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東果を覆う陸海のもの  作者: 浅葱柿
6:南失高原
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6:南失高原-⑧ 人新世の古のもの


 酉後5時。フウギの私室はコラツルのそれと大差がない。せいぜい小動物や植物を飼うスペースに山程の書類が置かれている程度だ。興味を引かれ彼が促すままに手にとって見たが、非人間的な症状を示す未知の病名がつらつら書かれているのみで、数ページにして軽太は本を元に戻した。


 一息つかせ、彼は自身の出自を語った。遠い過去から来た『かつての人類』であり、若田為守というAIによってコールドスリープの形で現代の東果に訪れたこと。東果国は彼の知る日本に似た国であるということ。そして、コラツルに嘘をついていたことも。


「……そんな似るのも、為守って機械のせいか?」


 立ち上がったまま、軽太と目線を合わせる蛇人は感慨深そうなイントネーションを発する。辻褄の合う藪から棒の話であったが、フウギからすれば慣れ親しみすぎた感覚であった。医師というものは特に世界から裏切られる立場の一つであり、例えば病理学からして、客観的事実の側から素朴な価値観を失わせてくる。隣人一人の死期を悟ったとて、告げる頃には手遅れである。かといって、猜疑心に苛まれる蛇芭一族を独断で診察しようにも、集団圧力だの権力だのに握りつぶされるだけであり、ヌヌカ一人の精神状態の改善が限度であった。


 故に、軽太の虚言も大して気に留められなかった。コラツルを傷つけたとも言っているが、フウギからすれば転移に似た彼の態度の方に目がつく。蒼尾人特有の取り繕う精神性にも思えるが、だとしてもわざとらしい。人類文化学を齧った典型的な蛇人が雑に蒼尾族の真似をしているかのようであった。


「それは違う。アイツは知らないってた。為守は嘘だけはつかない。曖昧な言い回しとか、煙に巻きはしたがるけど」


 軽太は衝動的に為守を恐喝した際、彼女から『知らない』と言質を取っていた。続く言葉も確かに軽太は事実を言っていたのだが、内心では事実に縋っていた。服の右手で握った箇所に皺が付く。


「それで、ぼくの言うことは為守は聞いてくれるんだけど。『二度とネットに関与するな』って言っといた」


 軽太は今日赴いた地の方角を睨む。月が横から生温い風を吹かせる。人間の用いた通信とは規格から何まで異なる筈だが、為守はどういうことだか東果国上の通信プロトコルをハックし、何らかの形で常駐している。カータクの話と照合すれば、彼女は外国のIPアドレスを用いて南失高原への失踪を促しており、放置すれば国交問題にもなり得る。


「友達に言えないんだよね。下手したらぼくが目をつけられるから」


 服裏の蒸す感覚を覚えた軽太は咄嗟に、何故、わざわざ単なる大人に話したかを勢い任せに説明してしまった。気不味い沈黙には気付かず、フウギは彼の判断を間違ってないものとして褒めた。フウギとしても蒼尾人相手にゴシップなど水にセシウムを落とすが如き行いであるし、リョウセイという汽陸人もコラツルの話を照合する限りではこれ以上、メンタルに負荷を与えない考えに行き着くのは当然だ。コラツルも蛇人の例に漏れず個人間での秘密の共有は著しく厭う。かといって。複数人と共有するのも素人では蛇芭一族のような、拗れた関係を招きかねない。彼の推察は軽太には伝わる訳もなく、ただただ気味の悪さを覚え、一歩分だけ後退っていた。


「訳が分からん」


 体重を乗せた足音が一つ、二回分鳴る。コラツルのものだ。この場に居ると想定していない人物であり、反射的に軽太はフウギの顔を見てしまう。肝心の彼はただ、とぼけた表情をコラツルの方に向けていた。


「何故今になって言う」


 コラツルとて、軽太の言い分は筋が通っている。ネットワークに干渉する古代のAIの存在が発覚すれば、そのAIに司令の出来る軽太がただでは済まない。

 だとしても、現に軽太と為守のいざこざは、ニンゲンに纏わる様々な事件は、彼の手で、訳の分からないまま解決したことにされていた。車内でも、彼の異常行動を何も顧みないカータクやリョウセイが目に入るばかりで失望が重なっており、今更、正直に話さんとする彼が信頼ならない。


「死にたくなくなったんだよね。初めは適当に生きて適当に自然死でもしたかったんだけどね、為守が酷い嘘言いやがったもんだから」


 軽太は一瞬、図々しく畳の上を這う彼女を見下げた後、遠い目で言い放った。キリギリスだろう鳴き声が芝生か何処かから聞こえてくる。コラツルは彼の目を覗くように見続け、瞬膜一つ閉じない。


「なんで死のうとしていた?」


 彼女はフウギの開いた両足を確認した後、更に問い詰める。


「そこまで言わないと駄目?」


 軽太は勿体ぶるように間を開けてフウギの様子を伺う。先程までの丸い目つきとは異なり、明らかにこちらを人として見ていない目であった。


「……最悪の生き物だからだよ、人間っていうのは」


 コラツルの二つ返事を聞くまでもなく、軽太はため息混じりに鬱憤をぶちまける。コラツルならまだしも、真っ当な大人にまで自殺念慮を拗らせた狂人だと思われたくはなかった。


「人間が人間のためだけに延々、盛っててさ。何が楽しいんだよ?」


 人間社会というものは萬の出来事を予定調和だと強要する。規格に沿わない全ての諸概念を吟味なしに排斥し、人間にさえ規格通りの振る舞いを強要する様はディストピアとしか形容できない。地上の世界に出ることこそ楽しみであったが、人と関わるのはその人間社会こそが寡占してしまっており、軽太にとって社会生活という観念は八寒地獄にも等しいものとして定着してしまっていた。


 他方、東果国では確かに規範の強制こそ存在する。だが、その規範はアブストラクトに定義されており、なんなら一種族本位ではない。


「鴻・苙圻連合国って知っとるか」


 軽太は無言で頷く。彼らの自分本意なニュース鑑賞を他所に時事問題として何度か耳にしていた国家名だ。蒼尾族が大半を占める国家であり、軽太の持つ知識では「中国北方にある無人地域の東部」に位置する国であるという。


「酷え国だぞ、延々身内ネタを擦っとるだけの国」


 フウギは身振り手振りでその大国の無為性を伝える。鴻・苙圻連合国の歴史を端的に纏めれるならば、異種族の担ぎ上げと内ゲバの繰り返しだ。そもそも建国の所以が西部に位置する鴻地域が発端となった各民族区の反乱であり、鎮める苦肉の策として各民族区に自治権を与えて以降、同国内にも関わらず思想所以のテロや内紛が数年に一度は発生する。東果国は経済面でこそ頭を下げているが、フウギとしては国自体がプレコックス感の塊である。


「出られない檻よりはマシだよ」


 彼の強張った双眸をさておくように、軽太はスラスラと想いを投げかける。同じ顔と声をした分屯基地に集う民間人の各々が鮮明に思い出された。東果国への希望が潰えたあの日が懐かしいし、本当に馬鹿馬鹿しい。


「世の中、『出られん檻』は幾らでもある」


 フウギはゆったりと、コラツルと同じ目線にまで這い下がる。血縁関係が最も卑近なもので、次点が狭い村の付き合い。十年程度の精神科医歴としても、血縁関係が原因のヒステリーとは同僚の書いたカルテを拝読していても見飽きた非典型疾患だ。


「あまり君も、人の顔は伺わないほうが良い」


 軽太の下手な籠絡を思い出し、フウギはやんわりと咎めてしまう。スズスハ家の旦那となって以来、疑心暗鬼は最早離れられない世界となってしまっていた。


「人はそういう所から付け入ってくるからね」


 ナイラス・カータクは顕著な例だ、とも付け加え、彼は夕食を取りに部屋から出ていってしまった。


 ☆


 改めてコラツルとは挨拶を交わし、自室の照明を消し、布団へと潜る。目を瞑り、考えを鎮めようとする。自生思考のままにリアクションを脳内で取り続け、脳が鎮まるのを待つ。

 

 かれこれ一時間ほど経っただろうか。全く眠れる気配もしない。ふと目を開くも暗い竿縁天井があるのみだ。立ち上がる気にさえならなかった。


 蠢くものを感じ、体を布団へと擦り合わせる。為守への不平不満が今になって湧いて仕方がない。言語にもならず脳の何処かで堰き止められる感触がする。軽太はこの家が、この部屋が、急に厭になりだす。布団に頭を埋め離れる。暫くして布団から顔を出そうとしたが、出せない。ようやく息苦しさを覚える。本能的に空気を求め身体が動き出す。


 ただただ彼女への感情をぶちまけてしまいたかった。誰でも良い。誰か居ないのか。誰も居ない。布団から身体が転がりだす。畳が背にぶつかった。噎せる湿気の中過呼吸に陥り、ただ反復するように横隔膜を動かす。


 何分が経っただろうか。呼吸が整い、軽太は今一度この場を見渡す。彼は結局何を嫌がっていたか忘れていた。フウギの顔が思い返された。あの朗らかな顔に嫌気は沸かない。第一、スズスハ邸は広い。軽太の家は殺風景も極まりない、コンクリートと窓ガラスと申し訳程度の緑であったが、この家はどうか。人間の社会では生の星空など野外キャンプの返礼品でしかなかったが、今となっては襖の向こうで細々と、巨大な天然核融合炉が輝いている。自然風に煽られる木々に草も珍しいものではない。それに家主であるフウギは医学者である。自然治癒に任せられない怪我を治す為の手配は可能なはずだ。ならば暮らす場所として不十分ではない。


 軽太は再び布団を整え、目を閉じる。呆気ない程に思考が寝ぼけていく。思考が破綻しないギリギリの状態でなお、彼は彼女を思い出していた。

 夢も見ず、彼はシームレスに早朝を迎え、日光を浴びていた彼は早朝から玄関を後にする。


☆☆


 下宿の調理室にて、リョウセイは紺碧色の鱗を震わせ、鰓から湿り蠢くような声を出す。彼女は揚げ物の調理を終えようやく微睡むだけの余裕ができていた。ふと、椅子の凭れを掴んで座り、まじまじと自分の料理を見やる。目の前の光景に新鮮さを覚えたのは何時ぶりであろうか。調理器具は未使用・使用済み問わず精細に映って見えるし、窓の向こうにて疎らに通る車両でさえ清々しく感じる。暫くする内、リョウセイは再び眠りに落ちる。目前の風景には脳内の映像とが混ざって見えていた。


「おはようございます」


 普通は睡眠を水中で取る種族であるが故、陸上ではけたたましい鼾をかいて眠ることとなる。リョウセイは彼の足音に気がつくことはなく、彼の声を聞いて反射的に彼を見やる。彼女は先程まで何を考えていたか、何を思っていたか完膚無きに忘れてしまった。


「……またタダ飯喰らいか」


 リョウセイの胸鰭が徐ろに動く。現実での直前の出来事を思い出し、調理物の置いてある方へと向かう。


「いや、ち、違いま――」


 他方で軽太にとって彼女の表情は恐ろしい仏頂面でしかなく、恐れのままに両腕を振って返事をする。


「食べていいよ」


 彼が何を解さないかを察し、リョウセイは彼の方を向いて料理へと指を向ける。軽太は困惑しつつお結びを手に取り、感謝の挨拶語を交わした。


 ☆


 二人は共用部屋の机に陣取り、座って朝食を取り始める。軽太は住民に遠慮してテレビの電源を付けなかったが、後々にリョウセイは放送を聞きたいと言いリモコンに手を伸ばす。ならばと軽太は我儘言ってチャンネルを何度か切り替えたが、人間一人居ないドラマ番組といい時事ニュースといい、興味を惹かれるものはなかった。


「……くだらな」


 リョウセイは遣る瀬無さの一色に染まった鳴き声を発する。軽太は面白くない番組を愚図りながら、リョウセイに為守との因縁について説明していた。彼女は壮大なバックボーンを期待していたが、蓋を開けたら為守と軽太のすれ違いでしかなかった。


「なんで黙ってたんだよアンタも」


 彼の顔を見る。顰めっ面であろう表情を浮ばせ、湯気も出なくなった焙じ茶を飲み干していた。


「こんな程度の低いことに周り巻き込みたくないなあって」


 軽太は溜息を吐いて表情をリセットしつつ、輪染みに重ねるようにして湯呑みを机の上に戻す。リョウセイも彼に心底から共感していた。


「更に酷いとは思ってもなかったけどね」


 先程以上に苦い顔であった。彼は両手を天井へと伸ばし、感情を誤魔化すように欠伸をする。軽太自身、ファジーに草土か何かの中から話している気がしていてならないのだが、一向に覚醒しそうにない。


「……人に迷惑をかける奴ではなかったのか。昔は」

「うん!」


 勢いよく台に手のひらを付く。リョウセイの胸鰭は鋭敏に反応した反面、鳴り散らされた乾いた音は彼の意識の中では朧気にしか響かなかった。リョウセイは宿民の睡眠を考え彼を諌めていたのだが、どうも軽太は夢現の状態であると知り諦めた。


「なんでこんなので騙せると思ったんだろう、為守も」


 軽太は肘を付け、重力に従う瞼を閉じないよう試みた。為守は彼の悪意を案の定聞き入れ、言い訳がましい反映のさせ方をさせていた。そもそも人間でさえ紀元前時点で地球像を概ね評価し、江戸時代には島を正確に測量し製図したというのに、何故インターネットの普及する時代に送り飛ばしたのか。


 ふと、リョウセイも彼の世界に興味を持った。厳密には同じ『人間の世界』なのだが、生まれた時代が異なる。前も彼女の知る日本像とはかけ離れたことを言っていた。


「お前の世界ってのは――」

「酷いよ」


 問おうとした所、彼からは薙ぎ払うような返答がされた。彼は嫌悪だろう表情を眉間で表現し、カジュアルにこれ以上の深入りを拒絶しているかのようだ。


「――サイバーパンクな所なのか?」


 胃と近辺の筋肉が力む感覚を覚え、別の文脈へと挿し替える。気がつけば彼の顔を見つめていた。リョウセイはつとめて、机に配置されていた月間カレンダーを見ている体を取り繕っていた。


「地下に人が居て、地上は廃墟か自然か軍事施設かだね」


 軽太は腕を組み、ありのままを素っ気なく伝えた。彼からすれば滅びた人間共に興味などない。


「荒廃してんな」


 ありのままの感想であった。それ以上の言葉が感情としても出ない。


「地上に行くのが趣味だったな。人と接してもつまらないし」


 軽太は人間関係の愚痴と共に、地上世界の魅力を伝えていた。『峠浦龍之介』を筆頭に知人の存在を今になって《《思い出す》》とは思ってもおらず、その言葉に含まれる哀愁から彼女は口を閉口させていた。ふと、彼女は郷愁の念から滑り落ちるようにして思った。人間基準では鄙もいいところな山地ですら一市町村として開拓されているこの地上は、彼の言う地下世界と何が違うのだろうか。


「そういやお前、飛騨に居たんだったか?」

「? そうだけど」

「……ここ、大体飛騨じゃないか?」


 今になってリョウセイはあの遺跡を思い出し、首を傾げる彼に対して感情を伝える。確かに彼は科学史の大御所たる固有名詞を口にしていたし、彼女はかつての『飛騨市』に存在する施設であることを知っていた。


「そりゃそうでしょ、もうぼくはどうでもいいよ」


 彼は腕振りからして衝動のままに擲つ。実際、コールドスリープである以上、余程のプレート移動でもなければ位置は動かない。そもそも為守の話はもうしたくないと言いたげに頬を引き攣らせる。本人としてはむしろ、彼の擲っていたものを今になって掘り返す彼女に対する辟易の感情でいっぱいだったのだが。


「それよりぼくはもっと聞きたいことがあるんだ」


 彼は音を立てて椅子を立ち、乱れた洋服を整える。コラツルから借りたのであろう、汗とこぼれた食材を吸った無柄のハンカチがテーブルに置かれっぱなしであった。


「おう、何だ」


 彼女は食器の片付けを咎めようと考えたが、帰宅する気がないことを悟り踏み止まった。

 軽太は目を閉じた後、口角を蒼尾族の威嚇表情のように引き攣らせて再び彼女の方を向く。瞼は見開き、いつとなく澄んだ双眸を覗かせていた。リョウセイはこの表情が、満面の笑みと呼ばれていたものであると理解していた。


 彼は一息付いた後、はにかむようにして言ってしまった。


「――この世界のこと!」


 この場は未だ、二人しか居なかった。人間である軽太と、かつての人間を識るリョウセイ。

 ――人間、水主軽太は。いくらリョウセイがデジャヴしか覚えられずとも、汽陸族の本能がどれだけ歪な認識をしようとも。彼女の知る《《人間の少年》》と同じ姿を、同じ振る舞いをしていた。


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