一・二、光武からの特賜
25位の李忠伝。
光武帝よりだいぶ年上。
1.
李忠字仲都,東萊黃人也。父為高密都尉。忠元始中以父任為郎,署中數十人,而忠獨以好禮修整稱。王莽時為新博屬長,郡中鹹敬信之。
(訳)
李忠は字を仲都、東萊郡黄県の人である。
父は高密県の都尉であった。
李忠は(前漢の)元始年間(A.D.1〜5)に
父の任によって郎となり、
署中の数十人のなかで
李忠のみが礼を好み
制度を整えために、称賛された。
王莽の時代に新博の属長となり
郡中はみな彼を敬い、信頼した。
2.
更始立,使使者行郡國,即拜忠都尉官。忠遂與任光同奉世祖,以為右大將軍,封武固侯。時,世祖自解所佩綬以帶忠,因從攻下屬縣。至苦陘,世祖會諸將,問所得財物,唯忠獨無所掠。世祖曰:『我欲特賜,李忠,諸卿得無望乎?』即以所乘大驪馬及繡被衣物賜之。
(訳)
更始帝が立つと使者を郡国に行かせ、
即時的に李忠は都尉の官に拝された。
李忠はかくて任光とともに
共同して世祖(劉秀)を奉じ、
右大将軍に任命され、武固侯に封じられた。
この時に世祖は自らの佩いていた
綬を解いて李忠に帯びさせ、
それに託けて属県を攻め下した。
苦陘へと至って
世祖は諸将と合流し、
取得した財物について問うたが、
ただ李忠だけが掠め取っていなかった。
世祖は言った。
「我は李忠に特賜したいと考えている、
諸卿は(これ以上を)望むまいね?」
かくて乗っていた大きな驪馬及び
着ていた錦繍の衣服を彼に賜った。
(註釈)
李忠は雲台28将の25位。
青州東萊郡黄県の人。
黄県は三国時代に太史慈を輩出してる。
父親は青州は北海国高密県の都尉。
都尉は盗賊を取り締まる役職。
小さな県なら1人、
大きな県なら2人ずつ尉を置くそうな。
景帝が都尉の名に改めた。
李忠は、劉秀が生まれる前から
役人をやっていたもよう。
父の官から、郎に。
王莽が簒奪したあとは
地名や官名が変更された。
彼の治政の評判はよかった。
王郎が決起すると、太守の任光とともに
河北を彷徨っていた劉秀を
信都郡へ迎え入れる。
任光が落とした郡県からの
掠奪を許可する形で募兵を持ちかけたが
李忠だけ掠奪を行わなかったので
劉秀から馬と衣服を下賜された。




