2 もう一人の求婚者
グレイスの怒りは収まらなかった。
王太子のアーレンとは幼馴染み。
王子達の遊び相手として、王城に参じて以来の間柄だった。
5年前、王国を揺るがす事件があって以来、グレイスは隣国のルダリスタン帝国へ留学することにした。
それ以降一切会うことも、手紙のやり取りもすることはなかった。
そして5年ぶりに帰国し、王宮より直ぐに呼び出しがあり、正直嫌な予感はしていた。
アーレンの婚約者だったソフィアの手紙から、それとなく2人の関係が上手くいっていない事も知っていた。
帰国して父からソフィアの実家のスタンダール侯爵家がアーレンに婚約破棄を申し入れた話を聞いて、その時は怒りよりも、アーレンに対する呆れしかなかった。
ソフィアはアーレンの事をとても大切にしていた。
アーレンは王太子という身分ながら、人に対して気安く接し、ちょっと大雑把な性格。
その親しみやすさから好感度は高いが、王太子としては抜けている事も多く、それをフォローしてきたのが、真面目でしっかり者のソフィアだ。
どうしてソフィア様の気持ちを第一に考えてあげないのかしら。
確かに国政に関わる事ならそうはいかないだろう。
それに他に好きな人が出来ることがあるのも仕方のないことかもしれない。
ただ伴侶となる相手の存在は、最大限に尊重されるべきだ。
相手が好き勝手に振る舞うなら、自分だけが、ただ国を動かすだけの駒と思われるだけの人生、そんなの嫌気がさすに決まってる。
それに自分達が結婚したいからって、私を巻き込むなんて。
私には『フェアノーレ王家と婚姻を結ばない。』という密約があるのをアーレンは知っているのに。
もう、この国で表舞台に立つのは御免よ。
グレイスはアーレンがいるガゼボが見えなくなると、ふと立ち止まり、深い溜め息をついた。
「タンドゥーラ公爵令嬢、お待ち下さい。」
低い、耳触りのいいバリトンがグレイスを呼び止める。
懐かしいその声に振り向けば、そこにはアーレンの護衛騎士であるダリウス·ノーラが立っていた。
日に焼けた肌に、赤毛の長めの髪を後ろで結び、他の騎士よりは頭一つ背の高い、がっしりとした骨太の体躯。
彫りの深い顔立ちながら、エメラルド色の瞳を持つ目元はとても穏やかで、グレイスを見つめるその眼差しは優しい。
「ノーラ卿。」
「突然お声掛け致しました無礼、お許し下さい。」
「いえ、お久しぶりですわ。お元気そうで何よりです。どうぞ私の事は昔のようにグレイスとお呼び下さい。」
「有難うございます。私の事もどうぞダリウスと。グレイス様、今から少しお時間を頂いても。」
「アーレンが話していた事ですね。歩きながらで宜しいかしら?」
「はい。では宜しければ。」
そう言ってダリウスはエスコートするため、手を差し出す。
グレイスはそれにそっと手を乗せ、2人はゆっくり歩き出す。
「ソフィア様との婚約破棄の話は伺いました。そして陛下が、アーレンとその想い人が結婚するためには、私がアーレンの妃の1人として王家に上がらねばならないと。」
「私との話は?」
「ええ、聞いたわ。アーレンと3年間白い結婚を貫き、その後貴方の元に降嫁させると。」
「会話の内容は聞こえませんでしたが、貴方が怒っていらっしゃるのは分かりました。」
「ええ、私だけでなく貴方を犠牲にしようとしているから。アーレンは何時からあんなに自分勝手になったのかしら?昔のアーレンなら、人の気持ちには機敏なはずですのに。」
「グレイス様、私は犠牲だとは思っていませんよ。」
「ダリウス·····分かっているのよ。最後にアーレンや貴方と会ったのは5年前。あの頃は、貴方が20歳で私は13歳。まだ子供だわ。だから貴方が私を妹のようにしか思っていない事は知っています。貴方は平民の出で、近衛に取り立てて貰ったのはアーレンのお陰だと思って、その恩に報いたいと思っているかもしれないけれど、それは違うわ。貴方が近衛騎士に任ぜられたのは、貴方の実力があっての事。お父様がおっしゃってたわ、もし貴方がアーレン元へ行かなければ、我が公爵家に引き抜いていただろうって。公爵家も悪くはないわよ。貴方はそれ程、実力がある方なの。」
「その様に評価して下さって光栄です。」
「だから貴方は、貴方が本当に心から愛する方と添い遂げるべきなのよ。」
「······。確かに今の私では貴方の傍にいるには分不相応だ。」
ダリウスの寂しげな声に、思わず立ち止まる。
「違うわ、ダリウス。身分の事で言っている訳ではないの。でも逆に言えば、私の公爵令嬢の肩書きなんて貴方にとっては、きっと面倒でしかないわ。」
「いえ、よく考えてみて下さい。たかが騎士爵しか持たない私が、理由もなく公爵家の方を娶るのは不自然なのです。それを理由を付けて殿下が、私が貴方を手に入れさせる為に、私の元に降嫁させて下さるのです。私にとっては何よりの機会だと思いませんか?」
「そんな言い方だとまるで····。」
貴方が私の事を手に入れたいみたいに聞こえる····。
ダリウスはその場で膝をつきグレイスを見つめる。
「今日、貴方と久しぶりにお会いして、あらためて思いました。貴方は昔から真面目で心が真っ直ぐで、人の心をとても大事にされる方だ。そしてこのように、女神の様に美しく成長された貴方は、私にとっては手に入れ難い、眩しい存在だ。アーレン王太子殿下の元、3年間妃となるなら、貴方は誰の手にも触れられない存在となるでしょう。それは私にとってこの上なく都合がいいこと。与えられた3年間で、必ず貴方の隣に立つに相応しい地位を手にいれますので、どうかその暁には、私の妻になって下さい。」
「ダリウス·····。」
突然のダリウスの真摯なプロポーズに、さすがのグレイスも思考が停止しそうになる。
ダリウスの言葉の真意を探る為、ひたすらそのエメラルドの瞳を見つめ続けるグレイスに、ダリウスは立ち上がり優しく微笑み掛ける。
「まだ疑われるのは分かります。後日あらためて公爵家へご挨拶に伺いたいと思います。その時にもう一度お話させて下さい。」
ダリウスはそう言うと、再びエスコートするべく手を差し出す。
グレイスは驚きで一言も発せられないまま、馬車に案内された。
別れ際、ダリウスはグレイスの手に唇を寄せ、気持ちを伝えるように少しだけ指先に力を込めて握る。
グレイスが仄かに頬を染めるのを見とめると、ダリウスは満足そうに口許に笑みを浮かべ、グレイスを馬車へと送り出した。
ダリウスはグレイスの馬車が見えなくなるまで、見送っていた。
◇
「ああ、お帰りダリウス。グレイスはどうだった?」
グレイスが立ち去った後もガゼボに残り、メイド服を着たマリアとお茶を楽しんでいたアーレンは、ダリウスが戻ってくると、その後のグレイスの反応を聞きたくてしょうがない様子で目を輝かせる。
「真摯に気持ちをお伝えしましたが、どこまで信じて頂けるか····。感触としては、悪くないかと。」
「へぇ、そう?いや、かなり怒っていたからさ。警戒して、話しも聞かない感じかと思っていたけど···そうか、さすがダリウスだね。」
「グレイス様は、そんな無下な態度をとられる方ではありませんよ。」
「いやしかし、久しぶりにグレイスに会って驚いたよ。昔も綺麗な子だと思っていたけど、あんなに美しく成長するとは。留学していたからいいものの、国内にいたのなら、とっくに誰かと婚約していただろうな。」
「ソフィアさんは可憐で大人しい感じで、周りの取り巻きに守られている感があったけど、グレイスさんは違うのね。毅然としているというか他を寄せ付けない雰囲気を持った方。仲良く出来るかしら?」
「はは、まぁマリアも色々叱られるだろうね。でも彼女は意地悪はしない。きっとマリアにとって必要な事しか言わないよ。マリアの心の持ちようじゃないかな。」
「2人で妃教育を受けるんでしょう?比べられて心が折れそうになるかも。」
「ああ、それは心配ないよ。グレイスはほとんど妃教育は必要ないから。妃になり次第、多くの公務を務めることになるだろう?」
「え?妃教育って省けるものなの?」
「違うよ、省かれるんじゃなくて、彼女は13歳の時に、既に王太子妃教育は終わってるんだよ。」
「え?王太子妃教育が終わってるですって?何?もしかして、グレイスさんは貴方の元婚約者なの?」
「そうか、マリアは知らないんだね。大体貴族は知ってる話なんだけどな。グレイスは私の兄が王太子だった時の婚約者なんだ。5年前、兄が廃嫡され、婚約は解消された。それで私が王太子になったんだが、その時はソフィアが既に婚約者になっていたからね、グレイスが私の婚約者になることはなかった。」
「そうなの·····すごいわ、13歳で王太子妃教育を終えてるなんて。」
「グレイスを私の婚約者に、という話も上がったんだ。だが、グレイスの家のタンドゥーラ公爵家が拒否した。」
「そう····それでお兄様はご病気か何かで?」
「ああ、そこから話さないといけないのか。簡単に話すと、5年前、当時王妃だった兄上の母君と側妃だった私の母上が対立していてね。結局王妃が母上に毒をもって暗殺したんだ。それが明るみになり、王妃は服毒自殺をし、兄上は関与を疑われて廃嫡。普通そういった場合は、兄上も処刑される所なんだけど、そもそも王妃が手を下したという証拠をグレイスが見つけ、その事実を兄上に告げ、兄上を諭し、兄上自ら父上に報告したからね。処刑は免れたんだ。でも事実を悲観した兄上が事もあろうに、グレイスを道連れに自殺を図ってね。それで兄上は幽閉。グレイスの心情も考え、ルダリスタン帝国へ留学することになった。まぁ、元々タンドゥーラ公爵家は帝国の出で、あちらでも爵位を持っているからね。留学という感じでもないんだけど。」
「そうなのね·····。全然知らなかったわ。」
「タンドゥーラ公爵家としては、もうグレイスに王家とは関係を持たせたくないんだ。そういう密約も交わしてるんだけど、まぁ5年経ったし、今私達がこういう状態だから、グレイスには何とか協力して貰えないかとね。」
「確かにグレイスさんが入宮したら、私達に言われている不安は解消されるでしょうね。でもそんな凄い人なら他の令息達が放っておかないでしょう?帰国を聞き付けて釣書が押し寄せているんじゃないかしら。」
「そう、だからダリウスなんだ。グレイス自ら妃の座を選んで貰わないと。」
「でも、ダリウスとの事を公爵は許すかしら。公爵令嬢をあなたの護衛騎士ってだけの肩書きの男に嫁がせるかしら?」
「まぁ公爵の説得はグレイス次第かな。ダリウスに関しては、降嫁するのを納得させる為の策が、こちらにはあるから。だろ?ダリウス。」
「はい。ご期待に添えるよう力を尽くします。」
「宜しく頼むよ。」
数ある作品の中から、見つけて読んで下さり有難うございます。
現在連載中の「貴方のためにできること~ヒロインには負けません~」も読んで頂けたらと思います。https://ncode.syosetu.com/n0868hi/
宜しくお願いします。