四、官軍との戦い
4.
時,漢兵亦已大合。通與光武、李軼相遇棘陽,遂共破前隊,殺甄阜、梁丘賜。
(訳)
この時、漢兵もまた
続々と集まっており、
李通は光武帝や李軼と棘陽で合流し、
かくてともに前隊を破り、
甄阜と梁丘賜を殺害した。
(註釈)
後漢書は戦闘の描写が淡白です。
もっと教えて。
劉秀・李通らは
劉縯が集めた荒くれまがいの食客たちや、
緑林と呼ばれる、周辺地域の
反政府勢力と合流、蜂起して
新を打倒すべく、
長安(常安)へと進軍しました。
劉秀や劉縯の属する
南陽の漢宗族が舂陵で決起した
「舂陵軍」、
緑林から派生した
「下江軍」と「新市軍」
南陽郡平林から参入した「平林軍」
という風に、複数のグループが存在します。
劉秀の兄・劉縯は、
ご先祖の劉邦シンパであり
あくせく働かずに
ゴロツキと遊んでるような人だったので
(ひでぇ言い方)
彼が決起したと聞いて、人々はみんな
逃げ出してしまいました。
が、
真面目な劉秀も一緒に挙兵すると聞いて
少しずつ戻ってきます。
ヤクザの伯升(劉縯)と
まじめな文叔(劉秀)という
なんともアンバランスな兄弟でした。
劉秀は軍馬を調達できなかったために
ここで「牛に乗る」という
一発芸をかまします。
ウケたかどうかはともかく、
みんなの緊張がいい具合に
ほぐれた事でしょう。
緒戦はうまく事が運びましたが、
このあとの小長安の戦では
劉秀達はボロ負けを喫してしまいます。
お姉さんと娘たち、真ん中の兄も
この時に戦没してしまい、
挙兵の前後に母親まで病死しています。
劉秀はその後、昆陽の戦いで
歴史的大差をひっくり返す
大勝利を収めます。
豪族グループと
盗賊グループの軋轢のなか
荊州の反乱軍から
宗族の劉玄が更始帝として即位。
兄、劉縯が謀殺されてしまう。
ここで
「てめーが甘い汁を啜っていられるのは
誰のお陰か忘れたのかチンカス野郎、
ぶっ殺したるぁああああ!!」
と突っかかってく人なら
天下は取れません。
劉秀はなんと、
「このたびはアニキがすみません」と
逆に更始帝に謝りに行きました。
精一杯の韜晦で
周囲の警戒を解いたけれど
劉秀は悔しさで枕を濡らしていた。
大丈夫たる者、命の使いどころを
誤ってはいけないんだぁああ。
やがて河北へ転出した劉秀は、
在地勢力の王郎や
銅馬軍を討伐し、力をつけて
戻ってくるのでありました。
(ざっくり