表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、李通伝
6/102

五、更始から光武へ、両政権の重鎮として

5.

更始立,以通為柱國大將軍、輔漢侯。從至長安,更拜為大將軍,封西平王;軼為舞陰王;通從弟松為丞相。更始使通持節還鎮荊州,通因娶光武女弟伯姬,是為寧平公主。光武即位,征通為衛尉。建武二年,封固始侯,拜大司農。帝每征討四方,常令通居守京師,鎮百姓,修宮室,起學宮。五年春,代王梁為前將軍。六年夏,領破奸將軍侯進、捕虜將軍王霸等十營擊漢中賊。公孫述遣兵赴救,通等與戰於西城,破之,還,屯田順陽。時,天下略定,通思欲避榮寵,以病上書乞身。詔下公卿群臣議。大司徒侯霸等曰:『王莽篡漢,傾亂天下。通懷伊、呂、蕭、曹之謀,建造大策,扶助神靈,輔成聖德。破家為國。忘身奉主,有扶危存亡之義。功德最高,海內所聞。通以天下平定,謙讓辭位。夫安不忘危,宜令通居職療疾。欲就諸侯,不可聽。』於是詔通勉致醫藥,以時視事。其夏,引拜為大司空。


(訳)

更始帝こうしていが立つと、

李通は柱国大将軍、輔漢ほかん侯となった。


長安への道程に従軍し、

更に拝されて大将軍となり

西平せいへい王に封じられた。

また、李軼りいつ舞陰ぶいん王となり

李通の従弟の李松りしょうも丞相となった。


更始帝は李通に節を与え、

荊州に還して鎮撫に当たらせた。

赴任するに因んで、李通は

光武帝の妹の伯姫はくきを娶り、彼女は

(劉秀の即位後に)寧平公主ねいへいこうしゅとなった。


(25年)

光武帝が帝位に即くと、

征きて李通を衛尉えいいとした。


建武二年(26年)、

李通は固始こし侯に封じられ、

拝されて大司農だいしのうとなった。


光武帝は四方の征討へ向かうたびに

常に李通を留めて京師を守らせた。

百姓を安撫し、宮室を修復し、

学宮を建て(る等の功があっ)た。


五年(29年)春、

王梁おうりょうに代わって前将軍となった。


六年(30年)夏、

破奸はかん将軍の侯進こうしん

捕虜将軍の王覇おうはら十営を領して

漢中の賊(延岑えんしん)を撃った。


公孫術こうそんじゅつは救援の兵を派遣して

李通らと西城で交戦した。

李通はこれを破って帰還し、

順陽じゅんようにて屯田をおこなった。


当時、天下はあらかた平定されており、

李通は栄華や恩寵を避けようと考えて

病を以て上書し、辞職を願い出た。


詔が下されると

公卿・群臣らによる協議が行われ、

大司徒の侯霸こうはらが言った。


王莽おうもうが漢を簒奪すると

天下は傾き、擾乱いたしました。


李通は伊尹いいん呂尚りょしょう蕭何しょうか曹参そうしん

謀を懐に抱き、大略を打ち立て、

神霊を扶助し、聖徳を輔成してきました。


国の為に家破れようとも

我が身を忘れて主に奉公し、

危急存亡から救った信義が有り、

彼の功徳が最も高き事は

海内にも聞こえる所であります。


李通は天下が平定されると

謙譲を以て位を辞退しましたが、

そもそも安寧である時も

危険に対して心を配らねばならず、

宜しく李通を在職させたまま

療養に当たらせるべきです。


(李通が)

諸侯に就こうと考えていても

聞き入れるべきではございませぬ」


こうして、詔によって

李通に医師と薬が与えられ、

(病気の治療をしながら)

当時の事業についての監督に当たった。


その夏、李通は引見され、

拝されて大司空だいしくうとなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ