第10話
楓は、嵐のような行動力と太陽のような存在感を持つ女の子だった。
公園で遊ぶ時は誰よりもはしゃいでいたし、笑っていた。
まるで男の子のようにはしゃぐものだから、よく咲希や両親が心配していたのを覚えている。
楓の笑顔は、皆の気持ちも明るくする。
僕もその一人だった。
図書室で本ばかり読んでいた僕を、外に連れ出して、翔哉や咲希、他のクラスメイト達と繋ぐ糸のような存在だった。
楓が居たから、僕らは友達になり、楓が居たから、僕は色んな事を知った。
本では知ることのできない体験だった。
楓と居られる時間が楽しくて、自然と笑顔になった。
こんな日々がずっと続いて、ずっと一緒に居たいと思った。
ずっと隣で、太陽のような笑顔を見ていたい。
嵐のように振り回されていたい。
そんな風に想っていたのに……
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そこまで語ったところで、泰志の言葉が詰まる。
口にするのが怖くて、思い出すだけで体が震えた。
そんな泰志を奏は急かす事なく待っている。
やがて、泰志の重たい口が開く。
「……ずっと一緒だと思っていたのに、事故が起きたんだ。突然、車が突っ込んで来て、楓は下敷きになってそのまま……僕があの時、楓を守っていれば……」
泰志の目に涙が浮かぶ。
悲しみと、悔しさが入り交じった涙だ。
「……森川さんの言う通り、森川さんは楓によく似てる。顔も、声も、その性格も。だから、僕は─」
「私は、楓ちゃんじゃないよ」
泰志の言葉を遮り、奏は力強く言った。
「私は楓ちゃんじゃない。私は森川 奏だよ。泰志君、ちゃんと分かってる?」
「そんなこと……」
当たり前だ。
そう、言い切る事ができなかった。
言い切る事ができないという事実に、泰志はようやく理解した。
(……最低だな。僕は)
目の前の少女の名前は、森川 奏
この春に転校してきて、僕に話しかけてきた女の子。
楓によく似た容姿と声をしているだけの女の子。
そう思っていた。
分かっていたはずなのに、奏の中に楓の面影を見て、いつの間にか考えるようになっていた。
楓が今も生きていたら、こんな生活だったのか、と。
そんなもしもの妄想を、勝手に現実に置き換えていた。
森川 奏という存在を、楓に置き換えて考えていた。
奏に重なる楓を見て、現実から逃げていた。
結局泰志は、『今』を見ず、『過去』だけを見続けていた。
「……泰志君にとって、楓ちゃんがすごく大切な人なのは分かるよ。でも、今の君を見たら、楓ちゃんはどう思うかな?」
奏の問いかけを泰志は考える。
深く考えるまでもない。
きっと楓なら、いつまで引きずってるんだと怒るだろう。
「……どれだけ楓ちゃんが大切でも、もう楓ちゃんが隣に座ってくれることはないよ。もう、君を引っ張ってくれることはないよ」
奏の言葉は、泰志の心に深く突き刺さる。
ずっと逃げてきた現実に引き戻されている感覚。
考える事が出来なかった、未来に目を向けさせられている。
「死んだ人を想い続ける事は、確かに美徳かもしれない。でもそれは、生きている大切な人を傷つけていい理由にはならないよ」
奏の目にも涙が浮かんでいる。
「泰志君、君には居たでしょ?ずっと過去に囚われてる君の横で、ずっと君の手を離さず握ってくれていた子が」
奏に言われ、泰志は気づいた。
ずっと自分の隣に居た少女が、人見知りで、内気だった少女が、死んだ楓のように振る舞うようになった理由を。
「……僕が、逃げたから」
泰志が現実から逃げたから。
前を向いて、未来を見据えなくなったから。
咲希もまた、進むのをやめた。
泰志の横で、ずっと泰志の手を握っておくために。
その事に、泰志は今更気がついた。
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その後結局、奏はそれ以上は何も言わず、あの場を後にした。
泰志は一日授業をサボり、あの体育館裏で考えた。
その結果、一つの結論を出す。
放課後になり、泰志は綺麗な家の前に立つ。
インターホンを鳴らすと、柔らかい男性の声がした。
男性は、泰志の声が聞こえた途端、驚いた様子で慌てて玄関の扉を開けた。
「……本当に、泰志君かい?」
「……お久しぶりです。おじさん」
嬉しそうな表情を浮かべ、涙を流す男性は、木下 楓真
楓の父親である。
泰志が訪れたのは、あの日以来、一度も来ていなかった、楓の家だった。




