表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東果を覆う陸海のもの  作者: 浅葱柿
5:東果列島
48/63

5:東果列島-⑤ マスクした逆転(1)

☆☆


 水主軽太は何かに覆われた感触とともに目を醒ます。ほんの数秒、いつまでたっても視界が開けないと思えば、布で目を縛られていることに気がつく。目隠しを解こうと両腕を動かそうとしたが、胴体横に固定されているようで動かせやしない。


「――!!」


 軽太は反射的にその体を縛るものを口で噛もうとした。刹那に鎖であることに気が付き、しまったと軽太は考えて歯の痛みに備えたが、感じたものは鉄と地の味ではなく、何か布に遮られるような感触だけであった。


「起きたか」


 何か冷たく弾けるものが軽太の首元を襲う。何か、デジャブを感じる遠い声が彼の耳を木霊する。


「――! ェべっうッ!!!!」


 猿轡から開放された軽太は、真っ白になった頭を振り嗚咽の声を吐き出す。彼が辛うじて思考できた範囲で現状を言語化しようとする。


 ――完全に油断していた。生粋の日本国民であった水主軽太は東果国内の治安を考慮していなかったし、『そもそも治安が良かろうが悪かろうが誘拐沙汰は発生する』という当然の摂理を失念していた。軽太は言語化を終え、気がつけば多少は冷静に現状を俯瞰していた、気になっていた。目隠しをされているということは、から思考が続こうとしない。


「ここがアンタの新しい家だよ」


 機械のような声を発する『それ』は御経のような声調と共に軽太を突き放す。脳が怒りと若干の恐怖に呑まれて仕方がないし、汚れた魚のような臭いが鼻を貫いて落ち着く暇もない。

 

「なあ、何だよお前!!」


 何か概ね察しがついていた。昨日、気まぐれに入間荘に泊まっていったことを思い出したが、目の前の誰かがリョウセイであると考えられなかった。リョウセイの声質はそれこそモンスターの呻き声に似ているが、汽陸人全般がそんな声で会話していることは推察がつくし、何より、壊れたパソコンの排気のような音を彼女が立てるはずがない。


「何って、貴重生物の保護だよ」


 誘拐犯は顔も見させず、般若のような機械声を垂れ流す。


「――! リョウセイはどこにやったんだよ!」


 軽太は一瞬躊躇うと、轟々と怒りを顕わにする。気がつけば両脇に添えさせられた腕は握りこぶしを作っていた。恐怖に呑まれて何もしない、だけは絶対にしてはならない。軽太は学校に教わった誘拐犯への対処法を思い出す。


「答える訳が無いだろ」


 彼は一瞬躊躇った気がした。多少は平穏な声であるのだが、何か自分を蔑むようなトーンに感じられて仕方がない。


「じゃあ目隠しを外せよ、そっちはジロジロ見てるのにぼくには見せねえってのか!」


 軽太は思いついただけの言葉を変態野郎へとぶつける。性暴力でもなんでも振るうだろうことは想像付くが、せめて視界だけでも頼りになれば何かボロを出すかも知れない。


「わかったよ」


 数秒もしないうちに、軽太の後頭部には冷たいゴムの感触が襲った。その様はかなりの乱暴であり、汚いものに振れるまいとした態度であった。軽太は詰ってくる手を払うように首を振り、再び前を睨みつける。


「……え?」


 目の前に立つ人物は、異様としか言い難い容貌であった。汽陸人であることは当たっていたが、顔がガスマスクに覆われよく見ることが出来ない。雨合羽とゴム手袋といい、肌身一つ晒すつもりもないようだ。


「……何その格好」


 軽太は驚愕の意を吐きつけると、多少は沈着した。ふと、壊れたパソコンのような音は彼の呼吸音であると気がついた。思考が連鎖する。岶岼市はリョウセイ以外の汽陸族は定住していないし、そもそも彼らの体構造は山間部には適していないとコラツルから聞いていた。どこか、潮風のような匂いが空気に纏わりついている。となると、漂っているとしか形容の出来ない、汚れた魚のような臭みは血を抜かれたばかりの魚のものだろうか。


「変装だ」


 誘拐犯は格好をつけるように台詞を宣う。軽太は先程まで本能的な絶望を味わっていたが、今度は理性で絶望を受け止めていた。間違いなく、ここは龍屾地方ではない。東果語が通じる以上は東果国であると信じたいが、東果語が公用語であるその他の国家であれば死を覚悟する。


「パスポートって――」

「ねえよ、何言ってるんだ」


 軽太の些細な疑問に対し、彼は戯けた態度を全身で見せる。


「そんな変態みたいな格好しててさ、捕まらないと思ってる?」


 彼の、分け隔てある受け入れ方という悪辣な態度に悪意で応じる。自分自身というものの全てを馬鹿にされているようで気が気でなかった。


「化学物質過敏症って言えば良いからな、地元民。これで理性さえありゃ文句なしなんだけどなぁ」


 雨合羽の彼は自信満々にプランを謳う。蒼尾人や蛇人は家族相手に辛辣な態度を取るものが多いが、彼女ら汽陸人は不審者同然の格好であっても、二言三言交わせば受け入れるものである。


「どうせハイエースとか持ってるんでしょ? バレバレだよね」


 土地勘のない国に居候したいと思えないし、そもそもこの地に異国情緒を感じない。東果国内である可能性が高いと睨んでおり、とても調子付いていた。


「どこで覚えたんだよお前は……」


 棒立ちを決める彼を見、軽太は嫌味が効いたと口角を上げる。


「そもそも、保護って何? 既に保護してくれてる家があるんだけど」


「……。だから、絶滅危惧種の保護だよ」


 軽太は困惑の声を上げる。どうも、彼の言っている意味を全く理解出来ない。


「お前はもう一人しかいない、だからおれが助けるってことだよ」


 彼は軽太の前でカエル座りをしたと思えばカエルそのものの姿勢を取り、次の瞬間には両手を弾ませて立っていた。


「……精神科でも行ったら? 今からでも」


 軽太はふと、普段の口調に戻っていた。この噛み合わなさは断じて、『正常』ではない。今まで話の噛み合わない感覚は幾ばくと感じ取っていた。フウギもコラツルもどの蛇人も意図の通じなさではトップクラスだし、蒼尾人もナイラス兄弟程でないにしろ、その場その場で態度を変えることは珍しくない。軽太は汽陸人をリョウセイ以外に知らないが、化学的な仮面を被る彼の態度は明らか、異物の混ざった感触を感じて仕方がない。


「まあ、狂ってるかもな。一生」


 黒い合羽を着た彼は右腕を見やる。鮮やかな葵色に覆われているはずの腕は、ただただ無機質な灰色に埋め尽くされている。


「いいから、外せよ」


 思い出したかのように大声を上げ、強い口調と目付きで彼に訴えかける。


「嫌だ」


 彼が要求に即答し後ずさる。軽太は当意即妙に質問を返す。


「……おもらしするけどいいの?」


 刹那、当惑した様子で振り向く灰色の容貌が居た。人間は恥じらいを持つ存在であるというのに、恥じることなく排泄行為に言及する彼の神経が理解できない。


「大腸菌なり不衛生になって自殺してもいいんだよ、いっそのこと」


 軽太は癖で股間を片手で隠そうとしたが、鎖に遮られる。尿でさえ有害物質を複数含む。なにより菌の繁殖源でもありとても不衛生なものだ。キャンプの際、排泄物やゴミの処理に毎回迷う彼は真っ先にこの打開策を思いついていた。『絶滅危惧種の保護』が目的というならば守らざるを得ない。目の前の彼が『気がついていない』ことに期待する。


「おむつを履かせてあるから問題はないな」


 彼は期待外れの返事を返すと再び後ろを向く。軽太は臀部を覆う妙な感触を今更思い出す。


「ね、ねえ! 恥ずかしいんだけど。ぼく12だよ?!」


 軽太は生理的な羞恥心を捌けつつ、次なる打開策を考える。目の前の彼が何を考えているのか計り知れないが、『老人のように衰弱死でもしてろ』という意味ならば詰みだ。


「そういえば朝がまだだったな」


 彼は壁際の白い棚へとしゃがみ、手袋の中に掴む。


「レーションでも食べてろ」


 次に彼は蛙跳びで軽太の口に突っ込む。地面にぶつけた衝撃で半分に折れており、軽太の口に入るサイズとなっていた。


「――ッ! っっっーー!」


 彼は貯蓄したペットボトルを例の棚に取りに戻ると、次は水気のないそれに苦しむ軽太に水をやる。口にしたものを飲み込んだことを確認し、再び猿轡を彼にする。


「1時間半で返ってくるからな」


 彼は小さな手提げを背負うようにして持ち、蛙跳びにて軽太を横切り外出していった。軽太は『忘れた隙に大声を上げて見つけてもらう』辺りの脱出方法を考えていたが、あれだけ騒音を立てて誰も来ないのであれば根本的に人里離れた場所なのだろうと考える。


 軽太は視界の限りの情報を集めた。正面がたまたま綺麗な部類だったようで、誘拐犯の出ていった通路には潮風からか劣化した鉄パイプも見受けられる。ここは大きい家ではないようなのと、レーションやペットボトル水など保存食ばかり食べさせるということは、ライフラインが通っているのかも怪しい場所だ。しかし、こうも魚の匂いがするとは気がかりだ。まるですぐ近くに漁師が棲んでいるかのようだ。そしてこの廃墟からの距離も高々5kmであろう。その距離ならば見つからない筈がないし、彼の声が聞こえない筈がない。何故誰も来ない? 組織での犯行か? 軽太は思索を巡らせる。


 これ以上は何も出来ないことに気が付き、軽太は寝不足気味なのも相まって目を瞑っていた。次に来る『防護服の(かっぱをきた)彼』は別人である可能性もあると考え、次に目が覚めたときは誘拐犯の様子を注視することと決めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ