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淡々後漢書  作者: ンバ
第十八、呉漢伝
95/102

十九・二十、後嗣/厳宣

19.

子哀侯成嗣,為奴所殺。二十八年,分漢封為三國:成子旦為灈陽侯,以奉漢嗣;旦弟盱為築陽侯;成弟國為新蔡侯。旦卒,無子,國除。建初八年,徙封盱為平春侯,以奉漢後。盱卒,子勝嗣。初,漢兄尉為將軍,從征戰死,封尉子彤為安陽侯。帝以漢功大,復封弟翕為褒親侯。吳氏侯者凡五國。


(訳)

子の哀侯、呉成ごせいが嗣いだが

奴婢の為に殺されてしまった。


二十八年(52)、

呉漢の封地を分けて三つの国とした。

呉成の子の呉旦ごたん灈陽くよう侯とし、

呉漢の後嗣として奉じさせた。

呉旦の弟の呉盱ごく築陽ちくよう侯、

呉成の弟の呉国ごこく新蔡しんさい侯となった。

呉旦が卒した際に子がなく、国を除かれた。


建初八年(83)、

呉盱を改封して平春へいしゅん侯とし、

呉漢の後継として奉じさせた。


呉盱が卒すると、子の呉勝ごしょうが嗣いだ。


当初、呉漢の兄の呉尉ごいが将軍となるも

征伐に従って戦死してしまっており、

呉尉の子の呉彤ごとうを封じて安陽あんよう侯とした。


帝は、呉漢の功績が多大である事から

今度は弟の呉翕ごきゅうを封じて褒親ほうしん侯とした。

呉氏で侯にのぼったのは、凡そ五国である。


20.

初,漁陽都尉嚴宣與漢俱會光武於廣阿,光武以為偏將軍,封建信侯。

(訳)

初め、漁陽ぎょようの都尉の厳宣げんせん

呉漢とともに光武帝と広阿こうあで合流しており

光武帝は彼を偏将軍に任じ、

建信けんしん侯に封じた。


(註釈)

その人の列伝の最後に

一緒に取り立てられた人も

紹介してくスタイル。


後漢末期に登場する、何進の配下の呉匡ごきょう

蜀漢の外戚に当たる呉懿ごい呉壱ごいつ)や

呉班ごはんは、呉漢の子孫だそうです。


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