第11話
「楓、泰志君が会いに来てくれたよ」
仏壇の前で楓真はそう話す。
その横で、泰志も正座をして飾ってある写真を見ていた。
写真の中の楓は、あの頃の懐かしい太陽のような笑顔だ。
仏壇が置かれてある部屋は楓が使っていた部屋で、家具や飾ってある物などが当時のまま変わっていない。
勉強机の横には、楓が毎日背負っていた水色のランドセルが掛かっている。
車の下敷きになったせいで、原型とまでは言えないが、綺麗にされている。
「せっかく来てくれたんだ。何か甘い物でも出すよ」
楓真はそう言って立ち上がる。
「そんな、大丈夫です!そんな事までしてもらわなくても」
「遠慮しないでくれ。僕が君と話したいんだ。こんなに広い家で、一人は寂しいからね」
楓真が寂しそうな表情を浮かべながら言う。
そんな風に言われれば、泰志も断ることは出来ない。
リビングに移動して、テーブルに座る。
しばらくすると楓真が、ケーキと飲み物を持ってきてくれた。
泰志の向かい側に楓真が座る。
「本当に久しぶりだね。大きくなった」
「……おじさんは、少し痩せましたね」
「そうだね。ここ数年は忙しくてね」
楓真は遠い目をしながら言う。
「……おばさんは、まだ?」
「うん。妻には、もう少し時間が必要みたいだ」
楓真の妻、つまりは楓の母親は、楓の死を受け入れられず、心の病にかかってしまった。
今もまだ回復しておらず、病院に入院している。
「……そんなに、辛そうな顔をしないでくれ」
泰志の顔を見て、楓真は言う。
「……でも、あの時、僕が……」
「君のせいではない。決してね」
「でも、あの時楓の方に向かっていれば」
「それは結果論だよ。あの時は、咲希ちゃんが助かるなんて分からなかった。君の判断は、決して間違いじゃない」
楓真は、当時からずっと泰志にこう言っている。
娘を失い、悲しみのどん底に居た当時から、泰志達のことまで気を配っていた。
「今日はどうして来たんだい?何か訳があるんだろ?」
泰志の突然の訪問の訳を楓真は優しく聞く。
泰志は顔を上げて、楓真の顔を見る。
その優しい笑みを見て、泰志は口を開く。
「……今日は、前を向くために来ました」
泰志は一拍置いて言う。
「楓の死を、受け入れるために」
楓の死を受け入れる。
それは、泰志にとって、未来への1歩となる。
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「前を向く、か」
一言呟いて、楓真はコーヒーを一口飲む。
「それは、とても良いことだね」
「……怒らないんですか?」
泰志は罵られる覚悟でここに来た。
楓を、自分達の娘を過去として今を生きる。
それは、許容できることなのかと。
そんな泰志の予想とは裏腹に、楓真は優しい笑みを浮かべて祝福している様子である。
「怒る?どこに怒る要素があるんだい?娘の友人が過去を乗り越えて、未来に目を向ける。こんなに喜ばしい事はないよ」
「……でも、僕は楓を……」
「何度も言うが、君のせいではないし、君の責任でもない。それでも、君がどうしても責任を感じるというのなら─」
楓真は泰志の横まで来て、泰志の肩に優しく手を置く。
「笑顔で、幸せになってくれ。未来に目を向けて、生きている『今』を『君』を大事にして欲しい。楓が生きるはずだった、生きたかった明日を、精一杯生き抜いて欲しい。それが、楓への償いになると思うよ」
楓真の言葉を聞いた泰志の目には、いつの間にか涙が流れていた。
あの事故からずっと、一人で生きてきたつもりだった。
でも、ずっと隣に居てくれた人が居て、背中を押してくれる人も現れた。
誰かと必要以上に関わらず、楓の居ない世界は生きてても仕方がないと、楓を理由に現実から逃げていた。
そんな泰志が、楽しいと思うようになった。
それがダメなことだと、楓を守れなかったくせにと、その感情を認めたくなかった。
でも、楓真の言葉で泰志は気づいた。
楓を理由に、今を暗く生きる事は、彼女への贖罪なんかではないと。
そんな風に生きることを、楓が許すはずがないと誰よりも分かっていたはずなのに。
「楓をずっと想ってくれてありがとう。でも、楓はもう君の隣には居ない。これからは今隣に居る人を大切にしなさい。あの子を想い続けるのは、僕ら親の務めで、僕らだけの特権だよ」
「……おじさん、楓の前に行ってもいいですか?」
涙が流れ、ぐしゃぐしゃの顔で泰志が言う。
楓真は微笑みながら頷く。
泰志は立ち上がり、仏壇の前に座る。
「……楓、今まで、楓を理由に逃げててごめん。暗い顔で、後ろばかり見て、生きててごめん」
泰志は涙を拭い、楓の写真をしっかり見る。
「これからは、ちゃんと生きるよ。ちゃんと人と関わるし、進路だって決める。それと、僕をずっと想ってくれて、隣に居てくれた子を大切にするよ」
泰志は晴れやかな表情をしている。
昨日までの、暗く、後ろばかり見ていた泰志はもう居ない。
「さよなら、楓。ずっと、好きだったよ」
楓に気持ちを伝え、さよならを告げ、泰志は歩き出す。
幸せな、未来に向かって。
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その夜、夢を見た。
僕が立っているのはあの事故現場で、当時のままの光景だ。
車の下から血が流れている。
その前で、しゃがみこんでいる少年が居た。
『何してるんだ?』
そう僕が話しかけると、少年は僕を睨みつける。
涙を流して、腫れているその目で。
『僕が殺した。守るって言ったのに』
そう、僕が言った。
『……そうだな。僕は守れなかった。好きな人だったのに、手の届くところに居たのに』
僕は辺りを見る。
自分の夢の中ながら笑える。
あの時の景色をそのまま映し出したようだ。
ずっとこの場所で、縛れているようだ。
『……確かに僕は楓を守れなかった。でも─』
僕は、僕の右隣の方向を指さして言う。
『守れた人も居ただろ?』
僕の指さす方には、内気な少女が泣きながら立っている。
小さな僕の手をギュッと握って立っている。
『どれだけ楓を想っても、もう楓がその手を握ってくれる事はない』
僕は自分に言い聞かせるように言う。
『楓が大事だって言うなら、精一杯生きよう。未来に目を向けて、楓の分も生きて行こう。いつか、楓に会った時に、笑顔で話ができるように』
僕の言葉を聞いた小さな僕は、隣の少女を見る。
そして、握っている手を握り返していた。
それを見届けて、瞬きをした瞬間、周りの景色は真っ白になっていた。
『やっと、前を向いてくれた』
僕の後ろから声がした。
聞いたことのある声。
懐かしい声。
いつだって皆を、僕を、元気づけてくれた声。
振り向くと、小さな少女が立っていた。
あの頃の姿のままの楓が立っていた。
『……そっか、夢だもんな』
我ながら呆れる。
前を向くと言っておきながら、結局夢で楓を出してしまっている。
『確かに夢だけど、夢じゃないかもよ?』
『それはつまり?』
『実は泰志も死んじゃって、ここは天国とか!』
『それは……笑えないな』
そんな冗談をクスクスと笑いながら楓が言う。
さすが僕、楓の再現度がやけに高く、リアルだ。
一通り笑った楓は、僕の目をまっすぐ見る。
『大きくなったね』
『もう高校生だからな』
『大人だね』
『そうでもないさ』
あの頃は大人に見えた高校生も、なってしまえば大した事はない。
まだまだ子供だ。
特に僕は。
『皆、元気にしてる?』
『翔哉は元気だ。咲希は、今少し行方不明』
『全く、ちゃんとしてよね。咲希は内気で、寂しがり屋なんだから』
『今の咲希はそうでも無いよ。変わって、一人でも平気な子になってる』
だから、今どこに居るのか分からない。
ずっと、咲希の事を見ていなかったから。
『そうでもないよ』
『え?』
楓が言った言葉に、僕は首を傾げる。
『泰志が言ったんだよ?高校生は大人でもないって。それってつまり、あんまり変わってないってこと』
『いや、それは僕の話で─』
『咲希も変わってないよ。本当は内気で、寂しがり屋で、人の目を見るのが苦手で、そして─』
楓が目を瞑って微笑む。
『ずっと泰志の隣で、ずっと泰志の手を握っている女の子』
楓が自分の右斜め、僕の左と少し横の方を指さす。
『頑張ってれ泰志!私は、誰かのために頑張る泰志のことが、ずっと─』
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そこで泰志の目が覚めた。
額に汗がかいていて、部屋のエアコンの音だけが響いている。
「……本当に情けないな、僕は」
夢の中の楓に背中を押された自分に、泰志は苦笑する。
「……ありがとう、楓」
泰志は向かう事を決める。
咲希の居る場所へ。
楓が教えてくれた秘密の場所へ。




