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東果を覆う陸海のもの  作者: 浅葱柿
5:東果列島
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5:東果列島-④ シ¬ ∧ 旡 →


 正酉にてフウギは階段を降り、診察室から自身の医局へと身を移す。低い机の上に乗り、持ってきた弁当の蓋に手を付ける。非常勤として働くことも考えたが、副業事に期待を抱いていない彼は常勤医として籍を置き、週30時間は病院にて精神医学の知識労働を行っている。趣味の時間は専ら巽か()方日か、適当な平日の午前中か適当な有休かとしている。


 『リョウセイ』と名乗る患者について、フウギは昨晩愛娘と交わした会話から関心を抱いていた。元より彼の研究欲は汽陸族へと向いている。管椎目という生きた化石の精神性は独特だ。多数の民族と反りを合わせるも、蒼尾族とは異なり種族として確たるアイデンティティを持つ。精神疾患の傾向としても、蒼尾人は文化・土地柄に依存した特有の『精神的風土病』を幾つも発症する一方で、汽陸人は文化によるストレスを受けにくい。完璧主義者なフウギとしては魅力的な精神性だ。彼らの精神を理解さえすれば、東果国での心の病を多いに減らせるとさえ思っている。


 冬季において、葵黒い体に白い斑模様を独特な鱗に浮かす彼女は目立っていたし、何度か会話も交わした覚えがある。一方、彼はリョウセイという個人を診察したことはないし、今日の今日まで興味を忘れていた。実際、素行・認知が単純化されるヴォーテックス症のうちの軽症事例であり、現在は服薬の継続とリハビリテーションから回復したのだろうと片付けてしまっていた。しかし、カルテを拝借したところ、彼女の症状は『急性一過性精神病性障害』の一単語に纏められている。目を通す限り、主治医は『統合失調症』、『パニック障害』、『PTSD』、『ヴォーテックス症』の病名を真っ先に棄却したが旨の走り書きが書かれていた。


 次に彼は箸を握った手を拭いた後、PCを用いて医療データバンクを検索した。汽陸族ことウミツビトは主に、北半球の三分の一は埋めているだろう、横長なワグンローデア大陸の熱帯~亜寒帯南部の海辺に生息する。その性質上、地球上で最も種族人口が多い。数多といる汽陸人のサンプルの中、『色彩』に執着を抱いたケースは15件報告されていた。うち10件は『ヴォーテックス症』によるもので、1件は複雑性PTSDと色覚上の適応障害。残りの4件は病態が特定されていないという。


 山間部の地方に住居を構え棲むフウギにとって、ヴォーテックス症の患者は崐央(こんねい)県立大学の研修医時代にておさらばした存在だ。そこから十数年は蛇人か蒼尾人、偶に外来種族の診察を行う程度であるが、それでも勘がリョウセイの病態を不自然と断じている。ヴォーテックス症は発症したが最後、服薬を続けなければ高確率で再発する病気だ。しかし彼女は中脳皮質系に作用する薬の服用をするまでもなく病態を回復させている。かといって他疾患とも合致しないし、合併症とも考えられない。MRI検査の結果でも脳の変性は認められていないというので、全体の3割程の病名が除外される。


 コラツルは性格として父に似た面が多い。遺伝子は経験によって書き換わるとも言うが、親しい人に対して強く警戒する習性は遺伝なのだろう。さて話を聞く限りでは、そんな親しいリョウセイの異常を娘が見抜けないとは考えていないし、コラツルが低レベルな嘘に騙されるとも考えていない。リョウセイが疾患を伏せることを目的で平穏を装っていることも想定したが、精神性の変化までそうそう変えられないものだし、コラツルにも何度もその旨の会話は交わした。


 休憩の一時間を過ぎ、フウギは午後の仕事を平常にこなした。()方日の勤務を酉後1時に終え、病院の職員駐車場へと向かう。壁際に寄って携帯を開いて電話アプリを開いた所、連絡を取っていた探偵事務所の電話番号を見つける。折り返し電話を発信した後、しばらくはシグナルを待つ。


「お世話になってます~。――」


 フウギは電話越しでの会話に苦手意識を持つ。聞き取られない可能性を考慮し、わざとらしく間延びした口調にて探偵側の進歩を待つ。


「――はい~、了解です」


 フウギは画面転換を待たずして通話を切る。携帯を背ポケットに入れ存在を忘れ、投げやり気味に自動車のロックを解錠する。



「探偵の進捗は」


 父が帰宅したと知り、コラツルは開口一番に発した。フウギの帰宅は平日の1時間半は遅れており、外には二、三等程度の星が顔を出していた。


「ああ、捜査は入った」


 フウギはノンバーバルに平穏を表現すると共に、口先では半分の嘘を返す。連絡を取っていた探偵事務所はカルタ捜索の依頼を断った。干柿に似た肌色を持つ彼は目立つと思ったのだが、賭けは賭けであった。


「? 捜査?」


 東果語のコロケーションとして、『探偵の捜査』と呼ばない。コラツルは父が嘘を吐くとは考えていないが、妙な不穏さが這い寄ってきて仕方がない。


「……探偵は無理じゃった。代わりに警察に連絡した」


 フウギの顔を伺うように睨む彼女の目を見、彼は自分の嘘を認めつつ、背負っていた分の荷物を下ろす。続いて適当な食材を取ろうと、キッチン側の冷蔵庫へと向かう。


「捜索されんに何やっとるんじゃ?!」


 二重に轟音が鳴り響く。コラツルは両前足を叩きつけていた。夕食を乗せていた盆の残り滓が足元へと散る。


「リョウセイって人も失踪しとった」


 初め、フウギは単にカルタが入間荘から帰ってきていないだけと考えていた。故にカルタはリョウセイごと失踪したと考え、入間荘に寄り代理のオーナーと言葉を交わした。最終的にフウギは事件性を感じ、交番に立ち寄ってリョウセイの捜索依頼を出しに来た所だ。


「あの女は関係ないじゃろが!」


 コラツルは両前足を暴れさせたい衝動を抑えんと、必死に後ろ足を地面に固定する。彼女の左手には味噌汁の食べ残しが掛かっていたが、気がつく余裕もない。


「入間荘に行った後にカルタは行方不明じゃろ? リョウセイも消えとるなら、関係はあるじゃろうし」


 フウギは冷蔵庫の中にあったコラツルの料理を取り出すと、場違いな程の無感情な態度で自身の推理を話す。フウギは代理人に対する落胆に引き摺られていた。


「待て、リョウセイは代理人を建てたんじゃろ」


 コラツルは自身の袖が濡れていたことに気が付き、適当に盆に擦らせて水気を切ろうとする。


「? ……口約束で、な」


 フウギはスプーン数回分だけ口に入れた料理を後にし、彼女の寝間着を取りに行く。リョウセイの帰還時期について尋ねた所、『しばらく代わってほしい』という口約束であり、書類等の法的に有効な方法で交わしてはいないとも知った。蒼尾人はいい加減であると言うが、こうもいい加減な約束を疑わない彼には苛つきさえ覚える。


 さて、フウギは急いでコラツルに服を渡すと、食事へと戻った。


「……リョウセイなら捜索可能じゃから、ってことか」


 フウギは二つ返事を返す。東果国の警察は国際種族全てを暗記している。故に『ニンゲンというその他の人類』などノイズでしかなく、ちゃんと認識出来ない可能性が高い。路上に立つカルタを見過ごされるような事態でも起きようなら捜索は渾沌極まるだろうし、コラツルもフウギもそこを恐れて警察を頼ることは考えていなかった。


「どうせ別々じゃろ」


 コラツルは乱れた盆の上の食器を片付ける。彼女は自分に降り掛かっている、一層の焦燥感を知覚する余裕さえない。


「ワシはそうは思わん」


 フウギは嗄れた声を隠さず、残りの食事にありついた後に盆を片付ける。水道水がやけに冷たく感じられて仕方がない。フウギは彼女から離れるようにしてリビングを去る。


 船舶に関するニュースを携帯用OS埋め込みのリーダーに読み込ませ、その朗読を聞きながら寝支度をする。まずは寝間着に着替え、頭布を解く。蛇芭一族の血を引いていないフウギには霊感はないが、地元の慣習から頭布を巻くこととしている。水玉模様の手拭いが床に転げ落ちる。次に外套の類を全て折りたたみ、ハンガーに吊るしてしまう。


 フウギにとって、否、この世界に於いて、『カコ・カルタ』は究極のイレギュラーである。カルタとリョウセイにどのような関係があるかは理解していないが、少なくとも彼女はカルタが原因で狂った可能性もない。学問的知識はイレギュラーには弱いものだし、精神たるプライベートメンバの塊については尚更だ。娘から『おそらくタンパク質は左向きで、DNAは右向きであろう』と話していたことを思い出す。ケイ素生命体でもないし、鏡像生命体でもない。カルタの基底がこの世界の住民と同じであること自体が天文学的な奇跡であって――


 ――本当に奇跡なのか? 宇宙に解き放たれたりでもして戻ってきた、我々と同じ生物共通祖先を持つ生物でもなく? それに、確かにニンゲンの体は奇妙でこそあるが、それは我々人類として見做した場合の不気味の谷に嵌まるからでしかない。


 いくらなんでも、都合が良すぎる。彼は目を開くと、リビングへと再び両手足を動かす。カルタについてある可能性を思い浮かべたのだ。マッスルメモリーの赴くままに進んでいくと、気がつけば彼女の部屋が前にあった。


「コラツルよ」


 障子は特に開けず、声のみをコラツルにかける。


「……何じゃ」


 障子の向こうで陰が動く。


「カルタ、本当に異世界人か?」


 フウギは少し力むと、娘に聞こえて耳障りではない範囲で大声を上げる。 


「何じゃ、藪から棒に」


 ワンステップ置いて陰が近づくと、襖が開かれた。彼女は不機嫌そうにフウギの顔を見ている。


「異世界の生き物にしては、偶然が過ぎとるに」


 フウギは襖の音に驚いた後、腕を前へと伸ばした後に立ち上がる。


「儂も何度か疑った」


 彼女はウロウロと、腕をブラブラさせながら歩き出す。


「違うか」

「ああ、カルタの方が否定しとった」


 フウギは彼女の言いぶりに違和感を覚える。彼女は相変わらず、部屋の中を右往左往している。


「実際、骨格の似とる生物は(きん)生代に存在しとる」


 生物学の技能についてはフウギは高く評価しているのだが、そんな彼女が彼一人の言い分を優先したことが突っかかった。


「なあ、もしカルタが――」


 ――嘘をついとる、との言葉は喉へと飲み干した。我ながら愚問であったと自嘲して斜め下を向く。カルタには嘘を吐く動機がないし、嘘を吐いた所で自滅する目に遭うだろう。例えば蒼尾族の一部には閉鎖的なパーソナリティを持つもの、蛇人であれば異様に猜疑的な性格を持つものも存在するが、カルタは彼らを邪気に扱っていないし、人格に問題のある患者を幾ばくとも見てきた彼の勘が働かない。


「……帰ってこなかったら?」


 フウギは言葉を挿し替えつつ、わざとったらしく喪失感を体で表現する。


「死んだら死んだっきりじゃろ……?」


 何を言いたいのかと、コラツルはフウギを見つめる。彼女にとってカコカルタとは研究対象であり、同居人。それ以上の何者でもない。


「……はは、そうか」


 フウギは普段使いの態度に切り替え、再び自らの寝室へと戻っていった。


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