第1話
人との関わりは最小限がちょうどいい。
それが、黒瀬 泰志の自論だ。
心が近くなればなるほど、失った時の悲しみは大きい。
そんな悲しみを受けるくらいなら、最初から関わらない方が吉である。
だから泰志は、こうして一人、教室の隅で本を読む。
誰とも話さず、自分の世界に没頭する。
それが今の、泰志の生きる唯一の楽しみで価値である。
「まーた一人で本読んでる」
泰志のクラスメイトの少女の1人が、弁当を泰志の机に置きながら言ってくる。
「たまには外で遊んだら?運動神経も悪くないのに、もったいないよ!」
「いつも言ってるけど、僕に関わらない方がいいよ、咲希」
彼女の名前は、海星 咲希
泰志の幼馴染であり、クラス1の美女と名高い美少女だ。
昔は内気で、人と話すのが苦手な子だったが、いつしか明るく、誰とでも仲良くなれる子になっていた。
まるで、楓のように。
「そう言う事言ってると、本当に私も離れちゃうからね!」
「願ってもない提案だ」
「あ、ちょっと!?」
泰志は席を立ち、咲希を見る。
「これ以上、僕に関わるな」
それだけ言って、泰志は教室を出て行った。
「何あいつ、せっかく咲希が話しかけてあげてんのにさ」
咲希の元に近づいてきたクラスメイトが泰志の出て行った扉の方を見ながら言う。
「咲希も、あんな奴ほっときなよ、関わったってろくな事ないよ」
「それは、できないよ」
「本当、咲希は優しいね」
「そんなんじゃない。これは、私の罪滅ぼし」
(せめて、泰志が笑ってくれるまでは……)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「黒瀬、進路希望の紙、早く提出してくれよ、とりあえず書くだけでもいいから」
放課後、担任の先生に呼び出され、泰志は進路の話をされる。
まだ高校2年生の6月だが、今の時代、この頃には進路の話をされるのが当たり前である。
職員室を出た泰志は、白紙の進路希望の紙を見る。
「……将来なんて、考えられないよ」
今の泰志に、未来を考えることなどできなかった。
いつまでも、5年前のあの場所、あの瞬間から動けないでいる泰志には。
「じゃあ、明日からお願いします!」
その時、どこからか声が聞こえた。
もう聞くことはないと思っていた声に、よく似ていた。
気づけば、声の方へと泰志は走っていた。
ありえない話だと頭では分かっている。
けれど、体が動いていた。
「楓!?」
声のした場所に着いた泰志だったが、そこに居たのは後輩の女の子が2人だけだった。
2人の女の子は、変な人を見る目で泰志を見ながら、その場を去って行った。
「……何やってんだ、僕は」
自分の行動に呆れてしまう。
楓が生きているなんて、あるはずがないのに。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
翌日、泰志はいつものように登校する。
誰かに挨拶されることもなく、楽しげな会話をするクラスメイトの間を縫うように歩き、自分の席に座って予鈴まで本を読む。
「ねえ聞いた?今日転校生来るらしいよ!」
そうしていると、咲希が楽しそうに話しかけてくる。
「転校生とか、漫画みたいだよね〜」
「どうでもいいよ。転校生なんて、興味もない」
「で、でもほら!可愛い女の子とかだったら、男子的には嬉しいんじゃない?」
「それこそ、心底どうでもいい」
「……そっか」
泰志は冷たい目で言う。
その目を見た咲希は、寂しそうな表情を浮かべながら自分の席へと戻る。
その光景を見ていたクラスの男子が、泰志を睨んでいる。
時間になり、予鈴が鳴る。
泰志は本を仕舞い、窓の外を見る。
いつもの事だ。
扉が開かれ、担任の先生と転校生が入室してくる。
男子達が声を上げている。
どうやら、転校生は女子のようだ。
「……え」
歓声に紛れて、咲希の驚いた声が微かに聞こえた。
他のクラスメイトは気づいていないが、泰志には確かに聞こえた。
少し気になり、泰志は転校生を見る。
ガタンッ
思わず、泰志は立ち上がった。
その拍子に、椅子が後ろに倒れる。
「どうかしたか?黒瀬?」
「……いえ、なんでもないです」
泰志は椅子を戻し、座り直す。
ありえない
そう思っても、彼女を見ると、重ねてしまう。
「それじゃあ、自己紹介を」
「はい!東京から来ました、森川 奏です!よろしくお願いします!」
転校生の森川 奏の声と容姿は、楓と瓜二つだった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
その日の放課後、泰志はクラスの男子数人に呼び出されていた。
指定場所に着くやいなや、泰志は男子達に取り囲まれる。
「お前さ、ちょっと咲希ちゃんに気に入られてるからって、調子乗ってんだろ?」
(やっぱり、そういう話か)
予想通りの話で、泰志は呆れてため息をこぼす。
それが、男子達の癇に障る。
「何、ため息なんかついてんだ、よ!」
男の一人が、泰志の顔を殴る。
今時珍しい、ちゃんとした暴力だ。
「こんな本ばっか読んでるから、生意気な奴になるんだよなー」
別の男が、泰志が手に持っていた本を取り上げて近くの側溝に捨てる。
それでも、泰志はされるがままで、動こうとしない。
その姿を見て、男子達の行動もエスカレートしていく。
「なあ、こいつサンドバッグにしようぜ」
「さすがにやりすぎはやばくね?」
「大丈夫だって、こいつにチクる勇気なんてねえよ」
男子達がそんな会話していても、泰志は動かない。
ただ立って、終わるのを待っていた。
その時、
「先生!こっちで喧嘩してる人達がいまーす!」
そんな叫び声が聞こえる。
「やべっ!逃げるぞ!」
男子達は走ってその場を去って行く。
しばらくすると、先生ではなく、一人の女の子が泰志の前に現れる。
「……何のつもりだ?」
「あれ?そこはまずお礼を言うとこじゃない?」
奏は、笑いながら言った。
「助けてくれなんて頼んでねえよ」
「そうだね、でも、助けられた事実は変わらないでしょ?」
「……助けてくれて、ありがとう」
その言い回しが、より楓を連想させた。
そのせいが、いつもは屁理屈ばかりの泰志も、素直にお礼を言う。
「どういたしまして、体は大丈夫?」
「別に、なんてことない。いつもの事だし」
「いつも、こんな事されてんの?」
「たまに呼び出されてはね。また新しい本買わなきゃな」
側溝に捨てられた本を拾いながら泰志はぼやく。
そんな泰志を奏はじっと見る。
「何?」
「いや、君って変わってるよね。普通あんなことされたら、ムカつくし怖いじゃない?なのに、さも当然ですって顔してるから」
「まあ、当然だと思ってるからね」
「なんで?」
「……森川さんに言う必要ないでしょ」
「それもそっか」
あっさりと引いたことに、少し驚きながらも泰志は立ち上がり、服に付いた汚れを手ではらう。
「……よし、決めた!」
突然そんな声を出して、奏は泰志を指さす。
「君を、私の案内係に任命します」
「はい?」
これが、泰志と奏の出会いだった。