5:東果列島-⑦ |イカセイ+
☆☆
『>カータクからは居場所を特定したと聞いた』
携帯のチャットアプリを開く。使用しているアプリは本来は当アプリが指定するサーバーのみに対応しているのだが、試験的な機能としてXMPPと呼ばれる汎用性の高いプロトコルに代替することが出来、実験がてらツェラヒラは教授に承諾を得てコラツルを研究室のチャットルームに入会させていた。
『消えたとか大袈裟すぎなんだよな』
『観光だろどうせ』
コラツルは返信を確認し、すぐさま文字をタイプする。
『>尹羊歯だとか』
『知らねえよ』
『>鮎畑県の離島らしい』
カータクはリョウセイらしき人物の居場所が鮎畑県尹羊歯であると突き止め、電話にてツェラヒラとコラツルに自慢げな態度を見せていた。彼が伝えた経緯度を東果国地図対応アプリにて検索した所、概ねC字をした県にて本島を隔てる海に囲まれた島となっていた。汽陸族の多く棲む地域の地名は彼らの付けた地名を東果文字で転写したものが大半であり、尹羊歯の場合は汽陸語の『N'thida』だ。
『アイツマジできっしょいなぁ』
『とうとう気が狂ったか?』
待たずしてツェラヒラからは返信が返る。コラツルの印象としては彼女は妙にレスポンスが速い。
『>あいつよく人の身元を特定している』
カータクは他者の個人情報を特定しては蒐集したがる癖がある。彼が言うには日課であるというが、コラツルは内心腕を信用していない。菓子でも取ろうとリビングに赴いており、しばらくコラツルは携帯から目を離していた。
『ババアの方だよ』
『あんなキモオタの性癖なんぞ知りたくねえわヽ(`Д´)ノ』
『カス』
『キショいねんゴミごみgおgみ』
『やえmてくれ』
部屋に戻り携帯の電源を再び付けた。大量の罵詈雑言には一通り目を通した後に手を動かす。
『>用があるんだろ』
『>リョウセイが』
『あんなボロクソ言ってるのにか?』
『ねえわ』
コラツルは彼女のリョウセイへの感想をなんとなく思い出す。リョウセイは元々鮎畑県に面する海洋が出身であるのだが、地元の愚痴を未だに続ける様はツェラヒラにとっては哀れで仕方がないという。
『これリョウセイ?』
コラツルはカータクが送ったURIに添付されていた画像ファイルを送る。黒塗りのゴムを羽織ったような女が映り込んだ写真が四枚ある。風景ビューに映った所、3年前のものであるが、海岸線から何まで、その画像と一致しているのだ。
『あ、間違いなくアイツだ』
『010しとこうぜ』
ツェラヒラは数秒もせずに答え合わせを完了させた。北夷族は家族の共同体意識が高い都合上、身内の識別は容易だ。流石に肌を何一つ露出させていない状態の特定は困難であり、決定打は目元の映り込んだ写真であったが。
『>ワシのパパが連絡してる』
『じゃあ頼むわ』
『>わかった』
コラツルは一旦携帯を辞め、PCの方に向かった。十二分してツェラヒラから返信が返っていたことに気がつく。
『にしても意味分かんねえよあの女!』
『冬場ならともかく、梅雨場の格好じゃないだろ』
『濡れたくないんじゃろ』
『あのおばさん梅雨時ウッキウキだし』
『よくびしょ濡れで帰ってくるんだよな』
『ねえわ(#・∀・)』
『>じゃあ全く分からんな』
コラツルとして、その後の会話には興味がない。適当に彼女の相手を済ませた。
☆
その日以降、誘拐犯の奇怪な行動は増えた。わざとらしいまでに軽太に刃物を向け、調理食事の時さえ近づかせようとしない。近づこうものならば突発的に怒鳴るし、近づかずとも逆上して声を荒げさせることもある。軽太も軽太で深夜ならば流石に姿くらい表すだろうと音を立てず寝室を覗いたのだが、そこには誰も居なかった。
今日は適当にレーションを取りすりつぶし、鰹節と酢に浸された大根の葉と共に食べお菓子代わりとしていた。長雨が数日に渡って振り続けており、軽太はふやけた感触の足首を掻こうとした後にその重量を思い出す。
「……」
軽太は枷の嵌まった左足首を眺め、ふと躊躇する。肌一つ見せないほどに執念深い相手が充電切れを想定しないとは考え難い。包丁を研ぐ音の方に向く。相変わらず彼は睨んだっきりだ。
「ねえ」
彼は一歩前へ、ゴムの四つ足で睨みつける彼の前に立とうとする。GPS装置の充電はあと二週間で切れるだろうと見積もり、順応したふりを続けることとしているが、その理屈を何かが上回ってきて仕方がない。軽太も言語化出来ない衝動であった。
「どこまで、ぼくのことを知ってるの?」
目の前に彼は応えない。雨が強まる。軽太は更に一歩一歩、音を立てて前に進んでいく。
「人間が何なのか、そんなに知ってるの?」
威嚇するような足音が湿気の中に溶けていく。彼と軽太の間合いは5歩にも満たない。
「……知ってるのがおかしいってか」
彼の視界には、軽太の素足が見えていた。見えていたが、脳がそこに反応しない。
「ああそうだよ。この世にお前一人しかいないもんな」
軽太は彼を見下ろす。問いに頷いたかは覚えていない。ただ、いつの間にか目と鼻の先に居る彼の目は虚ろな方角を向いていた。
「滅んでんだよ、人間なんてもんは! とっくの大昔に!」
彼は飛びつくようにして、怪物様とした轟音と彼自身を軽太に浴びせる。ガスマスクに濾過されていなければ鼓膜が溶けていた程の声量であった。彼の後方にて打ち捨てられた包丁の金属音が鳴り響く。
「……痛っ」
目の前の狂気的な、翠をした目に項垂れて動く気もしない。さながら彼の気分は蛙に睨まれた小虫であった。
「もう、お前しか、居ねえんだよ、黙って座ってろ」
軽太は適当なネットサーフィンで得た情報を思い出す。東果世界の近生代に栄えていたという、『henwukterai科 bhor'ahrogo上目』は人間そのものであった。復元こそ誤差があるものの、その頭蓋骨はチンパンジーにしては縦長すぎた。コラツルが生物学に詳しいことを知り、心的負担を増やしたくなかった軽太は口を瞑り続けていた。
「……だから何?」
彼は擦り傷を気にしないように努めつつ、膝に手を付けてから立ち上がる。初めから、自らの種族が絶滅したことなど知っていた。そもそも軽太が『異世界』に行きたいと願った、最後の一押しとなった動機は当にそれだ。まさか東果国が1000万年も経過した『元・日本列島』であるとは夢にも思っていなかったが。
「まだ生き残りは居るかもでしょ」
『生き残り』という形容は彼の耳に届いていないだろうが、軽太は更に話を重ねる。現に彼はこうして生き延びている。人間には東果国の水準以上の科学力があったし、コールドスリープ技術を持っていた地域が日本国だけであったとは考え難い。
「男だったらどうするんだよ」
彼は抑揚が無い。軽太の方は疎か、何も見ていない。方角上は黒い汚れがかった白い壁にであるが、そこにある何れをも眺めていない。
「クローン技術だってあるんじゃないの?」
軽太は勢い任せに言い放つ。倫理的には問題があるだろうが、軽太は大人の持つ倫理観に期待していない。彼らにそんな心があるならば子どもの自分一人を未来世界に残すなど認めないだろうし、そもそも危険な外の世界に出ること自体徹底して規制するだろう。
「理論があっても、現物がないんじゃ終わりなんですよ」
彼は冷たく言い放つ。雨が弱まり、湿ったそよ風等その他の環境音が場を支配する。
「……やっぱり君関係ないよね? ぼくが死んでも」
軽太は深呼吸をすると、ようやく言語化出来た彼の異様さを問う。
「言ってること滅茶苦茶じゃん、ぼくを保護したいのか何なのか伝わってこないもん」
再び、微動だにしない彼に近づいていく。彼は誰の干渉も拒んでいる。その癖、干渉させまいと過干渉のフェーズに入っている。
「もっと言えば、ぼくに存在してほしくないんだよね?」
強い潮風と蝿の羽音だけがこの場の沈黙を構築する。それ以外の全ては閾値以下の領域にしかなく、互いとっての相方も同様であった。雨が再び打ち付けだす。風に揺れる草木の音がフェードアウトした。
「せっかく生かしてやろうって思ってんのに」
彼はゴムの軋む音を立てる。異様に重たく、実際に彼の思考は、目の前の化け物を否定したいの一色に塗りつぶされていた。たった今、
「アタシが間違いだってんのかよ!? お前が間違いの塊の癖にッッ!」
目の前の灰色が軽太に飛びかってくる。軽太は瞬間的に左に転がって避け、すぐ手を付けて着地し立ち上がる。適当に横に跳ねた時には彼は元いた位置に飛びかかっていた。
「――ッッ!」
軽太の脳は、クマと対峙し時に似た警鐘を軽太に発し続ける。クマと違う点は、こっちから対話を試みても歩み寄っても無駄である点だ。左手の擦り傷が齎すヒリヒリ感は最早快感へと変わっていた。完全に彼は自分が戦闘態勢であることを理解していた。
ふと、軽太は扉に寄りかかっていたことに気がつく。奴がめがけて飛ぶ瞬間に扉ごと体を回転移動させ、彼を転けさせる。扉を閉じ、適当に逃げようと考えた所で軽太は致命的なミスに気がついた。例のGPS装置のお陰で逃げ場などないし、家の中で隠れ場探そうにも遮蔽物など全く無い。そもそも、奴は今廊下の中だ。
一か八か、軽太はナイフを手に取る。雨音と湿気の中、その木材で出来た質感は気味の悪い程乾いていた。手足を刺した所で彼は――いや、今となってはもう致死傷を与えてでも自分の身を守るべきだ。視野の外に追いやった彼の殺意を思い出す。
軽太は再び扉の方へ向かうと、扉の壊された瞬間に刃を見せて飛びかかる。
「廃墟に不審な人物。通報通りだ」
「……!!」
汽陸族のものではない声を聞き、軽太は勢いでナイフを横へ投げ捨ててしまう。彼が目の前に居るので、着地してすぐ逆の方へ飛び避けようとして転けてしまった。
「な、なにやってんだお前――」
灰尽くめの男は飛びかかろうとした瞬間、我に返り、すぐその両手は二人の警察官に抑えられた。彼はただただ呼吸音をけたたましく部屋の中へと響かせている。
「……」
軽太は息を整わないまま、警察服を着た人々を眺めていた。警察犬に黒巻羽織を羽織らせた姿をした蛇人は両手足を拭くことをせず、犬のように家へと駆け入る。自分の判断は正解であったと溜息をつく。
「君……は何だい?」
蛇人族ではない、二足歩行の人物が軽太に歩み寄る。腕を差し出されたので、掴んで立ち上がる。気がつけば息は整っていた。黒巻羽織と着流しを来たその姿こそ町奉行所の人々を連想させたが、ポケットの概念、そして無機質に『警察』と背の隅に描かれたその装備は軽太にとって時代を感じさせる。
「人間です」
軽太はぼんやりと、ガスマスクを外される《《彼女》》を見やっていた。すぐ横で親しげに話しかけてくる蒼尾人警察のことは気に留めておらず、脊髄反射だけで会話をこなす。GPS装置についても受動的に答えた所、フードも外された汽陸人の彼女は悲しげな目を浮かべ、地肌の胸鰭を微動だにさせない。
「目標確保!」
誘拐犯は手袋から何まで全てを剥がされ、抜け殻は嫌な顔をした隊員によって折り畳まれ、『押収品』を表す青いシートの上に整理されていた。彼女は肌着しか着ておらず、ゴムと鱗の間に分泌された粘液が纏われていた。軽太はその胴体部分に見覚えはない。足や手で個体を認識できるような特技もないし、鮮明になったとはいえ声色は鳴き声同然であり、個人の判別には致命的に向かない。
「……なんで?」
だというのに、軽太は、その顔は間違いなく、リョウセイのものだとしか認識できない。頭鰭の欠け方や胸鰭の感じ、口の開き方等を暗記しているわけではないが、顔の感じがリョウセイであるとしか認識できない。
なにかの器具とタオルのような感触と共に、熱風が足首に当てられていた。足首の辺りで何か音がする。
はんだが溶け、足元に垂れている。ずらすことさえ叶わなかったそれはすんなりと外れ落ち、軽太はただまじまじとそれを見やっていた。




