四.臨床実験
「っしゃいませ~」
デジカフェと書かれたボードの下で、茶髪の店員が不愛想に挨拶をした。
「個室、一時間で」
はいどうぞ。ぞんざいに渡された札を受け取り、僕は急いで席に向かいパソコンを起動した。
(やっぱ、だめか)
真っ白な画面を閉じて、ふーとため息をつき、立ち上がって周りを見渡した。幸い人がいる気配はない。改めて状況を整理した。
(おかしくなったのは昨夜からか? いや違う)
会社帰りの駅での出来事を思い返した。あのメール。デジタルデトックスのメールを受信した直後にスマホが圏外になった。おそらくあれ以降から自分の周りで通信障害が発生している。スマホを取り出してメールアプリを起動した。
(よかった。キャッシュが残っている)
最終受信時刻は先日の夕方。ちょうどあのメールを受信した時間帯。やはりあれ以降、一切のメールを受信できていない。一番上の件名をタップした。
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デジタルデトックスの体験開始のお知らせ
山下様
おめでとうございます。あなたは審査に通過しました。これから一か月、デジタル断の生活に入ります。新しい世界へ飛び立ちましょう
なお、このプログラムは一部の参加者にとって、予期せぬ心理的影響を及ぼす可能性があります。参加者は自己責任のもとでご参加ください。
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(一か月のデジタル断の生活……)
あの時の女性の笑った顔が浮かんだ。
(もしかして、このプログラムが発動して、すべてのネット回線が無効化されるようになったのか? だが、そんなことって……)
呆然とメールを眺めた。
(いったいこの先どうすればいいんだ)
広い海の真ん中の無人島に急に放り出された、そんな不安と絶望に襲われた。
*
(とにかくなんとかしないと)
僕は店を出て駅に戻り、あの女性を探すことにした。チラシに会社の住所、電話番号は書いていなかった。メール、インターネットが使えない以上、直接本人に聞く以外ない。目を凝らして行き交う人々を観察した。
昼過ぎになり、僕は疲れ果てて近くの喫茶店で昼食をとる事にした。まだ、あの人を見つけることはできない。席について何気にスマホを取り出し、画面を見てため息をついた。周りを見ると皆、食事をしながら手元を眺めている。そろそろ、大騒ぎになるかも……
(どうにでもなれだ)
開き直って、注文ボタンをおした後、ぼんやりと窓の外を眺めた。彼女が立っていた。慌てて僕は店の奥を見た。
(どうする?)
再び窓の外に目を向けた。彼女は以前と同じくあの場所に立っている。ふと車が前に止まり、その姿が消えた。僕は反射的に店を飛び出していた。
「ああ、君はあの時の」
以前のように彼女は笑ってお辞儀をした。僕は彼女をまじまじとみた。あの時と同じようにさわやかな笑顔。特段、何かの悪意を感じる事は無い。
(いや、これは演技なのかもしれない)
僕は一呼吸おいて、慎重に質問した。申し込みをした事、不審なメールを受信した事、ネットにつながらなくなった事。えっと……彼女は首をかしげて、別の紙を鞄から取り出した。緑あふれる森と丸太でできた簡素なロッジ。
「これが当社が提供している断デジタルツアーなんですが。こちらへの参加案内メールが届かなかったでしょうか?」
不安げな表情でこちらを眺めている。
(断デジタルツアー?)
黙り込んでいる僕に、紙を手渡し、よかったらもう一度申し込んでください、と小さな声で説明した。その紙を見つめながら僕は混乱した。
(どういうことだ? 僕はいったい何に申し込みをしたんだ?)
眉をひそめて黙り込む僕に彼女は戸惑いながらも、ああ、と再び飴をつまんで僕に差し出した。
「お疲れの時は糖分補給が最適ですよ」
以前と同じように、ただ表情は少しこわばった様子で彼女はこちらを見た。
(飴?)
ふと僕はある可能性に気づいて、背筋にぞっと悪寒が走った。
「いらなければいいんですけど」
彼女がおどおどと手を引っ込めた。困惑する彼女を残し、僕は慌ててその場を立ち去った。
立ち去る男の背を見ながら、ふーと女性社員はため息をついた。これで二人目。共に青白い顔をした二十代の若者。気になって上司には報告したが特段連絡は無い。チラシに顔を向けた。ニコニコと笑う女性と右下にさがっていくグラフ。確かにインパクトはあるけれど。
(実際、一日二十時間も使っている人なんているのかしら? ちょっとした気分転換には最適だけど)
首を傾げつつも、ノルマ達成に向け、気分を切り替えて背筋を伸ばした。
*
僕はアパートに転がるように駆け込み、ゴミ箱を漁った。あの飴。あれを食べた事が原因じゃないのか?
(あった!!)
震える手で取り出して、皺々に丸められたビニールをゆっくりと広げた。赤と白からなる包み紙。特段おかしなところはない。
(変わったことと言えばこれを食べた事ぐらい。何かが体に入り込んだ?)
思わずトイレに駆け込み嗚咽を上げた。
(何を食べさせられた?)
酸っぱい胃液に思わず涙が込み上げてきた。
(こんなことが許されていいのか?)
沸々と怒りが込み上げてきた。もう一度、確認しないと。
*
彼女は先ほどと同じ場所に立っていた。近づくとあっと小さな声を上げて、頭をぺこりと下げた。僕は再び事情を説明し、あの飴の包み紙を見せた。彼女は困惑して、きょろきょろと周りを見回し、その場を立ち去ろうとした。僕は決心した。
「会社まで案内してください」
びくりと肩を震わせた彼女は、青白い顔でうなずいた。
*
僕は彼女に小さなビルの二階に案内された。フロアでは数人の社員が慌ただしそうに動き回っていた。
(見たところ普通の会社のようだが)
僕は眉をひそめて受付で待った。彼女が男を連れて戻ってきた。僕は頭を下げつつ、その男をじっと見た。眼鏡をかけた、まだ二十代前半の若い男。端正な顔立ちだがどこか冷徹さを感じる。男は軽く頭を下げて、応接室に案内を、と彼女に告げた。
席に着いた後、男が先に切り出した。
「えっと、山下様ですね。今回は当社の断デジタルツアーへのお申込みありがとうございます。上司の時任と言います。ご迷惑をおかけしているという事で、詳細を教えていただけますでしょうか?」
申し訳なさそうに語るその顔はどこか興味深げにこちらを観察しているようにも見える。こいつは何かを隠している。警戒しつつも、どこから説明しようかと思案していると、彼女が横から割り込んだ。
「急にインターネットに出れなくなったという事です。会社でも同じ状態で、業務に支障が出ているという事でした。当社のパンフレットをみて申し込み、開始のメールを受け取った直後からこの状況ということで。ただ、そのようなメールは送るようにはなっていないのですが」
困惑した表情で彼女は男に説明した。なるほど。男の目が一瞬輝いた気がした。
「牧本君。君は席をはずしたまえ。後は私で対応する」
青白い顔をした彼女は、わかりましたとさっと席を外した。
(牧本っていうんだ……)
一刻も早く僕から逃げたかったのはその様子から汲み取れた。
「えーっと」
時任は手を机の上に組んでリラックスした様子で話し出した。その突拍子もない内容に僕は呆気にとられた。
*
「というわけで、しばらく休職することになりました。あれの件、すいません。他の人にお願いします」
僕は加藤先輩に電話で経緯を説明した。しばらく黙り込んでいた加藤はわかったと渋々答えたが、納得いかないように続けた。
「だが、なんだその臨床実験てのは。なんでお前が選ばれた? まあ国からの補助金が降りるってのなら支障はないかと思うが……」
加藤はぶつぶつとつぶやいた。僕は申し訳ない気持ちでいたたまれなくなった。いつも遅くまで二人で残業して進めていたプロジェクト。今月末の納品に向けて詰めの作業を行っているところだった。
(先輩なら無理をすれば一人で続けられるだろうけど……)
ガハハと笑う加藤先輩の顔が浮かんだ。
「わかった。まあ無理するなよ。納品後のメンテナンスはお前には目一杯残業してもらうから覚悟しとけよ」
大きな声で笑う先輩に、すいません。お願いします。と僕は頭を下げて電話を切り、ぼんやりとあの時任と名乗る男の話を思い出した。
~
「わが社は国からの要請でデジタルデトックスにおける社会的効果の臨床実験を行っています」
時任は席を立って歩きながら説明しだした。
(臨床実験?)
突然の展開に僕は戸惑いながらも男の話をまった。
「現在社会において、デジタル通信はもはや生命線といえる技術です。仮に通信が切断された状態に置かれた場合、人間にどのような影響がでるのか。特にZ世代とよばれる私やあなた達、幼少期からインターネットに慣れ親しんだ、デジタルが生活の全てになっている世代に起こる影響」
時任は自分の胸と僕の方を指さし、眉を上げ、肩をすくめた。
「恐ろしい。恐怖すら感じます。今やデジタル技術はコミュニケーションの全て。我々Z世代からすれば、それを失う事は、目や耳を失う事に等しい事。誰もいない無人島であれば諦めがつくにしても、この近代社会において自分一人だけ、ぽつんと周囲から切断された状況に置かれた時、人はいったいどうなるのか。興味がありませんか?」
(周囲から切断された状況……)
僕はぼんやりと最近の出来事を思い出した。メール、インターネット、おそらくその他のあらゆる通信手段からただ一人、切断された状況。周りの影響を恐れ、人込みを避け、ひっそりと息をひそめて生きる日々を想像してぞっとした。気になる事があればすぐに検索する、その慣れ親しんだ環境が突然失われた世界。不安と、焦り。真っ黒な空間にぽつんと一人たたずむ、どうしようもない虚無感に襲われて、恐怖した。僕の様子に時任は同情したようにうなずいた。
「山下さん。あなたの気持ちは痛いほどわかります。あの飴。内部に含まれたマイクロGPSによってあなたの場所は常に監視され、周辺の通信機器は切断されるようにプログラムされています。でもあなたは選ばれた人です。誰もがこのプロジェクトに参加できるわけではありません。どっぷりとデジタルの世界に入り込んだ、超ディープZ世代。あなたはこの世代の代表として、この貴重な体験を味会う権利を得られたんです!!」
時任は目を輝かせて両手を上げた。僕は思わず叫んだ。
「ばかな? 誰もそんなことは望んでいない。すぐにこのプログラムを解除してください!!」
時任は僕の反応が意外だったようで、しばらく戸惑いながらこちらを見つめていたが、諦めたように首を振った。
「それはできません。これは国家主導で進められているプロジェクトです。日本人である以上、それに従う義務があります。辞めたい場合は、この国を離れる以外ありません」
(そんなバカな……)
「安心してください。わずか一か月です。その間のあなたの生活は保障もされます。会社にも迷惑はかけません。楽しみましょう。つらい日々から解放された新しい世界。私も参加したいぐらいです。我々Z世代の代表として、健闘していただくことを期待します」
時任はにっこりとすがすがしい笑顔を浮かべて席に着いた。




