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淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、李通伝
9/102

東観漢記、李通伝

范曄の「後漢書」が編纂される前は

史記、漢書とともに

「三史」として親しまれていたのが

この東観漢記とうかんかんきです。


今残っているものは、

逸文を再編集したものであって

完全な状態ではないそうな。

場面が飛び飛びになっているので

後漢書で流れを理解してから

東観漢記の断片を拾うほうが

効率的に勉強できそうな気がします。


同時代人が記している史書なので

おそらく忖度が山ほどあるでしょう。


より後漢の人々を知るために

後漢書と東漢観記、両方やろうと思います。

誤訳しててもゆるしてつかぁさい。


1.

齊武王常殺通同母弟申屠臣,上不得已過通,乃買半臿佩刀裹之。至通舍,時病臥,因持上手得刀。通異之,乃謂上曰:「一何武也!」上曰:「以備不虞耳。」


(訳)

斉武王せいぶおう劉縯りゅうえん)が、李通りつう

同母弟の申屠臣しんとしんを殺害しており、

禍を避けられないと考えた光武帝は

そこで短刀を買って

これを懐に忍ばせていた。


李通の屋舎へ至ると

この時彼は病で臥せっており、

光武帝は持参した刀に

手をかけたが、李通は

異変に気付き、このように述べた。


「何と猛々しきことで!」


光武帝は言った。


「不測の事態に備えたまでの事です」



(註釈)

次は、さいたま申屠臣しんとしん

さいたま申屠臣です(バカ


この話の出典、東観漢記だったんですね。

そしていきなり訳に自信ありません。


李通からの呼び出しをくらって

仕返しを受けるものと考え、

念の為懐に刀を忍ばせておく。

劉秀の慎重さがよく現れた逸話ですね。


出会った時から李通は既に病がち?


後漢書では「頭痛持ち」とあるので、

劉秀が現れた時も、たまたま頭痛くて

寝転がってたくらいのニュアンスかな。


劉秀は、李通が寝てるの

自分を油断させるための

演技だと思ってたっぽいですね。

いきなりヒカリモノ抜こうとしてるので。


また、東観漢記では劉秀を

「上」と表記しています。

主上、お上ですね。


2.

王莽前隊大夫誅謀反者,李次元聞事發覺,被馬欲出。馬駕在轅中,惶遽著鞍上馬,出門顧見車方自覺,乃止。


(訳)

王莽の前隊大夫が謀反した者を誅殺し、

事が発覚したと聞いた李通は

馬に乗って逃げようとした。


馬駕(馬車)は轅門の中に在り、

惶遽していた李通は鞍を着けて馬に跨った。


門を出て車の方を振り返ろうとしたが

自ら悟り、取りやめた。


(註釈)

挙兵計画があっさりバレたシーンです。

こんな短いのに訳があやしい。



「轅」は馬車のながえの方かな?


馬車にはながえがある、

馬車の中にながえがある、より


馬車は轅(門)の中だったから

取りに行ってる余裕がなかった

って文脈のはず……。


李通でなくて「李次元」と表記してるのは

武帝の字を避けたんでしょうか。

(劉徹のあざなは通)


でも蒯徹かいてつ蒯通かいつうにされてるわけだし、

この場合、郭聖通かくせいつうの避諱かな。


ぷよぷよ通が当時発売されてたら

違うタイトルになってしまう。


3.

李通娶寧平公主。為大司空。通性謙恭,常避權勢,謝病不視事。


(訳)

李通は寧平公主ねいへいこうしゅを娶り、大司空だいしくうとなった。

李通の人となりは謙虚で恭しく、

常に権勢を避けようとしており、

病気により事業の監督は

不可能であるとして、謝絶していた。



(註釈)

劉秀の妹の劉伯姫りゅうはくきを娶って

義弟となった李通。


大司空になったけど

病気を理由に免官を願い出ていた。


このへんは後漢書と同じ内容ですな。


4.

李通上疏曰:「臣經術短淺,智能空薄。」


(訳)

李通は上疏して述べた。


「臣は経術に通じておりませぬし、

智能も僅かにございます」


(註釈)

羊祜の上奏文は長すぎだけど

李通の上奏文は短すぎる。


5.

李通上大司空印綬,以特進奉朝請。及有司奏請封諸皇子,帝感通首創大謀,即日封通少子雄為邵陵侯。每幸南陽,常遣使者以太牢祀通父冢。


(訳)

李通は大司空の印綬を返上し、

朝廷の要請から特進に奉じられた。


群臣から、諸皇子に封地を

与えるべきとの上奏文が届けられると、

李通が大謀を創始してくれた事に

感謝していた光武帝は、

即日、李通の少子の李雄りゆう

封じて召陵しょうりょう侯とした。


光武帝は南陽なんように御幸するたびに

常に使者を遣わせ、

太牢を以て李通の父の墓を祀った。


6.

子音嗣。音卒,子定嗣。定卒,子箕嗣。


(訳)

子の李音りおんいだ。


李音が卒すると

子の李定りていが嗣いだ。


李定が卒すると

子の李箕りきが嗣いだ。


(註釈)

ひ孫の名前が変わってる。


李定の嗣子は李黄りこうだったはずなんですが、

同音や旧字というわけでもなさそだし、


東観漢記の李通伝の成立から

范曄後漢書が編纂されるまでに

李箕りきが後嗣を外されて

李黄りこうが継いだということになります。


箕と黄は字面が似てるので

単なる表記揺れかも。


しまらない終わり方ですが

これにて李通伝は完結です。


続いて、列伝第五より王常伝!


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