9 ダリウスとグレイス
「グレイスを引き留められなかったわね。」
「ああ、さすがにあの光景を見せつけられたら、とてもじゃないが言えなかった。このまま王宮に残って欲しいなどと。」
「でも驚いたわ。グレイスの魔法。あんなに美しいものは初めて見たわ。それにあのダリウスに使った魔法は特別なものなのでしょう?凄い魔力量だわ。」
「私も詳しくは知らないが、あれは古代の魔法らしい。それも命を削る危険なものだと。」
「え?命を削るって?」
「あれ程強力な魔法となると魔力だけでは駄目なんだ。命を糧に発動させる。グレイスの身体から発光していた光が、ダリウスに身体に移って行ったのを見ただろう?グレイスの命の光がダリウスの身体を蝕んでいた竜の血を体外へ押し出したんだ。」
「そんな事を·····。グレイスの身体は大丈夫なの?」
「あの後、ダリウスと共に会場を後にしてから、グレイスはダリウスと共に意識を失ったよ。命を削るとはどういう事なのか、詳しくは記されていない。ただそれをこれからグレイスは経験していく事になる。」
「そうなのね。それにしてもダリウスも気を失ってしまったの?」
「ああ、術を発動する者も、それを受けとる方も身体に相当な負担がかかっていたんだろう。今は別々の部屋で2人仲良くベッドで休んでいる。」
「グレイス達はいつ王宮を離れるの?」
「私とグレイスとの離婚の手続きと仕事の引き継ぎ。新たに与えた公爵領へ受け入れの準備もある。2人には準備が整うまで、王城で過ごしてもらおうと思う。」
「寂しくなるわね。」
「そうだな。ただグレイスがいなくなるとなると、寂しさを感じない程、忙しくなりそうだな。」
「本当だわ、怖い。」
◇◇◇
意識がゆっくり浮上する。
見慣れない豪華な天井。
記憶をたどる。
そうか、フェアノーレ王国に帰って来たんだった。
古竜を討伐した際に被った竜の血は、劇薬だった。
皮膚に張り付く様に、ねっとりとした血はゆっくりと皮膚に浸透していき、やがて激痛を引き起こした。
水で洗っても、身体に染み込んだものは出ていかない。
不意を突き、右手に持った大剣を、竜の眉間に突き刺した。
咆哮をあげながら俺を振り落とす。
同時に片腕、片足はそれぞれ半分竜に食いちぎられていた。
切り落とされた部分が痛むのか、染み込む竜の血が痛みをもたらしているのかわからない。
朦朧とした意識の中、駆け付けた仲間から救い出され運ばれる。
腕と足の切断面は治癒の魔導師による魔法で処置されたが、竜の血の苦しみは和らぐ事はなかった。
身体を何とか起こせる様になり、車椅子に座るも、身体の奥に広がる痛みは無くならない。
最早食べ物も美味しいと思わない。
竜を倒せて嬉しいとも思わない。
ただひたすら苦痛を耐えるだけの日々。
竜を倒せて得たものはこんな事なのか。
俺は絶望していた。
そしていよいよフェアノーレ王国に帰還し、謁見の間に案内される。
集まった貴族達が同情の視線を送る。
アーレン王太子殿下に褒賞を聞かれる。
俺は何を望んで旅立っていたか?
ああ、そうだグレイス様·····。
俺はあの方を望んでいた。
「グレイス·····妃殿下····。」
無意識にそう呟いていた。
その言葉を聞き、グレイス様がこちらに近づいて来た。
彼女は相変わらず美しかった。
グレイス様と治癒の魔法を施していた魔導師が竜の血を浴びたことについて話している。
そうか、これは呪いの一種か。
そして終わらない苦しみと共に死に至るのか·····。
一瞬で絶望した。
しかしグレイス様が魔法を発動させた。
何だこれは?
長い詠唱が続く中、身体を発光させたグレイス様は、俺の前に跪き手を取った。
途端に彼女と手を繋いでいる所から、何かが身体の中に流れ込んで来る。
そして俺自身も身体が発光し始める。
すると、その流れ込む何かに合わせて、身体の中の激痛が何処かに押し流されて行く。
同時に身体の中の俺の血が、力がみなぎっていく感覚におそわれる。
最後に俺の額に2本指を置き、何か呪文を唱えると、身体の淀んでいた何かが、一気に飛散した。
片側の腕と足は失ったままだったが、痛みや苦しみは一切消え失せ、この国を出発した時に近い体調に戻っていた。
目の前のグレイス様が、俺を治してくれた。
信じられない現象に、ただただ彼女を見つめるばかりだった。
そして彼女は再び俺の前に跪き、こう言った。
『ダリウス·ノーラ卿、命を懸け古竜を倒し、この世界を救って下さった事、感謝申し上げます。貴方が望むなら、これからの生を共に過ごして参りましょう。······ダリウス、頑張りましたね。生きて···戻って来てくれて有難う。·····待っていましたよ。』
そう言って、彼女は大粒の涙を流し微笑んだ。
ああ、これは······こんな風に言ってくれる彼女をどうして愛さずにいられようか?
気付けば俺の頬にも涙がこぼれ落ちていた。
そんな俺達をアーレン王太子殿下は、静かに見詰めている。
『ねえダリウス、グレイスと結婚したくない?』
初めはアーレン王太子殿下からの突然の提案だった。
その言葉から改めて自分の心と向き合い、それでも何処か軽い気持ちでアーレン王太子殿下の提案を飲んだと思う。
グレイス·タンドゥーラ公爵令嬢。
王妃殿下の側妃毒殺事件で廃嫡となった元王太子殿下の婚約者だった方。
自殺を図った元王太子殿下が道連れにしようとした方。
元王太子殿下から剣を突きつてられ、微笑みを持って共に逝こうとされていた方。
あの時のあの微笑み····。
13歳の少女の慈愛に充ちた微笑みは、18歳の俺の心を鷲掴みにした。
それが心の中にずっと残っていた。
まさに手の届かない、そんな彼女がこれから共に生を歩んでくれると言う。
俺は身体を起こす。
失った腕と足は戻って来ない。
これからどう生きていこうか。
そう考え事をしていると、部屋の扉が開き誰かが入って来る。
グレイス様だ。
「ダリウス、目覚めたのですね。2日程眠っていましたよ。」
謁見の間で見た微笑みではなく、子供の頃、アーレン王太子殿下と共に王宮で遊んでいた時に見せていた、親しみのこもった笑みだった。
グレイス様は侍女に飲み物を準備させる。
「先ずは水分を取って下さい。身体で痛みや異常を感じる所はありますか?」
「いえ。今までの痛みや苦しみが全て消えました。」
「それは良かった。取り敢えず軽食を用意しましょう。食べられますか?」
「はい。」
俺がそう言うとグレイス様は、嬉しそうに微笑んでくれた。
なんて可愛らしいんだ。
公務で見せる、大人びた様子とは全く違う。
失礼だと思うが目が釘付けになってしまう。
「謁見の間では、ああ言いましたが····。」
心に引っ掛かる事を確認したくなる。
「本当に私と結婚してもいいのですか?」
その一言にグレイス様は驚いて振り向く。
「このような身体になってしまいました。貴方を満足させられないかもしれない。」
「満足?」
グレイス様はそう呟くと、途端に顔を赤くさせる。
?
「ダリウス様言葉が足りませんよ。グレイス様はああ見えて、恋愛小説が大好きなお方ですから、その言い方だと夜の営みについての発言に受け取られますよ。」
グレイス様の護衛のタッカがすかさず俺の元に来て、耳打ちする。
「あ、いや、それもありますが·····生活が今まで通りとはいかないという意味です。」
········。
「領地の運営がありますわ。今回下賜された領地は小麦の生産が主流で、他にはあまり目立ったものがない土地ですので、新たな産業を興してもいいと思っています。 考えている事がありますので、ダリウスも共に手伝って下さいね。」
笑顔でグレイス様は応える。
「取り敢えず、明日義手と偽足を試して頂こうと思っています。」
片腕と片足を失って絶望する所なのだろうが、グレイス様と話していると、簡単に乗り越えて生けそうな気がする。
「有難うございます、グレイス様。」
そう答えるとグレイス様はふと動きを止める。
「ダリウス、お願いがあるのですが·····。」
「何でしょう?」
グレイス様は腰を屈め、俺の耳元で囁く。
「まだアーレンと離婚の手続きが終わっていないので、無理だとは思いますが、それが終わったら、あと2人の時は私の事は『グレイス』と名前で読んで下さいませ。」
そうはにかむグレイス様は、まさに女神だった。
そしてこの1ヶ月後、アーレンとグレイスは離婚の手続きを完了した。
その日、その足でグレイスとダリウスは、下賜されたノーラ公爵領に向かい旅立ったのだった。
数ある作品の中から見つけて、読んで下さり有難うございます。
もし宜しければ、暇潰しに、現在連載中の「貴方のためにできること~ヒロインには負けません~
https://ncode.syosetu.com/n0868hi/
も読んで頂ければと思います。宜しくお願いします。