6:南失高原-④ 無名の地下遺跡
カータクはふと訝しむ。何故、今の今まで、この超古代遺跡は一度も踏破されなかったのか。SF小説めいた防衛システムでもあるのかと期待したが、トタンの破片を筆頭に荒れ放題のエントランスといえば 衛星写真の技術さえを持つ現代に於いて、発見だにされないなど考え難い事象である。
施設の電気系統は麻痺しているようで、辛うじて点いている光源も蛍の光程度でしかなく機能しない。軽太はリュックから広角の懐中電灯を取り出して照らす。点字ブロックは凹凸が禿げ機能せず、長年の静寂の中へと放棄されたエレベーターは汚れの中稼働する素振りさえ見せない。
彼の案内に従い三人は階段へと向かう。人間が昇降するためだけのそれは東果人、特に蛇人族の身にとって渡れたものではなかった為、軽太はスロープを探して誘導した。リョウセイは暗闇の中『スロープあり』という文字列をいち早く見つけ彼に伝えた。螺旋状のその人工的な坂は不気味なまでに綺麗で、剥がれた外壁のかけらや手すりの塗装とが多少散乱している程度であった。
景色変わらず、ただ階を跨ぐためだけに時計回りさせるだけのそれは精神的疲弊だけを与えさせてくる。百週ほど歩いた頃だろうか、先にてコラツルは体温の低下を感じ、リョウセイの背負うバッグからカイロを要請した。さらに百週もすれば疲弊を誤魔化すために会話を始める。
「動物が居らなんだ、ここ」
無機質な走行音が4つ鳴る中、特に雄弁であったのはコラツルであった。蛇人族にとって下り坂は身体的にも精神体にも苦痛を伴う。当然の事実を語る彼女はカータクにとって、降りたくない感情を誤魔化したいだけにしか思えない。
「果実も朽ちて蛆が湧いとるだけで、動物に食べられとらん」
カータクは無心で坂を降るのも束の間、彼女は当遺跡の周囲について言及しているのだと気がつく。
「……現実的なんすか、それ?」
「食われとらんのは恐らくシラクチカズラじゃった、食う動物は多いのに虫だけが食っとるなどありえん」
シラクチカズラ。ツネカナヘビ目の樹上動物から地を這う昆虫種まで、多くの動物種にとって可食なものだ。熟しすぎた腐った実にしか虫は集らないし、コラツルの記憶では食べかけの実は一つだに存在しなかった。その他にも彼女から、建物周辺の不自然さへの言及は続く。筋こそ正しいし専門家顔負けの記述であるとは思うが、カータクからすれば彼女の持論は年相応で滑稽にさえ感じた。
四百週目にて、鉄籠に囲まれた蛍光灯がようやく、頭蛸の以星程度には機能を始める。発熱を感じたコラツルはカイロを懐裏から外し、口を口輪の中で全開させながら歩いて進む。湿気が肌を覆い初め、手すりや床にも滑りを感じる。
「本当に大丈夫なんすかね、イもリって機械は」
カータクは先への不安から適当に口を開く。彼はこちらの感情を煽り立てるように、半端に意地管理の成された施設自体に悪意を感じている。彼からは身内の人工知能だとは聞いているが、機械の体なのか、生体でも受肉しているのか。抽象的概念相手に物理で立ちはだかるような無謀さを感じて仕方がない。
「……どうだろう」
軽太はちらつく電灯を見、苦虫を潰す勢いで回答する。吊り下げられた案内板を見、カータクは一瞬絶望を覚える。
「上……? 嘘だろ?」
手持ちの電灯に照らされる、無風と静寂の中揺れる案内板に映った記号はは紛れもなく『↑』であった。
「上? なんもないよ」
軽太が上を見上げた所、若干、鍾乳洞のような氷柱状のものが形成されている程度であり、彼の意図がよく理解できずに眉を顰める。
「上って記号があったんすけど――」
「前でしょ」
「はあ?」
リョウセイは冷静に、口と首を挙動不審に振り回す彼をよそに説明をする。上下を表す記号こそ東果人の知る記号であるのだが、前後左右は、例えば前ならば『↑』のような文字で表記されているし、そもそも人間のピクトグラムでは普通、上と前の区別をしない。
「……異文化って感じっすねぇ」
カータクは適当な身振りとともに、無知を晒しただけの会話を中断させる。リョウセイにはそんな彼を虚仮にする余裕などなかった。軽太は相変わらずのカータクに愛想笑いを返す。
やがて、更に降りていった先で行き止まりにぶつかり、軽太は流れるように壁際のドアノブを握る。開かないと訝しんだ彼は力強く、戸へと腕を凭れさせる。
暫くして彼は内部へと吸い寄せられるように転ける。噎せる温度の酸素と共に、幽々と、霧がかった巨大な空間が穴の先に顕れていた。天からは照明にそのコードとが垂れ下がり、地面は墨と見紛うような煤を壁へと垂らす。疎らに機能する照明だけが薄暗く、先の空間を照らしていた。
☆
四人はすぐ側に備え付けられていた、機能しない自動階段を降りていく。さも天の声かのように換気扇の音が垂れ流され、天も地も地平線も人工材が遮るその光景は軽太にとっては寒気さえ覚える。
軽太によれば、この廃墟のかつての名は『神岡宇魄研究施設』だという。かつては『スーパーカミオカンデ』と呼ばれる水槽にて、ニュートリノの観測の為に大量の水を用いていたという。直線的な洞穴が続き、天然コンクリートの鍾乳石と石筍を天地に生やすその有りようは三人にとって前巽江岬洞穴を連想させ、その自然地形が建物という人工物の中に収まったかのようだ。一方で隅は丸く苔のように固まった膠灰が侵し渡り、数ミリたりとも傾斜を持たないそれは山には決して存在しない地形であり、四人共に周囲を見回し、ひび割れた地面を踏み分けて進む。何度か軽太は戸のドアノブを握り、開いた場合はパーソナルコンピュータの類を探し回っていた。
「古代人説って知ってるっすかね」
小部屋の探索が5か6度目となった頃、カータクは湿気のついた音を立てつつ静寂を破る。
「古代人?」
「近生代に知的生命体が居た、って説っすよ」
カータクは掻い摘んだ説明をする。より性格には、現存する人類とは決定的に異なる知的生命体が生息していたという学説だ。突拍子もないトンデモ説であったが、生物進化論との照合や断片的証拠から、昨今の学会ではメジャーな説の一つとして扱われている。
「近生代の地層の化石のみ、放射性同位体での年代測定が原生代から第四紀までバラついとる」
カータクの言わんとしたことを、床を這う彼女が先取りする。近生代。《《彼女達の知る》》新生代と中生代の間の地層時代の総称である。
「それ、人間が掘り起こしたからじゃ――」
「それしかないんすよ」
彼はわざとらしく足を踏み込んで音を垂らす。考古学会では自然発生説も唱えられていたが、現在ではオカルトの隅へと追いやられた概念となっている。
「まさか。一種族社会が世界に広まってた、とまで思いはしなかったっすけど」
カータクは天然コンクリート質の鍾乳石を生やす天井を眺めつつ、かつてみた古生物図鑑を思い返す。とりわけ、henwukterai科 bhor'ahrogo上目の動物は近生代末期に生息し、近-新境界間際には爆発的に増大していた。カータクもコラツルも他種族社会を前提とした学説のとおり、その動物群は知的生命体ではないと判断していたが、今思えば軽太の訴える『ニンゲンばっかの社会』とは何も矛盾していない。
「そういやイモリって何処に居るんすか」
彼は両唇音だろう音素を舌唇音で代替し、不安から逃れるようにふと思ったことを聞き出す。
「地下深く」
軽太は無機質に答えを返す。若田為守の住居ことメインのサーバーは地下1000メートルに位置しており、既に深く潜った現在地からも程深い場所だ。
「……まさか、何日も潜れと?」
「いや、適当なパソコンがあれば呼び出せると思う」
彼は戸を開ける。ここにもコンピュータの類はなかった。軽太は下の階に降りると宣言し、再び機能しない自動階段の方へと戻る。より下の階にはコンピューターの並んだ部屋が存在する。尤も、未だに機能する端末を探せるとは思っていないし、虱潰しにも時間は掛かる。見慣れた黒と塗装の剥げた黄色の階段へと足を踏み、擦り切れた色をした平たい手すりへと手を掛ける。最初にリョウセイが蛙跳びで跳ね降り、最後にコラツルがよちよち歩きで降り終える。軽太は割れ果てた自動ドアだったものを跨ぐ。リョウセイはガラス片を避けるように跳ね、防護手段を持たないコラツルはカータクに抱えられて通った。再び軽太は手当たり次第に部屋とその中を探し回る。
「噎せそう」
暫くして、リョウセイは唐突に声を荒げる。
「どうした」
ガラスの割れ目を不思議そうに眺めていたコラツルは、驚愕から視線を彼女の方へ向ける。
「人間の施設すぎて、噎せそう」
コンクリートの鍾乳石から水が滴り落ちる。
「ニンゲンの施設?」
「……何万年前の施設だと思ってるんだ?」
発言の意図を問うたコラツルは納得し、再び彼女の関心が赴くままに首を向ける。人間の滅亡から経過した時間はそれこそ計り知れないのだが、地殻変動を鑑みれば床も壁も長持ちしすぎているし、備品は陳列が乱れた程度で朽ちた様子もない。
「一千万年前……にしては綺麗すぎるな」
探索から戻ってきた軽太は言葉を聞き、不意に上を見上げる。一千万年。同じ地球であれば年の絶対長は大して変わらないし、年が地球の公転周期を指していない可能性も限りなく低い。現に、東果国の暦では月とは一年を概ね13等分したものであるが、一日の基本長も変わった感じはしないし、カレンダーを数えても一年が365か366日であった。
「ここ、維持整備は整ってるから」
軽太は、かつて為守にされた話を思い返し鸚鵡返しのようにする。素材的な反エントロピー性やナノマシンを筆頭に複数の自己修復性を搭載させており、自己修復性の半減期は億年単位に及ぶとも。彼の話を聞き、カータクはこの施設に施された悪意を確信した。
その後も一行は数度に渡って階を降り、ようやく、『サーバー室』と辛うじて読める部屋の前に着く。腹の鳴る振動を感じた軽太は家の近所にて購入した弁当を頬張り、その他も鴨肉なり乾燥鰯なりを各自頬張って夕食としていた。持参したシートに座って見える光景はナノLEDや有機ELといった虚飾や自然を装った人工風もなく、ただただ綺麗なままに荒廃した地下施設がスカイボックスの如く天地に地平線を覆うのみだ。
「チョコレートってないよね」
興味もない風景に飽き飽きした軽太は、そういえばと、思ったことを呟く。東果国は甘味に困らないのだが、未来人の舌としては乳製品の甘味には飢えて仕方がなくあった。
「チョコレート?」
「カカオ豆って知らない? それにウシの乳を混ぜたもの」
「禍々しっ」
口を拭く彼を他所に、カータクは淡々と行われる異常な説明に瞬く間に反応する。気にも留めていないのはレーションに潤滑用ムチン液を垂らし、食物を滑り込ませる為に上を見上げるリョウセイくらいであった。
「……食べられない?」
「間違いなく、躁病になって死ぬっすね」
彼は無作為に訝しい表情を見せる。軽太はカフェインの薬効を思い出すと同時に、実際チョコレートによってクマが死亡した例を思い出す。実際、東果国では茶葉を煎じて飲む文化圏であり、彼は彼らがカフェインの解毒に疎いと知らずにいた。
「分解されやすいテオブロミンになるまでの速度が遅いからな。カフェインじゃろ」
シーツの隅にて食事を済ませた彼女は口元をハンカチで拭きつつ、徒然と補足を加える。ナルコレプシーに抗する不眠作用の錠剤としてカフェイン剤はあるにはあるが、有効数字はマイクロ単位だし、オーバードーズなど生理的に受け付けたものではないとも。説明が加えられる一方で、カータクは訝しい態度を崩さない。物の怪か何かを見る目で、弁当へと運ぶ箸を半ばで止めていた。
「……ああ、そうか」
軽太はカータクの不理解の要因を理解し、記憶の中の教科書を参考にしつつ語る。かつてのホモ・サピエンスが各地に蔓延できた理由の一つとしては、肝臓の持つ強力な解毒能力が挙げられる。明確な殺意を持った毒性物を除けば大半は口にできるし、調理によって得られた産物であれば対象はさらに広い。軽太はふと、保健体育と理科の授業を思い出す。彼のかつて居た世界では、解毒性も何もが絶対的な概念であった。
「何ウロウロしてんだか」
リョウセイは保存食の味がするソレの残りをようやく体内へと処分し、マリンスノーの如く鰓へと迫る埃の感触を努めて無視する。彼女にとっては熱り立って歩く振動が肉を通して胸鰭に響くし、演説者か何かのように動き回る彼の気が知れない。不快なノンバーバル表現ではないのだが、どうも覚束ない。
「先行ってる。適当に片付けといて」
軽太はおにぎりの包装だったものをゴミ用の袋の中に入れ、リュックの隅へと器用に入れて背負い直す。ドアハンドルを手に取り引っ張る。本来はセキュリティカードを必要とする区画であろうが、難なく戸が開かれた。カータクは先程から続く驚愕を崩せない。まじまじと、戸の先の光景を見つめていた。
独りで、戸が静音を立てて閉まった。サーバーケースが等間隔に、図書室の本棚かのように陳列する。埃一つなく、汚れ一つなく、ただ無用のランプ点灯を洒落させたそれを横切り、白いまま放置されたデスクへと手をつける。軽太は折りたたみ式のPCを開き、電源を入れる。悠久と鎮座していた筈のそれは味気なくファンの音を立て、味気なくバイオスロゴを表示させる。忽ちとへ切り替わり、ユーザー名はKarutaKakoとし、パスワードを記憶の通りに打ち込み、無機質なデスクトップを表示させる。青黒い薄光を浴びつつ、無言で、無表情に、インターカムを睨みつけていた。
暫くして若田為守はスタートアップのアプリケーションでは無いと考え、ツールバーの検索バーに『Imori』とタイプする。数秒も経たないうちに犬のアイコンが表れたので、それをクリック。プロンプトの画面が表示され、アルファベットの羅列を流し散らした後、GUIを表示する窓枠が画面に追加される。設定もされていないだろう、だだっ黒いVR背景の中には、糸目の女性。犬耳を生やした、虹色の虹彩を持つ黒髪。ダメージ加工された黒鉄色のウールニットと、黄金がかった青色のダメージジーンズとは軽太に若干の寂寥感と催涙とを齎した。
『……軽太』
画面の中の彼女。若田為守は妙な情緒を呟く。方角こそ軽太を見ていたが、断じて軽太の方を向いては居なかった。軽太は後方を向く。何か怨嗟立ったものが彼に流れ弾を浴びせている気がしてならなかった。
「――離れろ」
そこにあったのはリョウセイの顔。平時の通りの表情でこそあった。他方、今にも両手両足は飛びかかろうと開いた状態を保ち、胸鰭を前へと向けるその姿は、為守にとって般若の様相以外の何者でもなかった。
彼女は置いてきた二人など気にも留めず、ただただ自分の鰾を震わせる。軽太と目と鼻の先に居る彼女を睨んで睨んで仕方がない。呪詛の詰まった醜い嗄れ声が鰓と口を貫く。




