなくていい」

 リリアが矢を収めながら、柔らかく笑みを向けた。

「私たち三人がついてる。あなたは――もう一人じゃない」


 その言葉に、張り詰めていた心がふっと緩んだ。俺はただ小さく頷くことしかできなかった。



 夜更け、村の集会所に運び込まれた俺は、寝台に横たわっていた。

 ミュリエルが枕元から離れず、何度も何度も癒しの術を繰り返してくれる。だが、彼女の顔色は青白く、限界に近いことが見て取れた。


「もういい……無理するな」

「いいえ……私が止めたら、アレンさんが……」

「お前まで倒れたら困るんだ」

 そう言って彼女の手を握ると、ミュリエルは堰を切ったように涙をこぼした。


「ごめんなさい……私、もっと強かったら……!」

「十分強いさ。俺は、お前に救われてばかりだ」

「……ほんと、ですか?」

「ああ。だからもう泣くな。お姉ちゃんの顔が台無しだぞ」


 そう冗談めかして言うと、彼女は涙を拭い、ようやく笑みを浮かべた。



 翌朝。

 俺たちが集会所を出ると、村人たちが総出で見送ってくれた。

 だがその陰で、ひそひそとした声も聞こえる。


「やはりあの方は勇者なのだ……」

「いや、違う。偽物だという噂も……」

「どちらにせよ、あれほどの力……ただ者ではない」


 賛美と疑念が入り混じり、俺の胸に重くのしかかる。

 もう戻れない――そう囁く声が耳の奥で響いた。

 ただの冒険者だった俺は、すでに「勇者」の影を背負わされてしまったのだ。


「アレン」

 リリアが横に並び、肩を軽く叩いた。

「気にすることない。真実は私たちが知ってる」

「そうだ。勇者だろうが偽物だろうが、俺たちの仲間に変わりはない」

 セラフィナも笑みを見せる。

「アレンさんは……私たちを守ってくれました。それがすべてです」

 ミュリエルの言葉に、胸が熱くなった。


 俺は深く息を吸い、仲間たちを見渡した。

 彼女たちが信じてくれる限り、俺は歩き続けられる。

 勇者か偽者か――そんな呼び名に振り回されるよりも、守るべき人々と仲間のために。


「行こう。次の道へ」

 俺の言葉に、三人が力強く頷いた。


 こうして俺たちは、新たな旅路へと踏み出す。

 だが胸の奥には、噂という形を取った「代償」が、確かに刻まれていた。


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