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任務の依頼

 謁見の間を辞して間もなく、俺たちは侍従に導かれて王城の一角――地図と書簡で壁が埋まった執務室へ通された。重厚なテーブルの中央には王都を中心とした周辺地図が広げられ、いくつもの赤い印が滲むように刻まれている。


「入れ」


 扉の向こうから落ち着いた声。現れたのは紫のローブをまとった宰相代理ヴァルターだった。切れ長の眼差しでこちらを測り、口元だけで礼を形作る。


「先の謁見、見事に務めたな。……座れ。時間は惜しい」


 促され、俺たちは席に着いた。リリアは地図に身を乗り出し、セラフィナは背筋を伸ばしたまま沈黙。ミュリエルは緊張と期待に頬を紅くしている。


「本題に入る」ヴァルターは長杖の先で地図の北を指した。「王都より北東、森と丘陵に囲まれた《グレイグ村》。数週前から家畜の失踪が相次ぎ、昨夜ついに人間の負傷者が出た。目撃談では、動きの速い大型の魔獣ということだ」


 セラフィナの瞳がわずかに細くなる。「詳しいことは分かっていないということですか?」


「そうだ。被害はまだ『致命的』ではないが、放置すれば拡大は必至。王都へ走る街道も近く、民心にも関わる」ヴァルターは短くまとめ、「討伐、もしくは出現理由の究明。どちらの場合も、王へ直ちに報告だ」と言葉を重ねた。


 リリアが指で街道と村の距離を測る。「王都からだと丸一日半。森沿いに抜ければ一日で着くけど、沼地があるから隊列は崩れる」


「ふむ。それで?」と宰相。


「四人運用なら、沼は避けて丘陵を回るのが安全。村の外縁で野営、翌朝に足跡の新しいルートから追うのが一番堅い」


 セラフィナが補足する。「村に着いたらまず負傷者の状態と聞き取り。扇動の痕跡があるなら、亜種の背後に『何か』がいる。魔石反応を調べたい」


 ミュリエルがおそるおそる手を挙げた。「あの……回復薬や解毒薬は、支給は……?」


 宰相はうなずき、侍従に視線を送る。銀の盆に重ねられていた革札が、カサリと音を立てた。


「《補給証》だ。王印入り。北門倉庫、王都ギルド本部、沿道の駐屯地で使用できる。矢束、食糧、薬品、簡易罠――常識の範囲で必要分を受け取れ。代わりに、三日ごとに報告を上げろ」


「報告、三日ごと……」俺は復唱した。王都の「目」が常にこちらを見張るということでもある。


 ヴァルターは淡々と続ける。「報酬は基本金貨八十。討伐証明の程度と付随する功績(被害抑止、住民救助、扇動者の排除)に応じて加算する。――ただし、無用な破壊は減額対象だ」


 その一言で、リリアが露骨に肩を落とした。「野営用に村の薪を少し……」


「買え」宰相の返答は、一刀両断だ。


 セラフィナが小さく笑う。「貴族は金の勘定にうるさい」


「国庫の管理だ。君らの剣よりは地味だが、国を守る仕事だよ」ヴァルターの視線が、そこで初めて柔らかく揺れた。「……それと、象徴の問題だ」


「象徴?」思わず訊き返す。


「民は『勇者一行』を求めている。王都に満ちる噂は、君らをすでにそう見ている。現地では“勇者らしい”振る舞いを期待されるだろう。礼節・節度・救済。武勇だけではない」


 胸の中で、苦い何かが鳴った。(勇者らしい、か)


 ミュリエルが勢いよく頷く。「任せてください! お姉ちゃ――」


「おっと」ヴァルターの指がわずかに立つ。穏やかな笑みとは裏腹に、釘は鋭い。「王城内での呼称は慎みたまえ。……だが、仲間内の空気は悪くない。結束は、戦場で何よりの武器だ」


 ミュリエルが真っ赤になって俯き、リリアが笑いを噛み殺した。セラフィナは「やれやれ」といった顔で天を仰いでいる。


「最後に」白衣の魔導師が進み出た。「これを」

 差し出されたのは、指先ほどの透明な石。「報告用の《響導石》。簡易的な魔術通信具です。途中の駐屯地にある中継で王都に届きます。粉砕すれば緊急信号になりますが、使用は慎重に」


 俺はそれを掌に載せ、光を透かして見た。かすかに内側で光が揺れている。(逃げ道はない、か)


「他に質問は?」宰相の視線が一巡する。


 セラフィナが手短に。「王城書庫で古い魔獣の記録を閲覧したい。出立までに、一刻だけ」


「許可する。侍従、案内を」

 リリアも続いた。「北門の補給所で矢束を。あとは……地図の写しを一枚」

「用意しよう」


 俺は一呼吸置いてから、口を開く。「村から王都へ、被害の詳細を上げたのは誰だ?」


「巡回隊《ファルコン分隊》の隊長だ。今は北門詰め所に滞在している。話を通しておこう」


 必要な手当ては出揃った。後は、俺たちがどう動くかだ。


 立ち上がると、ヴァルターは小さく顎を引いた。「――期待している。王も、民も、そして……君たち自身も」


 言葉は軽いが、背に乗る重みは軽くない。俺は胸の奥で短く息を整えた。(勇者失格のままでも、前を向く。――今はそれだけだ)



 執務室を出ると、王城の回廊に昼の光が満ちていた。磨かれた床が歩くたびにわずかに反射し、窓の外には王都の屋根が連なっている。


「ふぅ……」リリアが肩の力を抜く。「報酬、悪くないじゃん」


「減額の条件が多すぎるがな」セラフィナが肩を竦める。「とはいえ、象徴としての振る舞い……か。お前に一番似合わない言葉だな、アレン」


「放っておけ」苦笑で返す。「けど、村を守るのは得意分野だ。勇者だからじゃなく、俺たちがやってきた仕事として」


 ミュリエルがぱっと顔を上げた。「じゃあ、やっぱり行けるんですね! ……あの、補給の前に、王都の市場に寄ってもいいですか?」


「市場?」リリアが首を傾げる。


「はい。えっと……お揃いの、髪紐とか。現地でほどけないように結べる、冒険者用のやつ。――その、パーティっぽいかなって」


 セラフィナが咳払いで照れ隠し。「くだらなくはない。統一感は士気に影響する。……ついでに私は触媒粉を追加で買う」


 リリアが笑った。「じゃ、補給のついでに市場! 北門に行く前にサクッと回ろう」


 俺は頷きながら、回廊の窓に目を向ける。北へと延びる街道が、王都の外壁の向こうに細く伸びているのが見えた。陽は高く、風は乾いている。出発は明日――いや、今夜にでも行ける。だが、仲間の士気と支度を整える一日を置くのが、今の俺たちには正解だ。


(“勇者らしさ”なんて知らない。けれど、守るべき背中の数は、昔より増えた)


「アレン?」ミュリエルが覗き込む。「どうしました?」


「いや、なんでも。――行こう。まずは補給と……髪紐だ」


 ミュリエルの顔がぱっと明るくなり、リリアが両手を叩いた。「やった。色はどうする? 赤? 青? それとも――」


「統一色は私が決める」セラフィナがさらりと言う。「汚れが目立たず、視認性の高いものだ」


「実用一点張り!」リリアが笑い転げ、ミュリエルもつられて笑う。俺もつい、口元が緩んだ。


 回廊の角を曲がったとき、甲冑の擦れる音がして、二人の近衛が脇に控えたまま会釈をした。小声で聞こえる。


「――あれが“お姉ちゃん勇者”か」「しっ。聞こえる」


 俺は額を押さえる。「……王城でそれはやめてくれ」


 三人の笑い声が、石造りの廊下に軽く反響した。



 北門へ向かうまでの一日は、短くて長い。

 補給証で矢束と保存食、薬品の確認。セラフィナは魔術書庫で亜種の記録を写し取り、ミュリエルは教会で簡単な加護を受ける。市場では、職人が見繕ってくれた丈夫な髪紐を四つ――色は煤けた藍色。俺たちはそれぞれに結び、鏡のような水鉢に顔を寄せ合った。


「うん。悪くない」リリアが親指を立てる。

「統一感が出たな」セラフィナも珍しく満足げだ。

「おそろい……!」ミュリエルが胸の前で手をきゅっと握る。


 俺はゆっくり頷いた。「行くか。――グレイグへ」


 王都の屋根越しに北へ伸びる空は高く、雲が夏の気配をひと筋引いていた。

 王印の補給証と小さな響導石、そして新しい髪紐。背中に感じるのは、重責だけじゃない。仲間と歩調を合わせたときの、確かな重みだ。


(勇者らしさは、道の先で見つければいい。今は――俺たちのやり方で)


 夕鐘が鳴る。

 俺たちは視線を合わせ、小さく頷き合った。

 出立は明朝。夜明けとともに、北へ。


 噂の「勇者一行」なんて肩書きよりも先に、守るべき村がある。

 そう自分に言い聞かせ、王都の夕暮れへ歩き出した。

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