出立前夜
王都に滞在して三日目の夜。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った城下の宿の一室で、俺たちは灯りを囲んでいた。窓の外にはかすかに人のざわめきが残っているが、それも遠く、ここには俺たち四人の息遣いだけがある。
出立を明日に控え、胸の内は落ち着かなかった。
王から直々に命じられた「北の森の調査任務」。名誉なことだと誰もが口を揃えるだろう。だが俺にとっては、過去と向き合う覚悟を試されるようなものだった。
「……静かだな」
ぽつりと口にしたのはリリアだった。長い金髪をほどき、背凭れに体を預けている。その瞳はいつもより鋭さを欠き、どこか遠くを見つめているようだった。
「静かすぎて、不気味なくらいだ」
セラフィナが応じる。銀髪の戦士は、磨き上げた剣を鞘に納めながら低く呟いた。「王都に来てからずっと騒がしかったのに、こうして夜になると一気に不安が押し寄せてくる」
俺は二人の言葉に黙って頷いた。
その向かいで、ミュリエルが膝を抱えて座っている。小さな肩が小刻みに震えていた。
「……怖いのか?」
気づけば声が出ていた。
ミュリエルははっとして顔を上げ、慌てて首を振る。
「ち、違います。怖いんじゃなくて……でも、やっぱり少しだけ」
彼女の正直な言葉に、俺は苦笑した。
強がりでも空元気でもない。ありのままをさらけ出す姿に、妙に心が和らぐ。
「怖いのは当然だよ」リリアがやわらかい声で言った。「相手がどんな魔物かわからないんだ。私だって、胸がざわざわしてる」
「私も同じだ」セラフィナが肩をすくめる。「不安がないと言えば嘘になる」
三人の言葉を聞いて、ミュリエルの表情が少し緩んだ。
「……そうなんですね。皆さんでも」
「ああ」俺も言った。「怖いからこそ、備えるんだ。油断すれば一瞬で命を落とす世界だしな」
火の粉がぱちりと弾ける。
その音に紛れるように、俺は心の奥を吐き出した。
「正直、俺はまだ迷ってる。勇者として本当に戦えるのか、仲間を守れるのか……この姿で名乗る資格があるのか」
言葉にした瞬間、胸が少しだけ軽くなった。
リリアとセラフィナが目を見開き、ミュリエルがきゅっと拳を握る。
「アレン」リリアがまっすぐに俺を見る。「資格なんて、誰かが決めるものじゃない。あなたが歩き続ける限り、それが勇者の証だと思う」
「お前が迷っても、俺たちは背中を預ける」セラフィナの声は揺るがない。「だから一人で抱えるな」
「わ、私も!」ミュリエルが顔を真っ赤にして叫んだ。「まだ力になれないかもしれないけど……それでも、一緒に戦いたいです!」
その言葉に、不思議な力が湧いてくるのを感じた。
俺の迷いはまだ消えない。けれど仲間たちの思いが、確かに支えになっていた。
「……ありがとう」
小さくつぶやき、俺は皆を見渡した。
この三人となら、どんな困難でも乗り越えられる。そう思わせてくれる夜だった。
やがて火が小さくなり、各々が眠りの支度を始める。
リリアは窓辺で弓の弦を確かめ、セラフィナは剣を抱いて横になり、ミュリエルは毛布にくるまって小さく祈りを捧げている。
俺は一番最後に横になった。
瞼を閉じても眠気はすぐには訪れない。
代わりに、王都の夜空を覆う星々の光と、仲間の静かな寝息が、胸に沁みるように広がっていった。
(明日からが本番だ。逃げることはもうできない。だけど……俺は一人じゃない)
そう思いながら、ようやく深い眠りに落ちていった。




