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ストピの聖地  作者:
1/2

〈友〉

 大学のキャンパスに隣接する広い公園は、そこを抜けると最寄りの駅への近道になる。だいたいの学生は正規の道路は使わずここを通るので、さながら我が校専用の通学路のようになっている。

 その公園を抜けてすぐのところにある駅はいくつかの路線が乗り入れているそこそこ大きな駅で、駅ビルのテナントも充実していた。朝は通勤のサラリーマンが、軽い朝食を取るために世界チェーンのコーヒー店を利用し、昼過ぎにはうちの学生と思しき若者たちでカフェやショップが賑わう。夕暮れ時には近隣の高校の制服も増えてきて、駅構内は常に喧騒に包まれている。


 そんな駅の構内の、改札前の一番広い通りに、場違いにも一台のピアノが置かれている。通りのど真ん中に通行を妨げるように設置された明るい木目調のアップライトピアノには、ポップな色調で大きめの花模様がいくつも描かれている。それだけ置かれていたら相当浮くだろう代物だけれど、賑やかな駅ビルの看板や、行き交う人々の色とりどりの服飾の中にあると、不思議としっくり馴染んで見える。

 それは誰でも自由に弾くことができる、いわゆるストリートピアノだった。周りにロープで簡単な仕切りがしてあり、そばにはイーゼルに「ご利用にあたって」の注意書きが立てかけられている。

 午前中はたいてい地域のピアノサークルのメンバーがこのピアノを利用している。主に会社をリタイアしたおじさまやおばさまたちが、日頃の練習の成果を披露する場としてこのピアノを使っている。昼を過ぎると僕らのような若い人が増えてくる。僕の通う芸大の学生もよく見かける。夕方近くなると制服を着た若い子も目立つ。毎日誰かしらがこのピアノを弾きに来ている。みんな人前で披露できるくらいには上手だ。僕もしょっちゅう立ち止まっては演奏を聴いている。


 今日もまた、駅の構内に入るか入らないかのところで、流れるようなピアノの音色が聞こえてきた。

 若い男性が、音数の多い速いテンポの曲を弾いていた。周りにはすでにたくさんのギャラリーが集まって、足でリズムを取ったり、スマホを掲げて撮影したりしている。

 何の曲かはわからなかったが難しそうな曲だった。口ずさんでいる人もいたから、最近流行っている歌の曲なのかもしれない。僕はそういう流行り物には疎くてわからない。ただ、


自分には弾けるかな? 

ここのパートは指がつらそうだな


というようなことを考えながら聴いていた。

 そうして演奏が終わると自然と拍手を送る。知っている曲でも知らない曲でも、心を込めた演奏を聴くのはとても楽しい。


 自然と笑顔になりながら手を打っていると、隣にいた友人が、周りに聞こえるか聞こえないかのような声で呟いた。


「なんだよ。あの〈小学生の速弾き自慢〉みたいな演奏」


 ひどく不機嫌そうに、吐き捨てるように言う。


(せい)くん。そんな言い方するもんじゃないよ」


 僕はできるだけ穏やかに、非難めかないように彼を宥めた。内心、周りの人に聞かれないかとヒヤヒヤしていた。

 僕より少し背の低い友人は、柔らかい茶色のボブヘアの隙間から唇を尖らせて見せている。


 小柄で、アイドルのような顔をしている彼は、一見すると女の子のように可愛らしい。けれど見た目に反して口を開くとかなりの毒舌で、思ったことは我慢せずに口に出す節がある。それでも周りから愛されている人気者なのは、それはもう持って生まれた才能なのだと思う。僕も静くんのことは大好きだ。


「あれなら(とも)ちゃんの演奏のほうが絶対いい」


 静くんはぼそぼそ呟きながら、まだぷんぷんと口を尖らせている。

 僕の演奏を認めてくれているのは本当にうれしい。けれど今の僕には素直に受け止められなかった。



 僕は芸大音楽学部の1年生で、ピアノを専攻している。物心ついた頃から身近にあったピアノは、聴くのも弾くのも大好きだ。

 大学に進学し、国内でも最も権威あるコンクールへ挑戦した。僕以外の参加者の演奏はどれも素晴らしかった。コンクールに出場するのは初めてではなかったし、毎回の緊張にも慣れているつもりだったけれど、その日の僕は駄目だった。いやな空気に呑まれてしまった。結果は惨憺たるものだった。

 その日以来僕は、人前での演奏が怖くなった。授業の関係で、先生や他の学生の前で弾くことはあったけれども、極力人前に出たくなくなった。ひたすら自分一人で練習をする日々が続いていた。

 静くんはそんな僕を不満に思っているのかもしれない。中学や高校の時は一緒になってピアノを弾いたり、連弾もしたりしていたのに。本当に、ピアノはただ楽しいだけのものだった。



「ちょっと! 今ディスってましたよね!?」


 突然、ツカツカと歩いて来た女の人に食ってかかられて、僕はびっくりして固まってしまった。


「はぁ? 本当のこと言っただけなんだけど? ユーチューバーかなんか知らないけど、オレはあの演奏好きじゃないの!」


 隣で見事に喧嘩を買っている静くんに僕はハラハラした。

 よく見るとその女性は、先程の演奏者の一番近くで動画を撮影していた人だ。僕は知らないけど彼は有名な動画配信者らしく、彼女はそのファンなんだろう。自分の推しを批判している声が聞こえてきて、我慢ならなかったらしい。


「そんなこと言うんだったら自分が弾いてみせなさいよ! さぞかしご立派な演奏ができるんでしょうね!」


「ああ弾いてやるよ! 本物のピアノがどんなもんか、見せてやる」


 いよいよ売り言葉に買い言葉で大変なことになってきた。たしかに、同じピアノ専攻の静くんの演奏は玄人はだしだけど、こんなバトルみたいな形で弾くなんて――


「さあ友ちゃん。ガツンと一発見せてきてやってよ。本物のピアノの音ってやつを」


 急に矛先がこちらに向けられた。


え? なんで?


と思う間もなく、僕はピアノの前へと押し出され、気がつくと椅子に座らされていた。

 先ほどの演奏の名残りで、辺りにはまだたくさんの人がいる。新しく来た演奏者を、興味津々の体で眺めている。

 僕は大きく息を吐いた。重くていやなものが胃の底に溜まっていくようだった。僕は鍵盤を見つめた。黒と白の鍵盤をただ見つめていると、だんだんと気持ちが凪いできた。

 僕は目を閉じた。


何を弾こうかな

こういうところで弾くんだったら、みんなが知ってる、気楽な曲がいいかな


 そうして、鍵盤に置いた僕の指が奏で出したのは、有名なショパンの幻想即興曲だった。

 中学の時に弾き始めて、高校の時も散々練習した、目を瞑っていても弾けるほどに弾き込んだ曲。大学に入ってからはあまり弾かなくなったけど、この曲なら自信を持って弾ける、という気持ちが働いたのかもしれない。僕は自然と弾き始めていた。


 弾き始めてすぐ、周囲の空気が変わったのがわかった。なんとなく聞き始めた人たちの姿勢が変わったのが、目の端で見て取れる。中にはスマホをこちらに向けてくる人もいる。

 幻想即興曲の、音の波のような旋律に僕の心は翻弄され始めた。でもそれはとても心地良い感覚だった。このまま音の渦に飲み込まれてしまいたい! 久しぶりの人前での演奏に、いつのまにか僕は昂っていた。ピアノを弾くのって、こんなに気持ち良い!

 弾き終わると僕はほんのり上気していた。顔も指も暖まっていて、なんだかすっきりとした気分だった。周りから拍手が湧かないのも、全く気にならなかった。


 けれど次の瞬間、爆音のように僕の周りは拍手の音に包まれた。みんな、新顔のピアニストに惜しみない喝采を送ってくれている。


「やあ! すごかったね! (じょう)(そう)の学生さん? すごく良かったよ!!」


 先ほどピアノを弾いていたユーチューバーさんがそばに来て言ってくれた。「将来のショパンコンクール優勝者に遭遇しちゃった!」とか、面映い褒め言葉をくれる。さすが、発信を生業とする人は違う。

 先ほどの女性も笑顔で賛辞をくれた。


「すごい良かったです。正統派っていうか、クラシックなのに、最新の楽曲聴いてるみたいだった!」


「でしょ? 友ちゃんの演奏は唯一無二なのよ」


「あんたの言い草は許してないからね!」


 初対面の人と喧嘩するほどコミュニケーション取れるなんてすごいな、と、僕は言い合う静くんたちを眺めていた。

 そのあと、なんとなくユーチューバーさんと連絡先を交換したりして、僕たちは家路についた。



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