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東果を覆う陸海のもの  作者: 浅葱柿
6:南失高原
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6:南失高原-③ 神代の遺跡の門


 軽太は音を立てて廊下を渡り、難なくリビングへと荷物を運搬する。雨上がりの正酉(しょうゆう)の空といえば随分明るい。葺かれた屋根の遮る地平線の果てに僅か、一等星程度の星々が古典的漫画のカケアミのように描画される程度だ。


「……ちょっと荷物用意してるだけ」


 テレビを眺めるコラツルが視界に入り、軽太は言い訳めいた説明を吐き出す。3ヶ月暮らしたスズスハ邸は彼にとって我が家でしかなく、現に部屋の住民の遠慮など忘れていた。


「南失高原か」


 コラツルの鋭い言葉が外耳へと挟まる。軽太は言いたげな顔を取るも、表情筋による表情システムを持たない彼女には言外の意味など通じない。


「概ね60キロ泛じゃな」

「……60キロ?!」


 軽太はかつてない程に動揺した。彼にとってコラツルとは杓子定規か鸚鵡返しの一歩先程度の発言しかしない程度の存在のだが、急に内心を示された彼はわけもわからず、最重要の言葉をそのまま口に返した。


「っていっても――」


 軽太は絶望した矢先、東果とは測量系が異なることを思い出す。暗算を試みた所、約40キロメートル。そもそも、60の半分が30なのだから、『泛÷メートル』たる0.7を掛けた所でどうしようもないのだと、実際に暗算を終えてから後悔が重なる。


「ならパパの車借りていい?」

「運転免許と運転席の型の違いどうするんじゃ」


 彼女の物言いには呆れに近い憤りを隠せず、気がつけば語気語調と拳とを硬くしていた。


「それはパパに運転してもらって――」

「パパ明日も仕事じゃぞ」


 コラツルは舌を出して冷蔵庫へと向かう。気がつけば彼は壁を殴っていた。呆然と音源を眺める彼女の自明な言い換えが意識に入らない。軽太は癇癪気味に彼女を言い負かそうとする。


「じゃあバス! ――」

「辺境には通っとらん」


 一瞬、彼とは似つかない黄色い鱗が思い浮かぶ。勢いまかせに怒鳴ろうとする喉を、唇にブレーキを掛けて落ち着かせる。


「――かー……」


 拳を開いて脳裏の画像を表現しようとした途端、額から順々に青ざめていく。彼女の言う、《辺境》のニュアンスを理解してしまった。運転経験などなく、東果国にて目覚めた最初の地であったが故に軽太には危険性を想像出来ずにいたのだが、今になって記憶が異化されていく。今に思えば、彼がこうして生還出来たこと自体が有り難い事象なのだ。緑化の進んだ仮設住宅を目にした時点で気がつくべきであった。軽太は自分の感覚が信頼出来ない。頭が白く油のように激しく浮きつきだす。


「お前。出会った日のような事が起こったらどうするんじゃ?」


 無自覚に後退る彼を他所に、コラツルの無機質な質問がおぼつかない脳の表面を擽る。


「何かあったっけ」


 音源に振り向いた所、珍しく彼女と顔が会う。声を上げただけで、意味内容を考える余裕など最早なかった。


「野生動物に襲われとったじゃろ」


 一瞬、踵に当たった荷物の方へと余所見する。彼は、今彼女が何を話しているかの検討がつき出す。


「言うてクマみたいなもんでしょ? 棒立ちで話しかけてみたら向こうから逃げてくって――」


 コラツルは彼の言う『クマ』が何か問おうとしたが、知る由もない絶滅動物への興味は後回しとした。少なくとも、鬼龍(きりゅう)目の動物にそのような習性は確認されていない。


「カータクに運転してもらうか」


 彼女は二足歩行にて、櫛状のたこ焼きのようなものを口に容れ、咀嚼しながら彼を横切る。


「ほらね!?」

「……()方日午後なら空いとる」


 コラツルは自室へ戻ろうとしたが、彼の咆哮に目が行き脚を留めていた。


「確か今日が(けん)方日だよね? だから――」

「明後日じゃな」


 彼女は即答し、すぐに縁側に向かう。歩調としても這い走っているに近い。


「あのさ――」

「何じゃ」

「君は行くの?」


 目視せず彼女を追おうとしたが、足音を掻き鳴らすこの作務衣は気が立っているようにしか思えない。結局自分の気を引くためだけの変な質問となった。


「儂も行く。儂を傷つけた奴の正体だけでも見たいからな」

 

 軽太は目を背ける。他人事かのように話す彼女が恐ろしくてならないが、彼こそ彼女に付き添う義務がある気がして離れられない。


「あのさ、……」


 何故コラツルが『傷ついた』と話すのか、まるで理解が追いつかない。話してはならない予感から鸚鵡返ししかけた口を噤んだ。硬い足音が鋭く響き、彼自身の柔いそれは全く意識に入ってこない。彼女は聞いていないかのように前へと進んでいく。軽太は回折するように廊下を曲がる。陰に入ったと気がついた時には最早彼女の姿は無かった。



 酉前11時。空の底を突き破ったような大雨が、アスファルト上の水溜りを貫く車のフロントガラスを伝い雪崩落ちてくる。前方はワイパーで払われてようやく見える程度であり、道路の対岸の山にかかる霧も相まって、皚々かつ鬱蒼とした景色が続く。車の主カータクは前を凝視し、ハンドルとペダルを慎重な塩梅で踏んでいく。見覚えあるルートであり、かつその時は車体の感覚さえ身に沁みている為、本当ならばアクセル全開にかっ飛ばしたいのだが、悪天の今に無駄なリスクを負いたくはない。


「うわ、雷」


 助手席のコラツルにとって雷の鈍音は最も苦手とする音の一つであり、耳当てをし、雨音や走行音、車体揺れに身を任せて眠ってしまおうと努めていた。


「だから辞めとけって言ったんすよ……」


 彼はナザネルのそれに似た顰め面を見せる。フロントミラーの下部には同行すると宣ったリョウセイが居るのだが、彼女が不快に見えない程度には茶々を入れる余地もなかった。


「夕立って言ってたしまだ大丈夫かなって」


 軽太は夕立なる言葉については『深夜に降るスコール』という認識をしていた。思い返せば、天気予報では正酉前の大雨と言っていたような気もする。


「アタシの時代も、ほぼ夜に降る雨だったな」


 瀬奈の記憶をたどる分には確かに、夕立とは『夏夜に轟く豪雨』の認識であった。彼女の両親の生まれた時代では書いた字の如く『夕方に降る大雨』であったそうだが。


「あーニンゲンって風情がないんすねー」


 辛うじて出た、生気のない声が雷によって掠れる。


「明日は我が身だぞ」


 リョウセイといえば、水を得た冥橋鯱(メイキョウコ)のごとく温暖化の言葉を添えだす。東果国が栄える今、火力発電の為のバイオマスなど普及していないし、人間の社会のそれほど深刻でないにしろ、二酸化炭素による温暖化の議論は日々行われている。


「まぁ……つく頃には晴れるっすよ! 多分」


 カータクは欠伸をしかけた口を横に広げ、慎重を取り繕った徐行を心がけることとした。カータクにとって雨は好きな天気だが、こうも雨で元気になる管椎目が居ると萎えて仕方がない。


「……為守、おれ何度か見た気がする」


 リョウセイはトンネルの中の走行とは思えない、気味の悪いな安全運転に気が付き、徐ろに彼女の両手を広げていた。


「? 見た?」


 軽太は落雷を相手に怯える。我ながら演技臭い、と心によぎった所で雷鳴も耳をよぎる。


「忘れてくれ」


 リョウセイは自信のない様相で鰓に指を入れ、湿気ではない何かを弄りだそうとする。暫くはトンネル内のくぐもった環境音とファンの音とが場を埋める。


「南失高原、曰く付きなんすよ」


 遠雷が轟く。止んだ気味の霧雨がトンネルを出る寸前の車体を濡らす。


「ザックリ言やぁ、古くから『神隠し』で恐れられていた地っすね」


 南失高原。古くは『喪し林(なくしばやし)』と呼ばれる地であり、脚を踏み入れた者は高確率で遭難する。生還した男の話で化け物を目にしたとの伝承は龍屾地方中に伝わっているし、椪中地方の南端・夕刀(ゆうとう)府にさえ亜種が認められる。軽太は常識の範疇だと横槍を刺したくなったが、山中民族たる蛇人族の言い伝えであることを思い出し言葉を飲んだ。


「テーマパークを建てようとした政治家も居たってな」


 『蒼尾人の』、と語末に当て擦りを添える。インフラ整備には性格上蛇人が携わることも多く、彼らが軒並み精神の調子を崩したという。リョウセイにとってはそこが理不尽に思えてならない。


「そんだけなら良かったっすけどね」


 カータクは舌をぶっきらぼうに伸縮させ、携帯のあるポケットの方を見る。今日は芥子菜色の毛糸服を羽織り、白い湯文字を巻き、現状は用途を持たない竹笠を背に抱えている。白く霧が差し迫る。乱れた雨のワイパーで拭われる音がする。


「そんだけってなんだよ?」


 リョウセイは威圧的な態度で、彼の背凭れへ手をかけていた。朧げながら、為守の手掛かりの予感が彼女の中で蘇っていたのである。


「――こちとら運転に集中してんだ、黙れ。事故死したいか?」


 カータクはハンドルを片手に、前を目視したまま、暴力的なまでに彼女の手を跳ね除ける。軽太は彼の、人格を疑う切羽詰まった行いを凝視したっきりである。夕日が雲の隙間から漏れ窓ガラスにかかる中、リョウセイは打ち付けられた手をひりひり見やっていた。


☆ 


 南失高原は酉後の時間帯全てに交通制限が設けられる。カータクは今回も速やかに高原へと踏破し、瑞々しい草に覆われた駐車地点にて四人は下車。道なりに、雫づく朽ちたバリケードを速やかに通り抜ける。酉後0時半。緋色い後光が鋭く、蛻の殻となった仮設住宅へと刺している。


「今回は儀式しないんすね」


 カータクはバッグをぶらぶら揺らしながら面倒混じりに口にする。解けかけた笠の紐を結い直し、角度を傾けて調整する。


「相手は軽太の知る存在じゃろ? 人格を有するんなら、人と出会うのと変わらん」


 東果人の二人には納得の行く理由であり、少し遅れてから軽太は咀嚼したフリをした。軽太が反射的に目線を合わせようとした所、コラツルは既に山中の移動に適した姿勢を取っていた。


「……車で行きゃ良いだろ」


 土の坂と共に鬱蒼と立ちはだかる雑木林を視認したリョウセイは車の持ち主への遠回しな抗議を訴える。四足で跳ね駆けるにしては人間やカータクの脚は遅いし、ガニ股歩きをするにしろ、荷物を持つ彼女の体力との相談になる。


「無理っすね。木にぶつかったら終わりっすよ?」


 カータクの手のサインに応じ、軽太は携帯のアプリを開く。南失平原は国土交通省の方針から詳細な情報が封鎖されており、国制地図アプリ上も詳細に表示されない。そもそも健常な精神をする人は訪れない。

 と言えど、現在位置と目的地の緯度経度を表示する程度のことならば容易いし、等高線図や樹林の地図記号から迂回すべき地形も想像がつく。カータクは道案内を彼に任せることとしていた。軽太というか、人間という種族が歩行中でも携帯端末の操作が容易かったことは少しばかりか幸運だろう。


 軽太の呼びかけを聞き、彼らも三者三様に道を進んでいく。事前に準備した順路を軽太は地図アプリ上でなぞるように、少々、周囲の音を拾いながら搔き分けるように進んでいく。三人、特にカータクは軽太の選んだルートに一抹の不安を覚えていた。現に渡れない障害物や地形は存在していないようであり、カータクは気楽に獣道へと足を運んでいた。


「インターネットって霊障とか起こすんすかね?」


 といえど、舌についたキノコやらシダやら枯れ葉やらへと興味が向くコラツル以外にとって、峠の周辺が延々続くような波打ったようなルートは次第に精神的疲弊を覚えさせた。成人二人がひりついたような足裏の痛みを覚える中、最初に口を割ったのはカータクであった。


「藪から棒に何じゃ」

「昔っから不謹慎なデマ流れてるじゃねえっすか、ここ」


 代わり映えのない土塊とブナの樹皮樹葉の香りに飽き飽きしたカータクは歩調を合わせるように具体例を捲し立てていた。インターネットが民間に普及して5年もした頃だろうか、掲示板サイトにおいては不特定多数のIPから南失平原行きを促す書き込みが成され、海外からのサイバー攻撃として国交に影響を与える寸での所であった。それ以降も偽装サイトやマルウェアの脅迫文等でこの名が出され、インターネットでの犯罪を表す『南失行為』というスラングさえ生んだ。

 最も記憶に新しい事件といえば、『みんなも南失にて異世界に辿り着こう!』という不愉快を表現する愉快な広告文が最大手のSNSインスタンス上に出現した件だ。サーバー管理者の話を総合すれば、人口の多いサーバーに手当たり次第に攻撃を仕掛けた痕跡があったということと、何より当サーバーの再現性のあるセキュリティホールに焦点が行ってしまい、まんまと運営は事あるごとに管理体制にケチを付けられる羽目となってしまっている。


「身元が判らん、とは聞いたな」


 コラツルは相変わらず首を四方に振りながら適当に返事をする。二次情報源こそ複数の人が尾鰭付けて拡散していたのだが、一次情報に関しては坵暁国等他国のIPアドレスを用いて書き込まれているという。サイト・サービス管理者は手動で当該IPをブラックリストに入れている。他方で管理の放棄されたサイトには手つかずの怪文書がありありと並んでおり、実際にコラツルは中学時代の技術の授業で実例を見ている。


 一方、軽太の一声か決め手となって着いてきただけであり、実際役目を持っていないリョウセイは蚊帳の外であった。


「儂はインターネットにも霊障はあると思っとる」

「? 藪から棒になんだよ」

「質問に答えてなんだな、カータクに言った」


 ふとコラツルの乾いた声が手持ち無沙汰な意識に入ったので、普段通りの奇っ怪な言動に突っかかるなりして時間と距離を潰していた。それも彼女の体感は長くは続かず、息を堪え始める。


「どんくらい掛かりそうか」

「あと少し」


 軽太は慣れた息遣いと共に坂上の小山を指差す。近づくにつれてリョウセイは先の光景の非現実性に気が付き、両手両脚に痺れを覚えだす。辛うじて思考の慣性だけで獣道を上っている彼女を他所に、カータクは息を荒げ出す彼女を小馬鹿にしていたが、反応がないことから彼なりの平時を装っていた。


 坂を上りきり、後の二人も巧妙にカモフラージュされた電子襖に気がつく。リョウセイにとっては『役所前の自動ドア』と形容出来る代物であり、東果国民にとっても見慣れた存在である。


「……気持ち悪い」


 尤も、こんな山中に設置される所以はないし、何より、自然を剋す意図を持った土色紛いのソレは東果国住民からして異端な存在であった。取り分けコラツルは拒絶反応を覚え、戸の前に立った今も彼女の両手足は右折をしようと、意識的に正面を向かないようにしている。


 カータクは芝居がかった山肌を擦っていた所、ガラスを引っ掻くような感触を覚え手を離す。実際、光沢の具合からすればガラスであるとは思われるのだが、その先は藻類かカビか何かで埋め尽くされているようで見ることが出来ない。


「これ、二階建てっすかね。これって何かの研究所じゃ――」

「――ある訳が無い! こんなのが!」


 彼女は今、この施設には電線が通っていないことに気が付いていないし、電子襖のセンサーの欠如にも意識が向かない。彼女の得た視覚情報で総合された生意的な不安だけが彼女の身体を優に支配していたのだが、他三人も彼女にかまける余裕など無い。カータクも宥めるより無言を選んでいた。


「――開いた」


 カータクは静的な開閉音を聞き、ついぞ顕れた異質な光景を前に一歩、後退りする。軽太が声をかけた所、彼女の混沌とした意識状態は陰に潜み、ただ、山の中に穴が空いたような、正面を向いた先の暗澹を凝視していた。


「暗いっすね」

「電灯のスイッチはあるか」


 一方のリョウセイは開かれた戸の奥を見た所、目が離せない。現に、舌も出せる分際で視界不良を訴える二人の気が知れないでいた。彼女の視界としては真っ暗闇ではない。再び、リョウセイとしての記憶が克明に思い返される。どうしてか、青黒く褪せた蛍光灯の光が心惹かれて仕方がない。


「着いてきて」


 気づけば他二人は闇の中へと溶け込み、軽太はリョウセイを手招きしていた。リョウセイは一切の感覚を疑わずその人間の招待を受諾し、前へと歩いて進んでいく。


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