二.あの日
「そこのあなた、少しいいですか?」
会社帰り。駅前でスーツをきた女性がニコニコとチラシを手渡してきた。
〝デジタルデトックス体験。情報化社会につかれたあなたへ。今こそデジタル断で最高の毎日へ〟
僕は眉をひそめてチラシを渡す女性を見た。つややかで健康そうな肌。快活な笑顔。まぶしさとはずかしさに思わず目をそらした。
(デジタル断……スマホから離れてお寺にこもるあれのことか?……)
ニュースで見た映像が脳裏をかすめた。普段の自分なら、こんな時はすぐにその場を立ち去っている。だが、なぜかチラシの内容と彼女に強く惹かれ、まごついて立ち止まった。フフフ……彼女は嬉しそうに笑った。僕はとりあえず最初に感じた疑問を聞いてみた。
「あの……どこかの施設に缶詰で閉じこもるやつですか?」
周りの過ぎさる人の興味深そうな視線を感じる。恥ずかしくなってうつむいた。コミュ障の僕にこの状況はつらすぎる。
「ええっと……」
彼女はにこりと微笑み、鞄から紙を取り出して僕に渡した。こういった場合の対処には慣れているようだ。
「まずはチラシを見てみてね。もし興味があればここから申し込んで」
フフフと彼女は再び笑った。急に手を握られて、僕は真っ赤になってうつむいた。
「ああ、それと……」
彼女は持っていた小さいバスケットから飴を一つ摘まんで、僕の手に握らせた。
「疲れた頭には糖分補給が必要だよ。じゃあね」
にっこりと笑うと彼女は向こうへ去って行った。僕は飴を握りしめて、ぼんやりと立ち去る彼女の背中を眺めた。
(それほどやつれた顔をしているんだろうか……)
カサカサの肌を軽く撫で、おもわずため息が漏れた。
*
アパートの鍵を開けて重いドアを押し開けた。ぶわりと感じる生暖かい空気。すぐにエアコンをつけて扇風機を回した。
「ふぅ」
狭いワンルームの簡素な部屋。いつもの通り、冷蔵庫から冷えた炭酸ジュースと焼酎を取り出し、注意深く注いだ後、ぽつんと置かれた机に座りパソコンを起動した。
カリカリカリ……
薄暗い部屋でぼわりと光るモニター。グラスをぐいっとあおってシュワっとした冷えた喉越しを堪能した。激務から解放された後の最高のリラックスタイム。
(そういえば……)
まどろみながら、駅でもらったチラシを鞄から取り出してぼんやりと眺めた。健康そうな女性がにこやかに微笑み、その横には右下に緩やかに下がるグラフが書かれていた。
(デジタル機器に関わる時間と生存率の関係……?)
その不穏な説明にドキリとしつつ、チラシに目を凝らした。
(一日二十時間以上関わる人の生存率は……五パーセント?)
その数値に思わず目を疑った。
〝長時間の座り続けることが心臓病や糖尿病のリスクを高め、ストレスや不安、うつ症状の発症を促し、運動不足による全体的な健康リスクの増加の要因となります〟
赤々と太く書かれた文字。
〝今すぐここにアクセスを〟
にこやかに微笑む女性の手のひらにはQRコードがぷかりと浮かんでいる。あの女性の笑顔が思い浮かんだ。カサカサの肌、ぼさぼさの髪をした顔がモニターにうっすらと浮かんでいる。ポケットに入った飴が指に触れた。
『疲れた頭には糖分補給が必要だよ』
慌てて飴を口に放りこんだ。震える手でスマホを取り出し、QRコードをスキャンした。
*
画面に現れたリンクをタップすると、「デジタルデトックス体験へようこそ」と文字が書かれたサイトが開いた。穏やかな緑の風景と緩やかに流れる小川。大きな古民家と色とりどりの野菜で埋め尽くされた田園。はちきれんばかりの笑顔で笑う若者たち。無機質な都会とは対照的なその写真に、僕は思わず目を奪われた。
「デジタルデトックス体験は現代社会で疲れた心と体をリセットするためのプログラムです。スマートフォンやパソコンから離れることで、本来の自分を取り戻します」
スクロールするとそこには、参加者の感想がいくつも載せられていた。皆が口をそろえて「心が軽くなった」「本当に生まれ変わった気がする」と書いていた。
(これに参加すれば、今の疲れも取れるだろうか……)
ふとページの隅に、ひっそりと「免責事項」と書かれたリンクがあるのに気づいた。何か悪い予感がしてタップしてみると、短い注意書きが表示された。
「このプログラムは一部の参加者にとって、予期せぬ心理的影響を及ぼす可能性があります。参加者は自己責任のもとでご参加ください」
不安が胸に広がった。だが、その一方で、何かに強く惹かれている自分も感じた。あの女性の言葉が耳に蘇った。
『よかったらぜひ試してみてね』
(申し込めば、もう一度会えるかもしれない。お試しでやってみるぐらいなら……)
迷いながらも、申し込みページに移動した。名前、連絡先を入力し、簡単なアンケートに入力した後、一呼吸おいて最後に「送信」をタップした。程なくして、確認メールが届いた。
『お申し込みありがとうございます。準備が整いましたら、詳細をお送りします』
その文面に安心しつつも、どこか胸騒ぎを感じながらスマホの画面を消した。




