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淡々後漢書  作者: ンバ
第十七、岑彭伝
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五、鄧奉反逆

5.

建武二年,使彭擊荊州,下犨、葉等十餘城。是時,南方尤亂。南郡人秦豐據黎丘,自稱楚黎王,略十有二縣;董訢起堵鄉;許邯起杏;又,更始諸將各擁兵據南陽諸城。帝遣吳漢伐之,漢軍所過多侵暴。時,破虜將軍鄧奉謁歸新野,怒吳漢掠其鄉里,遂反,擊破漢軍,獲其輜重,屯據淯陽,與諸賊合從。秋,彭破杏,降許邯,遷征南大將軍。復遣朱祐、賈復及建威大將軍耿弇,漢忠將軍王常,武威將軍郭守,越騎將軍劉宏,偏將軍劉嘉、耿植等,與彭並力討鄧奉。先擊堵鄉,而奉將萬餘人救董訢。訢、奉皆南陽精兵,彭等攻之,連月不克。三年夏,帝自將南征,至葉,董訢別將將數千人遮首,車騎不可得前。彭奔擊,大破之。帝至堵陽,鄧奉夜逃歸淯陽,董訢降。彭復與耿弇、賈復及積弩將軍傅俊、騎都尉臧宮等從追鄧奉於小長安,帝率諸將親戰,大破之。奉迫急,乃降。帝憐奉舊功臣,且釁起吳漢,欲全宥之。彭與耿弇諫曰:『鄧奉背恩反逆,暴師經年,致賈復傷痍,朱祐見獲。陛下既至,不知悔善,而親在行陳,兵敗乃降。若不誅奉,無以懲惡。』於是斬之。奉者,西華侯鄧晨之兄子也。

(訳)

建武二年(26)、

岑彭に荊州を撃たせて

犨・葉ら十余の城を下した。


この時、南方がとりわけ乱れていた。


南郡の人・秦豊しんほう

黎丘れいきゅうに據りて楚黎それい王を自称し、

十二の県を侵略していた。


董訢とうきんが堵郷、許邯きょたんが杏にて挙兵した。


一方、更始帝の諸将は

それぞれ兵を擁して

南陽の諸城に據っていた。


光武帝は呉漢ごかんを遣ってこれを伐たせたが

漢軍の通過した所では

侵掠や乱暴が多かった。


この時、破虜将軍の鄧奉とうほう

新野県への帰郷を申し出ていたが、

呉漢がその郷里を侵掠した事に怒って

遂には反逆してしまった。


(鄧奉は)漢軍を撃破し、

その輜重を獲得して淯陽へ屯営し

諸諸の賊と合従した。


秋、岑彭は杏を破って許邯を降し

征南大将軍に遷った。


(呉漢が敗れたため)

今度は※朱祜しゅこ賈復かふく、及び

建威大将軍の耿弇こうえん、漢忠将軍の王常おうじょう

武威将軍の郭守かくしゅ、越騎将軍の劉宏りゅうこう

偏将軍の劉嘉りゅうか耿植こうしょくらが

岑彭と協力して鄧奉の討伐に当たった。


(※安帝・劉祜の避諱で朱祐と表記されている)


先ず堵郷を撃つと、鄧奉は

一万余人を率いて董訢を救援した。


董訢、鄧奉軍はいずれも南陽の精兵であり

岑彭らがこれを攻め、月を重ねても

降す事ができなかった。


建武三年(27)夏、

光武帝自らが南征に乗り出し

葉へと至ったが、董訢の別将が

数千人を率いて行く手を遮ったために

車騎は進めなくなってしまった。


岑彭が直接出向いて攻撃し、

これを大破した。


光武帝が堵陽へと至ると

鄧奉は夜間に淯陽へと逃げ帰り

董訢は投降してきた。


岑彭は、今度は耿弇・賈復・

及び積弩将軍の傅俊ふしゅん

騎都尉の臧宮ぞうきゅうらに従って

小長安に鄧奉を追撃、

光武帝は諸将を率いて自ら戦い、

これを大破した。


鄧奉は進退窮まり、ようやく降伏してきた。


光武帝は、鄧奉が旧くからの

功臣であることを憐れみ、

且つ、呉漢の手落ちであった事から

全面的に彼をゆるそうとしていた。


岑彭と耿弇が諌めて言うよう、


「鄧奉は恩に背いて反逆し、

師団に暴行して年を重ね、

賈復は傷痍し、朱祜は捕われました。


陛下が御到着された後も

悔い改める事なく、

自ら行列に臨んで

兵が敗れてからやっと

降伏してきたのです。


もし鄧奉を誅殺せずにおれば

悪を懲らしめる事になりませぬ」


こうして、鄧奉は斬られた。


鄧奉は、西華侯・鄧晨の兄の子であった。


(註釈)

精鋭の烏丸突騎を操る呉漢ごかん


その破壊力は抜群ですが、

異民族の流儀は勝利と

略奪・殺害・強姦が

セットみたいなものなので

南陽なんようで更始帝の残党を平定するついでに

民衆のこともグチャグチャに

してしまったようです。


南陽郡は光武帝はじめ

鄧禹とうう李通りつう岑彭しんほうなど

多くの譜代武将のホームです。


ていうか呉漢自身も南陽出身なのに

そこで掠奪を働いちまうとは……

比類なき殲滅力を誇る烏丸突騎の

宿痾しゅくあみたいなもんですが

もう少しどうにかならんかったのか?


光武帝の姉婿・鄧晨とうしんの親族である

鄧奉とうほうが、呉漢のこうした振る舞いに激怒、

とうとう、光武帝の身内から

反逆者が出てしまいました。


耿弇こうえん賈復かふく、岑彭、朱祜しゅこ王常おうじょう劉嘉りゅうかなど

光武帝軍の豪華面子が

鎮圧に乗り出しましましたが

鄧奉も南陽の精鋭を率いており、

各地の賊と連合していたために

なかなか降す事ができません。


賈復は大怪我を負い、

朱祜に至っては鄧奉に捕まってしまいました。


この事態に、遂に光武帝が親征。

岑彭が行く手を遮る敵勢を蹴散らし、

かつて官軍に大敗を喫した

小長安の地に鄧奉を追い詰め

やっとの事で撃破しました。


戦後、鄧奉の反逆は

呉漢のポカが原因であったことや

鄧奉とは古くから付き合いがあったことから

光武帝は彼を赦してあげようとしますが、

岑彭と耿弇がこれに反対。


「鄧奉はこれまでの恩に背くわ

賈復を負傷させるわ

朱祜を捕縛するわで、

あまつさえ陛下が親征されても

悔い改める様子がなく

切羽詰まってやっと降伏してきた。

彼を赦してしまったら示しがつかない」


光武帝も頷かざるを得ず

かくて鄧奉は処刑されました。


身内の鄧晨も、

これはショックだったでしょう。


ただ、劉秀が鄧奉の親族に

何かしらの制裁をくわえたという

記述はありません。

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