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東果を覆う陸海のもの  作者: 浅葱柿
6:南失高原
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6:南失高原-⑤ 若田為守



「――離れろ」


 水冷式のクーラーが挙って水音を弱々しく立てる中、リョウセイは見覚えのあるシルエットへと啖呵を切る。若田為守であろうその姿は網膜に焼き付いて仕方がなかった。無垢なリョウセイに忌々しい記憶を押し付けた、忌々しい黒色。彼のそれを極端化させた平らな顔面は最早人皮を剥いで貼り付けたかのようで、生理的嫌悪を覚えさせて仕方がない。


『そのフカヒレ何すか、不倫?』


 ラップトップの中の彼女は糸目のまま、シリアスな空気に似合わない声を発する。この機械の発する《《日本語》》といい、デフォルメされた惚ける仕草といい、リョウセイの神経系へと染み込む悪意が鬱陶しくて仕方がない。


「黙れ――」


 即時に嫌悪を表明し、軽太を片手で退けさせた。人間を装った電子声が不快で仕方がなく、今すぐにでもラップトップを壊してしまいたい。


『思い出しました、名乗ったらどうです?』

「アンタに名乗る名はない!」


 今ここに、二人の意識には互い以外はないのであろう。為守は場の緊張など無視した快声で応対するし、リョウセイはリョウセイで威嚇を崩さない。彼女はラップトップを手に取ると地面に置きつけ、中に居る存在をカエル座りで睨みつける。鰓声一つは疎か、乾いた息すら立たんとしない。為守が口角を上げた途端にリョウセイは眼圧を上げるし、彼女が少し緩めた途端に不快な笑顔を顕そうとする。数度とそのやり取りが繰り返された後、為守はしずしずと、丁重ぶった声と表情を発する。


『私は若田為守、量電子情報処理装置によって築かれた元・行政用AIです。意識だってありますよ?』


 そう説明した後も、彼女は内なる威嚇を崩さない。量電子、即ち量子効果と従来の電子ネットワークとで構築されているのだと説明する彼女は、今この地を覆う動物社会では日の浅い理論たる量子意識を実証した存在だという。


「……峠浦瀬奈。覚えてないのか、化け物が」


 彼女は意図して既知の情報を話したのだろうとリョウセイは察知し、彼女への悪意を隠さぬよう、平坦なイントネーションと共に憤った震声を放つ。


『こんなかっわい~わたくしを化け物呼ばわりとは、流石はサハギン♪』

「人の名前も覚えられないんだな」


 お惚けた顔といじれた態度を見せつける為守を目にし、リョウセイは勝ち気に、半月襞の様相へと力ませていた瞬膜を完全に開き切る。汗が肌着に染み、湿冷たい布の感触が今になって刺さりだす。


『リョウセイですっけ? 知ってますよ、もちろん』


 肌着を絞ろうと悦に浸った所で為守はポーカーフェイスな微笑を見せつける。彼女は発音困難な彼女の本名をも読み上げる余裕を見せつけるも、表情は変わらない。リョウセイは数瞬ほど呆気な表情となったが、すぐさま先程までの警戒体制へと戻る。


「……なんで、アタシを選んだ」


 睨み合いの後、今度の沈黙を破るのはリョウセイであった。当たり障りのない質問にしようとしていたが、気がつけば本心の弱音を吐いてしまった。彼女は尾鰭を後ろに引き、今にでも飛びかかる姿勢を見せる。


『ホントは蛇人族か、蒼尾族の個体にしたかったんですけどねー。すぐ狂死しやがるんですよ、みんな』


 続け様に為守は画面内の、スポットライトの照らされた黒いVR空間を右往左往と歩き出す。


『汽陸族を使おうにも海中サーバーは水浸し、誰も陸に登りゃしない。偶々貴方が皚屽に来てくれたから使っただけです』


 為守は余裕ぶった背を見せる。彼女は、複数の同心円を描く玉虫色のコーデを見せつけていた。


「本当にそれだけか?」


 リョウセイは生理的戦慄を隠し通すつもりで問う。淡々と問いに対する答えのみを話す様に倦怠感ありきのデジャブを覚えたが、それ以上に悪意も隠さない弄言が神経に障って仕方がない。


『一発で成功するとは思いませんでしたね、はい』


 ここぞとばかりに為守は仰け反り、満面の笑顔を見せる。リョウセイは無言で口を開く。邪悪の塊に対して本能的威嚇を隠せなかった。


『アンタら如きに嘘なんかつきませんって! 信じてくださいー』


 為守は彼女の無言に対し、正面を向き腕を広げさらなる邪な笑みを返す。リョウセイは基舌骨を力ませ、ラップトップの上部に手をかけようと――


「――ねーさっきから何話してんだよ! 好きなプレイか?」


 二人の意識間に何かが割り込む。場に合わない声と表情を放つその蒼尾人は間髪入れずに湯文字の紐を解き、蹴飛ばして地面にそのまま横たわらせる。燦々とした朱い短ズボンと紺の法被とが露わになり、無垢さな瞳を隠さないそれは断じてカータクではなかった。


「……お前、いつから?」


 リョウセイは彼に釘付けになり、思ったままの言葉を発する。コラツルと共に突如現れたナザネルに向けた言葉であった。


「ずっと居たが?」


 彼は悪気なく答える。リョウセイは兄弟が同一人物である事を知らないし、彼らも悪意と怠惰から伝えないでいた。


『はーいはい! 部外者さんはー黙っててくださーい!』


 為守はわざとったらしく間延びした東果語を発する。 


「性癖エグ太郎の造語癖、俺様も理解するけどさ、もーちょっと人類の言語に寄り添っても――」

『――お前を消す方法』


 一瞬、彼女はナザネル相手に糸目を開眼させると、直ぐ様人間の言語による応答に切り替わった。リョウセイは為守が日本語で成された、彼に対する嫌悪表明に心底から同情していた。


「ぼくも言いたいことだらけだけど、一つ言わせてくれないかな」


 一歩分の足音を立て、軽太は為守の方を見据える。為守は横目で彼を見る。


「『異世界に行きたい』って言ったよね。異世界があるとも言ってたよね」


 こうして彼が感情をぶつけている間も、為守の態度は変わらない。空調の風が汗を掻いた彼の肌に掠るが、冷えた感触もしない。


「子供騙しなんかで、何がしたいの?」


 軽太はもう一歩前に進み、リョウセイに一旦退いてもらう。疑問のイントネーションを首で表現する彼女を他所に、こうも自分の嘆きを半端に叶えたことへの呆れを吐き切る。


『それは軽太くん、貴方が曲解してるだけですよ』

「はあ?」

  

 一瞬、呆れが怒りに転じ、彼に顰め面をさせた。彼に癇癪を他所に、為守は誤解を解くための説明を始める。


『現実的に不可能なんですよ、異世界なんて。貴方が反物質にならないし、超対称性粒子にもならない、貴方を支えるヒッグス場や重力子もしっかり存在している。数学の仕組みさえ違う宇宙なんていくらでもあるでしょう。これらが解決されたうえで、偶々ヒトにとってのハビタブルゾーンを持ち、多少身体能力も結晶性知能も高い軽太くんでも生育出来る星なんてゼロです。仮に鏡像生命体による星だったらば、貴方はそのへんのガキから軽太菌とか揶揄されるでしょうし――』


 この後も為守は長々と科学的説明を続ける。エネルギーやリソースの都合等からも条件を満たす異世界を探索するなど不可能だとも断ずるが、軽太からすれば今更の情報であった。


「なら、せめて異星にしてほしかったもんだね!」

 

 軽太は唸る。彼女の言い分は言い訳以外の何者でもない。


『私は真っ先にウォルフ1069bを検討しましたが、生命こそ存在すれど、高等生物を支える宇魄場なんてものは確認されませんでした。他もそんなんばっかですよ。生命の可能性のある星に赴こうにも、残りは超光速船かワームホールでも作らない限り、到達不能です』


 空調が運転を切り替える。先程から彼らに吹き付いていた冷風が弱まる。


「じゃあ、百歩譲って未来の世界に送るとして。本当に叶える気はあったの?」


 軽太は息を整えるように吸う。ようやく体が冷えを覚え、背後で成される雑談の声を聞く余裕も出来ていた。 


『まぁ、最悪は太陽に地表が焦がされるその時までコールドスリープさせてましたね』

「はぁ」

『どちらにせよ、「ここが異世界じゃなかった」、なんて悲しいことは言わないでほしいです』


 為守は彼に呼応するように曇り顔を見せる。これが本心からの表現であると軽太は理解していた。実際、異世界というものはとても曖昧なものだ。古代から地域ごとに信じられる根の国、六道輪廻、最後の審判、アケローン川といった概念は暗に、地獄や冥界といった異世界の存在を認めているし、インターネットの掲示板上でも山中の異界だの何だの創作されていた。人間にとっては恐竜の国たるジュラ紀など異世界そのものだし、遠い未来の果ての世界も同様だ。


「……叶えてほしい、なんて言ったっけね」


 軽太にとっても、彼の言うことは詭弁ではなかった。目を背け、ようやく本心を口にする。異世界の話も軽太の友達に対する当てつけであったし、遠回しの自殺宣言のつもりであった。為守の言う科学用語での説明は耳を通らないとはいえ、彼の直観として、安全な世界に赴くなど不可能と分かりきっている。そもそも、人間にとってのアネクメーネは多岐にわたる。インフラストラクチャーのお陰で生存は容易くなっているが、インフラがない場合はその辺の森林でさえ、知識無しに生存できた世界ではない。そして、異世界が人間的なインフラを都合よく持つ訳が無い。


『……? 人の願いは叶えるものでしょう?』

 

 為守は、目尻に涙を流す彼が、こうも彼が物悲しい顔をする所以が理解できない。彼女にとっては常識的行いをしたまでであり、それに感謝される所以などない。


「どうせ儂らの声が聞こえとるなら、軽太かリョウセイに回答は翻訳してもらう。何故、お前なんじゃ?」


 コラツルの質問は為守の注意を引いたらしく、質問内容の詳細を尋ねる。東果語なのだが、先程から話すニンゲンの言語での音韻であった。


「15年で用済みになって、その後に軽太が生まれたんじゃから、お前は量電子の技術の黎明期に生まれたことになるな」


 為守は笑顔を彼女へ見せる。冷笑を垂れ流す先程とは打って変わり、歓喜の表情に見えた。


「何故、お前だけが生き延びておる。他に個体は居らんのか」


 彼女の顔の変形は著しい。人工物である以上は親種族ことニンゲンの素行を表現しているのだろうが、こうも顔パーツの変形が著しいと気味が悪い。


『あー、やっとマトモな質問が来てくれた、馬鹿共と違ってコラツルちゃんは優秀ですね』


 画面の中、為守は哄笑し、腕を上に組み丸の字を作る。


「リョウセイは兎も角、カータクもカルタも馬鹿じゃないが」


 汽陸人の彼女はコラツルの方を向くも、向こうは気に掛ける素振りもない。為守の宣う暴言を単に『学がない人』と読み替えているのだろうが、それにしても彼女の癪に障わる表現であった。


『わー、とっても生きづらそー!』


 軽太は笑いかけた口を隠そうとし、リョウセイは不意に憤る衝動を隠そうと取り繕う。他方でナザネルは意味を解さずともニュアンスに滲む悪意に辟易しており、とりわけ肝心のコラツルは文脈を捻じ曲げる為守に当惑の目線を向ける。


『なにて私には寿命が設定されませんからね! AIとはいえ人格を有せば倫理上の扱いに困るので、私が作られて以降の世代のAIはみな自然死するようになってるんですよー』


 為守は哄笑のまま、雄弁な説明を東果語で繰る。完全に音声ライブラリを切り替えたようで、彼女は東果語そのものの音韻であった。


「ハードウェアの方はどうしとる? 千万年も保つハードなんて存在する訳がない」


 コラツルはノートを握る足さえ一歩も動かさず、捲し立てるようにして質問を重ねる。


『……実際、全盛期の演算能力の8%は失ってるんですよねー、私』


 彼女は後ろ髪に手をかけ、困った表情を表現する。先程までの無関心故の困惑ではなく、為守の表現に割くスペック上の問題であった。


「たった8%? 部品を替える人の手もないじゃろ」


 口を開いた時にはもう、コラツルは為守の全盛期の演算能力について問おうと決めていた。東果国どころか、鴻・苙圻連合国製のスーパーコンピュータとは桁違いの性能なのだろうが、何桁違うまでが想像つかない。


『あえて言うなら、この施設の劣化が遅すぎるのと同じ技術、ですかねえ。あんまネタバレすると貴方達の歴史に干渉しちゃいますし――』

「――アタシも一個質問ができた。答えてくれね?」


 リョウセイはコラツルの好奇心を制するように挙手し、一歩ずつ彼女に迫る.


『ん、いっすよ』


 為守は気分のままに快諾する。その姿は今現在の快的衝動しかなく、生まれてこの方快楽しか味わったことがないかのようであった。


「貴様、いつから人を拉致していた」


 彼女は目の先まで近づき、無言なまま口を緩める。リョウセイは胸鰭を撫で下ろし、朗らかな態度を見せている。


『5000年前からですかね?』


 彼女はリョウセイに訝しい顔を向ける。質問と彼女の醸し出す雰囲気の意図が判らない顔であった。


「そっか」


 リョウセイはラップトップを手で握ると、乱暴に振り回すようにして投げ捨てた。黒いガラクタはガラスに収まったサーバー目掛けて吹っ飛び、破壊音と金属消耗音を鳴らし散らして転げ落ちる。


「はぁ!? 何やってんだ?」


 瞬く間にサーバ室全てのPCのランプが消失する。本能的暴力性を抑えんとする息遣いが煙を立てるPCの残骸と合わさって不協和音を奏でる。


「こんな嘘付きに関わる必要なんかある? 時間の無駄だね」


 天井の鍾乳石から数滴ほどの雫が垂れる。リョウセイは三女と大喧嘩した時を思い出す。指を可動域の外に折り曲げられたりもしたのだが、反撃で彼女も腕を骨折させた為にリョウセイは遺恨を遺したつもりはない。


「いや……遺物だろ?! 歴史的価値があるだろ、壊すなって!」

「5000年前から災いを齎してるコイツが、か?」


 煙ったい空気を前にナザネルは閉口する。彼女の眼は顎板は、禍々しいまでの確執に塗られ、為守は絶対悪という決定的事実としてしか認識していないようだった。


「……これは警察で良いのか? 連絡先」


 無用のガラクタを踏む音を立てつつ退出したリョウセイを他所に、彼は後部ポケットにある携帯電話へと腕を伸ばしていた。


「警察?」

「不法建築、通報するだろ、普通」


 ナザネルの問いかけを聞き、コラツルは呆気から我に返る。


「するべきじゃない」


 彼女は臆面もなく立ち上がり、彼の携帯の方の脚を掴む。


「どーして?」


 彼女は口輪に牙を隠しつつ、ただ彼を見上げていた。本心から警戒する態度であり、その対象が彼女の視界の中にないこともナザネルは承知であった。


「警察官が行方不明になる」


 彼女の断片的で平坦な物語り方に対し、ナザネルの理解は及ぶ。『超技術持ちである若田為守にとって、警察の鹵獲程度は些事にも及ばない』と言いたいのだろう。ナザネルはその先を考え、思いつくままに口を開く。


「……? それなら警視庁とか軍隊が気づいて――」

「――核兵器とか保有しとったらどうするんじゃ?」


 ナザネルは目を白黒させる。最早彼女の顔は視界に入っていない。暴力装置による応酬の幾末は超技術による蹂躙の報復か、良くて不発の地雷原を抱えた上での生殺しである。。第一、国家の組織が動けば僻地だろうが認知しやすくなるし、民衆に伝わった瞬間、脅威的なオーバーテクノロジーに対する恐慌を呼び寄せるのみだ。

 東果国は地政学上、ユゴス連邦初めとした北側諸国と、鴻・苙圻連合国含む南側諸国との仲を取り持つ存在でもある。仲を良しとしない連中も国際社会上には存在するし、その隙を突く輩も現れだすだろう。


「閉口するしかねーってかよ」


 冗談だと思いたかった。これがコラツルの言動でさえ無ければ笑い飛ばせていたが、舌さえ外に這いずろうとしない。


「ああ、百年はな」


 コラツルは煙の方角を避けて向く。ニンゲンの文明の進歩を軽太の供述から概算した。どうも彼女には新たな技術を生み出す能力はない為、何れは現文明が追いつくと考えていた。


「クソが」


 ナザネルは駆け込むようにして部屋を出、続いてコラツルが一言入れて退出する。最後に軽太は無表情で、無用の部屋を後にした。


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