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東果を覆う陸海のもの  作者: 浅葱柿
6:南失高原
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6:南失高原-⑦ 異次元の色相

 樹洞にも等しい様相の南失高原を歩く。行きではああも警戒していた野生動物も、種が分かれば気にかけるべき概念でさえなくなっていた。会話らしい会話はなく、ようやく車が見えた所で少々の世間話が歯切れ悪く交わされる程度であった。


 ドライブ中もニンゲン間の事情について言及されることはない。対向車が水溜りを跳ねる光景すら無光層の無音の出来事に感じられる。ようやく、岶岼市街地に抜けた頃にはどうでも良くなったかのように、カータクは後部座席の彼女と朗らかな雑談を繰り広げる。軽太は芝居がかった彼のそれが怖く、つとめて携帯で遊ぶこととした。


 最初に、リョウセイが入間荘前で降ろされる。濡れた街路灯が後手へと向かっていく。三半規管に悪い姿勢を取っていたが故、軽太はシートベルトをしたままリョウセイの座っていた席に頭をかける。ヒト科のそれとは異なる熱気と湿気が彼の髪に伝わった。


「――つーか、教えてくれてもいいんじゃねーすか?」


 軽太は彼らに、暫く寝ると伝えようとしていた。不意にカータクの関心が彼に移り、軽い目眩の中咄嗟に気を強くする。

 

「何を」

「何命じたんすか? イモリに」


 カータクは今ぞと言わんばかりに芝居の入った態度を止めた。右タイヤが水溜りを刎ね、ガラス越しの視界の下部を濡らす。


「……別に」


 寝転んだまま、軽太はサイドガラスを見あげる。まるで露は乾ききったかのようで、窓の向こうの何から何までが軽太の心に肉薄して感じられる。


「なんで隠そうとしてるんすかね」


 重厚な声が軽太の耳を撫で付けてくる。カータクはコラツルのように平坦な声を発する。無関心を無限遠まで延長したかのような彼女の平坦さとは全く異なる。


「大したことじゃないから」


 軽太はシートベルトを攀じるようにして腕を立てかける。耳のすぐ横が酔ったかのように痛くて仕方がない。


「大したことなんだよなぁー」


 カータクは嫌味な感情を隠そうともしていない。ルームミラーから片鱗が伺えた。


「何が」


 軽太は悪意を素っ気なく返す。カータクの態度は単に彼女の真似だと考えており、当てつけだろうとも考えていた。


「俺らの生活に関わるんすけど」

 

 軽太は抑揚一つない彼の言い回しにえずきを覚える。断じて彼はコラツルの真似などしていない。彼の蒼目は行動を強要するかのように軽太を見ている。


「なんで知ろうとするんだよ」


 運転席の彼は一瞬怯み、一瞬しっかりフロントガラスの先を見据える。軽太は内なる動揺を潜めさせた。


「ま、確かに何言ったか聞くのは野暮っすね」


 軽太は溜息を吐く。先程まで心惹かれて仕方無かった窓の向こうの景色がどうでも良くなり、車の天井を見上げる。車体揺れが良く観察できるだけだったが、無為な外界観察より余程有意義に思えてならなかった。


「俺が本当に知りてーのは、なんであのタイミングで、っす」


 再び車が発進し、軽太は慣性を感じる。知らぬ間に信号を待っていたようだ。正直、カータクは対処不能の『人間』に対して気が気でなかった。リョウセイは無作為に選ばれた犠牲者である。インターネットに介入できる存在であると悟った際の感情といえば、屈服一色。自分が自分でなくなる恐怖から自我が崩壊する寸でであった。遺跡の外にて為守は脅威でないと知り、ナザネルは知らずの内にカータクに替わっていた。為守に話しかけた次の瞬間、彼女は軽太に引きずられた。


 彼は軽太を許せない。意図して彼女から引き離すつもりだったのだろう。口角は硬直し、彼から自由な感情表現を認めない。ロクに自分の顔を見てくれないコラツルでさえ表情の概念を有しているのだし、軽太も感情表現を解さないほど愚かではないと信じていた。


「……知る必要ある?」


 つとめて口を噤む。カータクのノンバールな情報を軽太は処理できずに居た。蒼尾人は人間の「笑う」に該当する動作として真顔を取るというが、だとして何故笑いながら話しているのか。そもそも彼は笑っているのか。


「なんで。急に。引き裂いたんすかね。」


 無言で彼を睨む。自分自身と相手と、それを取り囲む車体。それ以外の何もかもは存在していない。ふと、カータクはミラーの中の彼を見る。まるで『俺は悪くない』と《《笑う》》彼が滑稽に思えて仕方がなかった。硬直していた舌が再び口外へと這い出る。


「嫉妬でもしたんすか?」


 呆気な声を軽太は出すのを聞き、カータクは勝ち誇るように悪意ある質問を飛ばす。


「聞かれちゃ嫌な秘密でもあったんすかね~」


 片腕をハンドルから手を離し、伸ばして欠伸をする。前方の車両は変わっていないようで、ナンバープレートも同じままである。


「……そうだけど」


 軽太ははカータクの口元を見、ため息を吐くように味気ない答え方をする。車の後方の光景を見ようと努めていたが、寝そべったままでは辛うじて星1つない夜空が見える程でしかなかった。


「ふーん」


 カータクは微笑んだ。軽太からしてもその評定は病的なソレとは異なる正真正銘の真顔であった。実際、カータクは嫉妬の念を隠せていなかった。なにせオーバーテクノロジーが目前だというのに兄貴は何ビビり散らしているのか。


「ああそう、嫉妬深くて悪かったね」


 今は亡き面倒だった友人を思い出し、彼女に対する反応のように振る舞う。軽太は取り繕うのも面倒になっていた。


「そうじゃねーっすよ、なんで触らしてくれねえんすか」


 ルームミラーの中にて軽太は流し聞いているのだが、カータクにとってもどうでも良くなっていた。


「知らない。前までアイツもそこまで性格悪くなかったんだよね」


 酔いが回って仕方がなく、軽太は本音を理性抜きで語る。今日に再会した彼女は無機質な悪意を巻く存在であった。コラツルの言動は野次り、ナザネルは存在を無視。終いにはリョウセイ相手に失礼極まりない丁寧さを見せつける。為守はそのような存在ではなかった。


「誹謗中傷とかラーニングさせたんすか?」


 カータクの冗句を聞き、そっと笑ってしまう。東果国の価値観に於いてもAIは無垢の象徴であるようだ。


「元からだよ」


 横切るバスの鈍い音にまぶすようにして軽太は溜め息をつく。実際、為守は素で毀誉褒貶が激しい。軽太については頑な悪口を言わないようなのだが、彼女はその場に居ないその他の人間についてはすぐに暴言を吐き出す。物事に対しても同様であり、その場その場で好き嫌いも変わる。実際、量電子で演算されるAIは役目以外に対してはアブストラクトな評価を下すという。為守は事実上無限の寿命を持ちながら役目を持たない。その自身のあり様を自宅警備員とでも定義したのだろうか、水主家以外についてはいい加減である。

 

「俺、AIに武道とか聞いてみたんすよ」


 カータクはハンドルを切り、車線を変える。軽太は人里に降りていったあの日をハッキリと思い出す。


「柔道とか?」

槍道(そうどう)っすね」


 軽太はため息を吐く。体育の時間にスポーツの類は行われたのだが、軽太は厭戦派なので何が楽しいのかよく判らなかった。


「Wikiからコピペしたみたいな文章で面白くなかったので、嘘教え込んでやったっす」


「業務妨害じゃな」


 一瞬、半身が痙攣する。二人共々全く喋らないコラツルの存在を忘れていた。


「だって嫌いっすし、AIも武道も。意味分からん」


 カータクは体育での不快な体験を反芻させる。楠白の地域で完結する中学校までは『武道=軍部の訓練に等しい』という共通認識があったのだが、市外の高等学校にて、どういうことだかその共通認識は崩壊した。


「儂は計測作業の方がつまらん」


 他方、コラツルにとっては競技の方がつまらなく感じたし、実際に小中高と蛇人の多い学校であった為に深く学ばない。


「走ったり泳ぐだけだから簡単じゃねーっすか」


 カータクはブレーキを踏む。再び赤信号に差し当たった。


「数字で格付けしたがる面倒な輩だらけじゃしな」


 コラツルはわざとたらしく彼の顔を見上げていた。実際、体育と蒼尾族の顔の組み合わせは深い悪感情を覚えさせる。


「精神論押し付けてくる武道のがクソだろ」


 カータクは腕を頭に置くように組む。蛇人は数値を扱う理系職に就くものが多い反面、各々の能力については頑な数値化を拒む。周囲の意見こそ安定しないが、カータクからすれば自種族を絶対化しているようで気味が悪い。


「ぼく団体競技嫌い」


 軽太は負けん気と言わんばかりに体育への悪感情を述べる。


「団体競技?」


 葵信号となり、再び車は前進する。


「ボールを複数人で蹴ったり回したりする競技ってない?」

「ガキの遊びっすね……」


 カータクは半目を瞑る。『苦笑い』に該当する表情だ。日々のネットサーフィンで引っ掛かっていたことを思い出し、はっと軽太は目を見開く。

 『体育』について調べたときはあまり気にしていなかったのだが、槍道や柔道、弓道等の武道、例えば水泳や陸上競技等の個人競技こそ学校教育の項目として存在する反面、サッカーやバスケットボール、野球等の複数人が前提の競技は存在していなかった。どうも、この世界には『スポーツ』という概念自体が存在していないか、あったとして異国の遠い文化のようだ。


「なんかね、人間って団体で競技したがるんだよね」


 軽太は当事者でないかのように人間を語る。


「うわ、死にそう」


 糸目でルームミラー内の軽太を睨む。羞恥の感情の表現なのか、憎悪の表現かまでは軽太には預かり知らぬことであった。


「想像がつかん」


 コラツルは生理的嫌悪から目を瞑る。軽太にその様子は見えなかった。



 

 コラツルの家はよく覚えていた。大通りを外れた後、見慣れた一軒家が軽太のすぐ横に映される。カータクの声と共に二人は降ろされ、軽太は勢いのままに挨拶を交わし腕を振る。純内燃機関車がエンジン音を低くして遠くへ去っていく。軽太は走り去るように玄関扉を開け、靴を脱ぎ靴箱に仕舞う。もう片方の手で汗ばんだ革特有の臭いを払い、のろのろと廊下へあがる。


「おい」


 軽太は身体記憶のままに廊下の照明を付けようとしていた所であった。鳴き声が聞こえたと思いきや、彼の脚が掴まれる。木材に冷やされてこそいたが、アスファルト由来のその質感は軽太に生々しく伝わる。


「お前、何を隠しとる」


 コラツルの握る力は強く、軽太は足首中に彼女の圧力を感じていた。人間とは断じて異なる、木板を重ね弾力性を持たせたかのような感触であった。


「……言わないとダメ?」


 目に見えて不機嫌であった。不快な表情でコラツルを見下ろす。


「ああ」


 彼女は彼の顔に呼応して彼の方を睨みつける。梁から吊木まで、木の目さえ鮮明に網膜へ映る。


「君に言うことはないよ」


 視界の遠くで、蟻が木の板の境を渡る。軽太は彼女を蹴飛ばそうかと考えたが、彼女の怪力と金切り声とが脳裏で反芻され思い留まった。


「この期に及んで隠すか」


 意図が通じていないと判断し、コラツルは恐る恐る彼の顔を見、勢い任せに白焦げ茶とした眼球を睨む。足首が痛みだす。コラツルは彼にさっさと吐かせてしまいたい。


「何をだよ」


 軽太は彼女の足を踏んでしまいたい。彼の顔のパーツは配置から縦横比まで著しい変形を見せる。コラツルは負けじと、一瞬たりとも瞬きをしないで彼の方を見やる。網膜が瞑られる。湿った風が軽太の足首上を撫で回す。照明が貫き刺している。軽太の輪郭がよく見える。


「……嘘吐き」


 コラツルの第一指の鈎爪が彼の太腿を刺す。彼女の手へと数滴、見慣れた浅黒い液が垂れ、手首に至る地点で床へと流れ落ちてった。暫くして、軽太は鈍痛を覚え、身体を抱えるように座ろうとする。


「お前の何を信用しろと?」


 彼女の首裏が浮腫む。腹板に垂れるように鱗が皺を作り、陰影を深く遺していた。呼吸が痛覚を訴え出す。軽太は下唇を噛みしめていた。


「意味もなく隠しよって。何がしたいんじゃ」


 無言を続ける彼に対し、コラツルはより不信を具象化させて発する。軽太は異世界人と偽り、為守の存在も何をも隠し通そうとした。普通は嘘を吐けば吐くだけ情報共有に支障が出て自分の首を絞めるだけだが、軽太は自分の命にさえ執着していない。そんな狂人の言うことなど信頼ならない。


「そう、こっちこそ君が信用ならないね」


 軽太は目を瞑ってでも彼女を睨み通す。彼は彼女に何かしらの反論を期待していた。足首が脈打ってるように感じる。異質な比熱をした指裏が彼に鋭く突き刺さる。それでも軽太は意地で目を瞑り、彼女を拒絶する。暗闇の中、床が見える。彼は醜い自分をただ俯瞰していた。彼女に癇癪を期待していた。彼女にあの日のような《《誤作動》》を、理性の敗北を。何秒そう念じていただろうか。軽太は時間感覚を失い、ふと目を開く。コラツルは瞑る前と何ら変わらない表情で、否、僅かに合わずにいた焦点さえ合わせてまでこちらを向いていた。口が引き攣り歯軋りを覚える。今や醜い自分が彼を見つめ、彼は過呼吸さえ覚えて仕方がない。


「――お父さんなら話していいよ」


 苦し紛れであった。これ以上この空間が続けば、軽太は自分を見失う気がして仕方がなかった。コラツルの瞳が彼の目前に迫ってくる。


「……そうか」


 軽太は彼女が次に口を開くまでにした呼吸の回数を覚えていた。彼女は力強く手を離すと、尻尾を巻いて自室へと歩いていった。その様子を軽太はまじまじと見つめる。

 

 彼女が去ったと気がついた途端、冷風が傷へと突き刺していた。軽太は足首を抱えるようにして廊下を渡っていく。軽太は自室に付くと、リュックサックを降ろし中から絆創膏を取り出す。爬虫類種族用の創傷被覆材は軽太の肌と相性が悪く、妥協でリョウセイら汽陸族用のものを拝借したのであった。軽太は片側の剥離紙を外した後に傷口に絆創膏の半分を粘着させ、もう半分も同様にする。


「話すんじゃなかったんか?」

「ちょっと傷の手当してた」


 誰かのせいで、という枕詞にしかならない言葉を呑み、軽太はさっさとフウギの帰宅をリビングで待つこととした。床に綺麗に置かれたリモコンを手に取り、電源スイッチを押す。数秒した後、有名人であろう蒼尾人が何かを話している。旅番組が放送されているようであり、ちょうど夕刀府椎井(しひい)村にあるという滝を紹介していた。管笠を被った羽織共は浮世絵を連想させる反面、植物の細かい原理を語るその様は古文書の類を思い起こさせる。高度な文字列と共に東果地図を用いた詳細な説明が成され、軽太の知る知識では旧福島県の南西端を指し示している。どうも、現在紹介している場所とは『三条の滝と呼ばれていた地域』のようだ。それにしても学術用語が多く、軽太にとってヒアリングが難しい。


 ふと、廊下にて待ち伏せするかのように彷徨く彼女が非常に疎ましくなり、軽太は再びリモコンのボタンを押す。番組が変わったのが、相変わらず複雑な単語が多い。数度押した後に軽太は理解を諦め、後はただただ流し聞きすることとした。彼女のような人を対象にしているのか、そもそも蛇人に彼女のような朴念仁が多いからこんな番組になっているのか。退屈になり、軽太は背伸びをしたり、意味ありげに手持ちのノートに人間語の文字列を書き連ねたり。そもそも今日になって父親は帰ってくるのか。


「風呂入ってくる」


 軽太は廊下と正反対の道を通り風呂場へ赴く。身体を洗うとついでに寝間着に着替え、再びリビングへと戻る。相変わらず彼女はそこに居た。正直軽太は都合よく予定を被せて風呂場に乱入してくると考え、気が気でなかったのだが、待ち伏せする彼女を見て無駄な心情であったと察した。


 少しして、コラツルとは異なる硬い足音がなる。廊下に寝そべる彼女を気に掛け、避けるようにして軽太の方へと歩いていく。


「ああ、おかえり」


 軽太は座布団にしていた毛布から立ち上がった所、足の痺れを覚える。


「……《《パパ》》にしたい話がある」


 唐突であった。彼は断じて、不思議な振る舞いを気に掛けるフウギの方を見なかった。今はただ絆創膏越しに傷を抑え、痛ましい顔を見せている。


「? ワシはパパじゃないぞ?」


 分かりきったことを口にするフウギをそっちのけに、軽太は彼の腕を握る。彼の反射的な、汚い家禽を触るかのような憤りを一瞬感じたが、無視して軽太は話を持ちかける。


「身内の話」


 軽太は誇らしげに、実の子かのようにはしゃぐ。フウギは首を左右に傾けさせた。


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