十.エピローグ
牧本は黙り込む時任をじっと睨んでいた。
「実験は中止すべきです」
時任はいつものようにやれやれとため息をついた。
「中止はできない」
「なぜです? ノルマの事なら大丈夫です。人の命にはかえれません」
時任はいつも以上に冷徹な表情を浮かべて牧本を見た。まるで他人に興味がない、自分のやりたい事を押し通す、子供ようなのっぺりとした表情に牧本はぞっとした。牧本は声を震わせて続けた。
「もし、こんなことを続けるのであれば、私も適切な対策を講じるつもりでいると思ってください」
時任は眉をひそめたが、あーっと声を上げた。
「もしかして、SNSとかに書き込むとか、そういう事かな? それは無駄だ。もう、わかってるだろ。君もこの実験に参加している」
(どういう事? まさか)
「君の事は事前に調べさせてもらっている。アナログ思考型タイプ。ネットやデジタルに依存せず、対面コミュニケーションを好むタイプ。気づいてなかったかもしれないが、君はインターネットは使えない。時々いるんだよ、君みたいに途中で投げ出す輩が。その対策として講じさせてもらっている。やめたきゃ、やめてもいい。だが実験は継続する」
唖然とする牧村を置いて時任は颯爽と部屋を出て行った。
*
卓也はぼんやりと天井に浮かぶ〇を見ていた。一か月ほど前から突然現れた〇。初めは驚き慌てたが、特に何もせず、ぷかぷかと浮かぶそれにだんだんと慣れてきた。そして、不思議な事に気づいた。じっと見つめていると、何かに吸い込まれるような感覚になり、気づけば見た事がない世界に入り込めることに。目をつむってあの頃を思い出した。
~異世界
(ここは、どこだ?)
突然放り出された見知らぬ草原に混乱したが、よく周りを見回してふと気づいた。見渡す限りの荒野と大きな城壁。そして、その中央に佇む巨大な要塞。
(魔王軍の本拠地? もしかして、ここは……)
手に汗を握りながら僕は城に向かって歩きだそうとした。
「やめときなさい。まだ君には早いよ」
不意に見知らぬ声がして、慌てて振り返ると、二十代半ばぐらいのおおきなリュックを背負った金髪の男がこっちを見ていた。僕は唖然と彼を見つめた。ガートラントと名乗る青年は、色々と僕に教えてくれた。あの魔王の城には凶悪な魔物が存在している事。我々人間はその奴隷として細々と暮らしている事。この近くの村で彼は町医者をしているという事。
「まあ、魔王と言っても、それほど悪意があるわけじゃない。平穏に暮らしてさえいれば特に何かしてくることもない。それに出て行こうと思えばこの島からも出ていける。ここは自由なオープンワールド。私は訳あってここで発掘の調査をしているけどね」
彼はにこりと微笑んで魔王の城を眺めた。
(オープンワールド……)
その言葉に僕は心が躍った。
開かれた地 ファイナルクエスト
(まさかあの世界に入り込むことができたなんて)
ふと気づいた。
(おそらくこれは夢。だが……)
手足をまじまじと見つめた。
(これ程に現実味を帯びた夢なんて)
草原になびく穏やかな風。草花の独特の香り。彼方にそびえたつ巨大な要塞。
「君は新参者だね。どうだい、私についてくるかい? 色々と教えてあげよう」
彼はにっこりとほほ笑んだ。特に悪意は感じない。確かに自分はここのシステムがまだ良くわかっていない。最初はついて行った方がよさそうだ。こくりと僕はうなずいた。
「いったん村に戻ろう。しかし、君のその髪、珍しい色だね。真紅に輝く炎のような色。まるで、聖女マハジャル・ダ・シンのようだ」
僕の顔をまじまじと見る彼に僕は戸惑いながらうつむいた。少女のキャラも面白いかな、ゲームを始める時に軽い気持ちで選択したのを後悔したが、諦めて彼について行った。
*
「先生、お帰りなさい。診察は午後からですかいな」
村に入ると腰を曲げた老婆が、青年に声をかけてきた。
「やあ、ミラベルさん。すいません、午後は休診なもので。明日朝なら診療しますが大丈夫ですか?」
わかったよ、老婆は少し困った顔をしたが、にこりと笑って去っていった。
「やあ、先生。お帰りなさい。ルナリーフは取れましたか?」
今度は足を引きづった若者が声をかけてきた。
「ああ、カイリス。安心して、大量に見つけてきたよ。明日すぐに処置するから安心して」
若者は安心したようにほっとして、笑って去って行った。
あっ先生だ、こんにちは、先生。次々に声をかけられるこの青年をぼんやりと後ろから僕は眺めた。
(これを程に信頼されているプレイヤーも珍しい。よっぽど長時間ゲームをしてる人なんだろうな。現実ではいったいどんな人なんだろう)
真っ暗な部屋で一人黙々とパソコンに向かっている男を想像して僕はすこしおかしな気分になった。しばらく歩いた後、小さな家の前で彼は立ち止まった。彼は、ドアをあけて、さあどうぞ、とにこやかにうながした。少し戸惑ったが、別にゲームの世界だ、と割り切って中に入った。
簡素な彼の部屋は特段変わった様子もなく、テーブルの椅子に座るように勧められた。程なくして、こんがりと焼けたパンと湯気たつ牛乳をもってきた彼が、どうぞと机に置いた。不思議と空腹を感じたのでおそるおそるパンを一口かじった。香ばしい小麦の香りと甘い触感。ぐーとお腹が鳴った。現実と見まがうぐらいのその出来栄えに、僕はゲームの世界であることを忘れてむさぼりついて、ミルクを一気に飲み干した。その様子をニコニコとみていた彼は、そうだと思いついたように席を外して何かをもってきた。
「君はこれをどう思う?」
机に置かれたものは、白濁したゴルフボールぐらいの丸い球体だった。くるりと回転した姿をみて驚いた。瞳だった。
「おどろいたかい? 義眼だよ。とても精巧にできている。ある場所で見つけたんだ。私のとても大切にしている宝物だ。なぜか君には見てもらいたくてね」
彼は目を輝かせて義眼と私を交互に見た。その時なぜか僕は嫌な予感がした。彼のこちらを見る視線に、悪意に似た邪悪な狂気を感じた。
*
「ガートラント、今度はお前の番だ。きっちりとくりぬけよ」
僕が目を覚ますと、どこか知らない小屋に倒れていた。両手は体の後ろで縛られている。首だけを動かして周りを見た。同じぐらいの年代の子供が数人、寝そべっている。何かがガツンと床に放り投げられる音がした。
「ったく」
あの若者の面倒そうにつぶやきく声が聞こえた。ぼんやりとした意識の中、声の方を向き、彼と目が合った。ナイフのようなものとあの義眼を握っている。彼はあっと叫んで面倒そうに頭を掻いた。
「ああ、麻酔がきれちまったか。まあいい、すぐに終わる」
彼は私の口を大きな手でふさいだ。徐々にナイフが目前に近づいてきた。
(やめろ……)
彼の口がわずかにニヤリと歪んだ。激痛で僕は気を失った。
異世界~
ぽつぽつと雨が降ってきた。僕は目を閉じてじっとその場にたたずんだ。あの〇がぼんやりと目前に現れた。そして、あの赤い髪の少女も。
「それで、すべて集めたというのは本当じゃな」
女がいやらしくゆがめた口を開いた。ああ、僕は小さくつぶやいて恐る恐る彼女を見た。
「召獣の封印録。あの地図が見つかったのがおおきかったようじゃのう」
少女は満足そうにうなずいた。
「約束は果たした。もういいだろう?」
僕は彼女に懇願した。そうじゃのう……彼女は顎に手をかけて悩んだ風に黙り込んだ。
「だが、お前が私にしたことをまだ許したわけではない。同じ苦痛を味わってもらわんとわしの気も晴れん」
な……僕はその場に凍り付いた。約束が違う……小さく声を震わせた。
「お前に目をくりぬかれた後、わしはあの世界から放り出された。ゲームオーバー。まさか魔王でも獣でもない、お前のようなただの人間に殺されるとは。あの苦痛。何度思い出しても吐き気がする程の怒りが押し寄せてくる。そして、お前は実験にすら失敗した。わしはただの無駄死に。他にも子供はいた。一体お前は何人の尊い命を犠牲にした?」
(あれは所詮ゲームだ)
僕は拳を振るわせた。召獣と人間の融合。自由なオープンワールドで僕が考え出した新たなレシピ。成功すれば高値で売れるかもしれない。だが、まさかこんなことになるなんて。
「所詮ゲームとでも? 確かに他の子どもは単なるNPCだったかもしれん。しかし、わしは違った。今のお前のように」
真っ赤な髪がわずかに広がった。その白い肌がわずかに紅色にそまった。その大きく見開いた美しい瞳から狂おしいほどの憎悪を感じた。
「集まった召獣の遺体。全てを融合した後、人間はどうなるのか? 興味はないか?」
彼女の口元がいやらしく、ぐにゃりと歪んだ。
*
>これ、めっちゃ怖いんだけど。召獣の遺体を人体に融合させるって…倫理的にどうなん?
>新たな生命って? 単なるクリーチャーとかじゃなくて、何かヤバい存在ができそう
>レシピの詳細が気になる。成功すれば強力なキャラになるのか、それとも恐怖の存在ができるのか?
>召獣の遺体って、そもそもどこで手に入るの?
>どうせエンドコンテンツの一部だろうけど、失敗したらどうなるのか気になる
>本物かわからないけど、実験したキャラは公開されてるみたい
9chのファイナルクエストのスレッドではある話題で持ちきりだった。
〝召獣と人間の融合実験〟
魔王の島にある小さな村で起きた怪奇事件。村の主治医が人知れず孤児を集めて起こした人体実験。その現場を発見した警備隊はその惨劇に思わず目をそらしたという。至るところに転がる子供の遺体。そして、その中央に横たわる金髪の髪をした大人。警備隊は目を疑った。
(これは人間なのか?)
目、鼻、口、耳、心臓、胃、大腸、膀胱、膝、指、肘……ありとあらゆる臓器に無理やりに詰め込まれた何かの獣とおぼしき物体。その報告はまたたくまに世界中に広まった。
~異世界
城の掲示板の前には大勢の人が集まっていた。
〝召獣と人間の融合実験を試みた男は最後にはその呪いに襲われて非業の死を遂げた〟
描かれたおぞましい画図に、見る人々は恐怖して震えあがった。
「ガートラント、おまえは選ばれた人間ではなかったようだ」
一人の男が遠くからその様子をぼんやりと眺めながらつぶやいた。
「俺も気を付けないといかんな。オープンワールドで生きていくコツ。つかづ離れず、現実世界と異世界とのバランス。これが一番大切だな」
ブレイグは眉を上げて、十字を切った後、その場を去った。
異世界~
~End~