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東果を覆う陸海のもの  作者: 浅葱柿
5:東果列島
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5:東果列島-⑨ `シーバーン`

☆☆


 六月下旬、停滞前線の覆う東果列島は長雨に覆われ、梅雨冷えた天候が汽陸人共の気分を揚げている。一方で雨合羽の中といえば、モンスーンの中で雨よけした程度の酷暑である。既にリョウセイは汗を掻いては靴内に水溜まりを作っており、適当にガスマスクを開いて水でも飲んでしまいたい。リョウセイは海岸を恨めしそうに遠くから見つめては、堤防の奥をひっそりと歩いていた。


『なんだいその服』


 何かが海浜でこだまする。一瞬、勝手にヒアリングが成された言語を聞きリョウセイは少し戸惑う。


『アタシは化学物質に弱いんだよ』


 汽陸語。東果国に於ける方言は『東汽(とうき)語』とも称される。爬虫類種族にとって発音の困難な調声を複数含む、東果に棲む汽陸族の少数言語だ。東果語を話す日々であったリョウセイにとっては実に2年ぶりの母語であった。


『難儀なこった』


 返答を聞いた後、リョウセイはすぐ体幹を振って前に進みだした。リョウセイは彼の全身を見たくない。リョウセイの亡き父、ギヨーに似た男など一人ぐらいしか思いつかないし、思いついたとして過去の人である。掠った雨の雫は彼女を冷却こそするが、その大半は情けなく湿度だけを残して零れ落ちていく。走って行きたいところであるが、水分補給もままならない現状で変に体力を消耗したくない。


『ところであんさん』


 同じ声調の声をゴム越しに聞き、リョウセイは反射的に悪態気味の言葉を発する。


『R'tyoiだろ』


 背が掴まれ、衝動的に手を払う。彼の顔が映った。胸鰭が前後上下に右往左往する。


『誰だよそれ』


 なんという表情も取らず、咄嗟に知らない体を装う。どうせ顔はゴムの塊に隠されているのだし、胸鰭も陰に隠れるのだから動転など見抜かれる筈がない。間合いとしても出任せの嘘だとは考えないだろう。


『あんさんのことだよ』


 彼女は、目の前の彼と同様にぽっかりと口を開けていた。リョウセイはその理由を酸素不足であると信じたかった。


『……誰だよ、お前』


 口を最大限に開き、彼をただただ凝視して見つめる。喩え目の前の彼が弟であるとしても、断じて舐められてはいけない。


『わっちだよ、わっち!』


 彼は元気よく右腕を上げる。よく見れば、手にかかった雫は垂れる筈もない垂れ方をしている。第四指の先は欠けており、再生途中であるようだった。


『オレオレ詐欺か』


 彼の腕を掴んで下げ、強引に前へと進もうとする。


『Obeqweだよ、Obeqwe』


 彼は彼女の肩を掴む。勢いがよく、弾質の良いシートのような音を発した。


(いみな)を言うとか、常識ねえんじゃねえの?』


 リョウセイは罰当たりを罵る反面、特に視点を変えず、先ほど見ていた方角をずっと見続けている。


『人のこと信じられんせんってのにな、姉さん』


 レンズの向こうで弟が蠢く。


『あっち行けよ、《《センリュウ》》』


 センリュウの視界には、自身を凝視する彼女の目元のみが見えていた。


『覚えてるじゃないか』


 彼は実長女を包むものを掴んでいた手を離した。


『何しに来たんだよ……』


 胸鰭を陰から出し、苛立たせて言う。彼のせいかとても蒸し暑くて仕方がない。


『あんさんが言うな』


 見据えて言う。胸鰭の様子からして訝しがっており、リョウセイはその態度も何もが限界であった。

 

『帰ってくれ』


 睨む間に真後ろを向くと、かなりの速度で彼女は軋む音を響かせ跳ね去っていく。


『あ、待て!』


 センリュウは長女を跳ねて追おうとしたが、すぐに息切れを起こし二足で歩く羽目となる。前に映る、異様な風貌を見せ、息も切らさず共に走り続けるその様は最早、センリュウにとって化け物としか感じられずにいた。


☆☆


 バスの車体といえば、朝日が挿しては前方座席に吸収されてを繰り返す。『前世は〇〇だった』などとの言い回しや、『来世は〇〇である』といった古典的なサブカルチャーは、インドから伝来した輪廻という概念に基づく。人間は死してお星さまになる、とも言われるが、青天井などそれこそ天上界の存在でしかない時代に生まれた軽太にとっては絵空事も甚だしい概念であった。

 

 入間荘に入った際、代理人からリョウセイの不在を知らされた。夕食を頂き、泊まると決めた際誘拐がフラッシュバックし後悔したが、スズスハ家の住人を思い出して意地で睡眠を取った。面会のアポを取った後、岶岼大学病院へと行き先を変えることとなった。



 岶岼市に普通は棲まない種族であるが故、彼女の待遇は特殊である。軽度の精神病患者は間取りの都合から集団生活を行うのだが、特殊な寝床を用意する必要のある彼女は個室を与えられている。


 『リョウセイ』と書かれた部屋を見つけた軽太がその戸を開いた所、リョウセイは病院服を着、岩柄の彫られた白のシーツの上でカエル座りをしていた。


「なんで来たんだよ」


 白に囲まれた部屋の中、冷たく張り付いた視線が軽太に向けられる。ドアを開けた直後のことであった。


「お前なんかと話したかないよ、ぼくも」


 軽太は陰険な態度を隠せず、備え付けにウォーターサーバーへと向かう。


「……冷かしか?」


 足音がこだまする。


「そうかもね」


 軽太は紙コップを手に取り、台座の下に置き水をいれる。


「なんで、何度もアタシの前に現れては現れて来んだよ」


 リョウセイは、上辺で怒りを露わにする。しばらくは静音であり、沈黙が破られたのは彼が水をコップに入れきるその時であった。


「気持ち悪いんだよ! 気持ち悪い!」


 彼女は鰓を胸鰭を、四肢と脊髄以外の可動部のほぼ全てを蠢かせる。


「そんな乗り方してる方がキモいね」


 基本的に水中にて睡眠を取る彼女にとってベッドなど、単なる腰掛け兼足場程度の認識だ。軽太はそのことを知らない。


「今すぐにでも嬲ってやりたい」


 しばらく黙っていた後、彼女はその沈黙が嘘のように喚きだす。軽太は紙コップに口を付けている所であった。


「そうですか」


 口づけ程度の水を喉に流し、呆れた愛想笑いを浮かべる。


「三親等共々気持ち悪いよ」


 リョウセイは身動き一つ取らない。現実世界のどこでもない場所に怯え、それに目掛けて罵倒しているようだった。


「そうだね、お父さんもお母さんも人間だよ。血も繋がってるからね、パパママは」


 軽太は紙コップを音と若干の飛沫を立てつつ置くと、最も卑近かつ不快な態度を真似をして満面の不快感を表す。

 

「だろうな」


 深呼吸をし、冷静にリョウセイの顔を見据える。半開の瞬膜を向け、今にも彼女は逃げ出したそうにしている。


「……でさ。やけに人間に詳しいけどさ。どこかで、他の人間と出会った?」


 軽太は思うがままに言おうとしたが、常識がそれ以上を躊躇わせる。暫しの間沈黙が走る。


「滅んだ人間とどうやって出会うってんだ?」


 リョウセイは彼に冷たい視線を浴びせる。軽太にでも分かる軽蔑っぷりであった。


「ぼくが居るように、やっぱり他にも誰か生きてるのかなって」


 軽太はもう一度、紙コップをウォーターサーバーの台に置く。呆れているのだろうか、彼女は窓の方を向く。


「生きてる訳ねえだろ……号外にも程があるわそんなインシデント」


 軽太は彼女の態度を見、今ようやく、彼女の正体を確信した。軽太は一度呼吸を整え、言葉を手探るようにして舌を動かす。


「君ってさ、……人間だったんじゃないの?」


 荒唐無稽も甚だしい空論であった。確信していたと思ったのに、何かしらが100%正確な言語化を踏みとどまらせる。


「なんだ、アタシがゴム人間とでも言いたいのか」


 暫しの間、リョウセイは胸鰭をアイドル状態にしていた。続いての態度からして拒絶の意志であると軽太は感じた。


「相手にされてない?」


 どうと言えない感情を顔にて表明する。軽太にとって、表情筋だに一つない彼らの感情を読み解くのは非常に苦労するものだ。


「してないからな」


 リョウセイは、彼に目を睨もうとして出来ていない。彼女の本能は窓の方を向けと、彼女の精神に突きつけている。


「本気で言ってるけどね」


 軽太は彼を睨むが、彼女の首は微動だにしない。リョウセイは心無い言葉を浴びせてきたが、軽太は水を汲み出すことを思い出し、その行為に集中して受け流していた。コップに水が溜まり、軽太は手に取る。


「意味がわからない。帰ってくれ」


 振り返り、再び彼女の目元を見つめる。今度こそ正確に、正確過ぎるまでもある答えが口元にて言語化された。軽太は今度こそ慎重に口を開け、勢いのままに質問を発する。




 ――君が、ぼくのおばあちゃんなんでしょ?


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